第1章 5話 そんなことまで、わたくしに?
イザベルは、茶に口をつけないまま座っていた。
昨日、訪ねてもよいかと便りが届いた。クラリッサが返事を出すと、翌日の午後には来てくれた。母への挨拶を済ませ、二人で小さな客間へ移ってから、話が途切れている。
「お悔やみのお手紙、ありがとう。お返事が遅くなって、ごめんなさい」
「そんなことは、よろしいのよ」
すぐに返ってきた声が、そこで止まった。イザベルは卓の茶器へ目を落とし、もう一度こちらを見る。
「今日、お話ししてよいものか、迷いましたの。でも、ほかの方からお聞きになる前にと思って」
クラリッサはカップを置いた。
「何かしら」
「父が、殿下との縁談を王宮へ申し入れました」
「……あなたと?」
聞き返すと、イザベルは頷いた。
イザベルが、殿下の隣に立つ。その姿が浮かび、クラリッサは膝の上で重ねた手をきつく握った。
「王宮からは、まだお返事をいただいていません。父から、ただ申し入れたと聞きましたの」
まだ、という言葉にすがりかける自分が嫌だった。返事が来ていなければ、自分に何かが戻るわけでもない。
「あなたは、どうしたいの?」
イザベルの口元が動いた。すぐには言葉にならず、眉が寄る。
「父には、進めてほしくないと申し上げました」
「私のことが、あるから?」
「それだけではありませんわ」
声が強くなった。
「一度は選ばれなかったですもの。悔しかったけれど、わたくしなりに諦めようとしました。それを今になって、喜んで待っていなさいと言われても」
イザベルは言葉を切り、息をついた。
「父は、以前からわたくしなら務まると思っていたと仰います。でも、この話が戻ったのは、わたくしが何かしたからではありませんでしょう」
クラリッサは答えられなかった。父がいなくなって、自分の名が退けられた。イザベルの言葉も、そこへ行き着く。
「……ごめんなさい。あなたに申し上げることではないわね」
顔を上げると、イザベルがこちらを見ていた。
「あのとき、お祝いを申し上げた気持ちは、本当でしたわ」
「ええ。それは、分かっているわ」
廊下の窓辺で、悔しいと正面から言ってくれた。素敵な相手を見つけたら紹介すると、約束もした。
あの約束の続きを、こんなふうに聞くとは思わなかった。
クラリッサは、イザベルへ向き直った。
「ただ、聞いて、何とも思わないとはまだ言えない」
「……ええ」
「でも、あなたが自分で話しに来てくれて、嬉しいわ」
そう言うと、イザベルは小さく頷いた。
クラリッサは茶を飲んだ。冷めかけていたが、喉を通ると少し息がしやすくなった。イザベルもようやくカップへ手を伸ばす。
しばらく、二人とも黙っていた。
*
「休暇の間は、ずっとこちらに?」
イザベルが尋ねた。
「ええ。なるべく、お母様のそばにいたいと思って」
「そうですわね」
「でも昨日は、街へ出たの。魔具の工房へ」
「何か、壊れましたの?」
「髪を乾かす道具を作れないか、相談しているのよ」
イザベルの手が止まった。
「髪を?」
「温かい風を当てるの。昨日は、全部乾くまで試させてもらったわ」
そばに控えていたリナが、茶を注ぎ足しながら頷いた。
「いつもより、ずいぶん早くお支度ができました」
「もう、使えるものがありますの?」
「工房の道具を借りて組んでいただいたの。持って帰るわけにはいかないけれど、絵ならあるわ」
「見せていただける?」
クラリッサがリナを見ると、絵を取ってきてくれるという。部屋へ向かう背を見送ってから、イザベルが少し身を寄せた。
「あなたが、作ってほしいと頼みましたの?」
「ええ。売れるものにできないかと思って」
「売る!?」
今度は、はっきりと驚いた声だった。
「父のことを調べる費用にしたいの」
「その費用を、あなたがご自分で?」
「ええ。今は、家のお金を領地へも送っているの。調べる分までは、すぐに出せなくて」
イザベルはカップを戻した。
「……そこまで、お困りでしたのね」
「でも、問い合わせの返事を待っているだけにはしたくないの。ノルドで話を聞いてもらう費用を、少しずつでも用意しておきたいわ」
「……そんなことまで、わたくしに話してよろしいの?」
「どうして?」
「父が何を進めているか、今、お話ししたばかりですわ」
クラリッサは少し黙った。
「そうね。でも、あなたにまで隠していたら、何をしたいのかも話せないわ」
イザベルは何か言いかけ、それから小さく頷いた。
「それに、まだ、売れるかは分からないわ。昨日、見積もりを出し直していただいたところなの」
母に、髪が乾いたことと、小さい石でも使えそうなことを話すと、喜んでくれた。
リナが戻り、茶器を少し寄せて絵を広げた。イザベルは隣の椅子へ移ってくる。
イザベルは絵に目を走らせた。
「この絵も、あなたが描きましたの?」
「いいえ。職人の方が描いてくださったの。私が描いたのは……こちらよ」
クラリッサは下に重なっていた紙を抜き、隣へ広げた。太い支えと、丸い口のついた筒。並べてみると、思っていた以上に違った。
イザベルが二枚を見比べ、口元を緩める。
「下手なのは分かっているわ。お母様にもリナにも、もう言われたもの」
「まだ何も申し上げておりませんわ」
「お顔に出ている」
イザベルは笑い、職人の描いた絵へ目を戻した。
「ここに座って、風を当てますのね」
「ええ。椅子の脇に立てて、この先から風が出るのよ」
「こちらの二つは、何ですの?」
イザベルが、支柱の途中に描かれた丸い印を指した。
「つまみよ。風の強さと温かさを変えられるの」
「座ったまま、自分でも変えられますの?」
「どうかしら。昨日は、職人の方に変えていただいたから」
「では、それも試してみたいわ」
イザベルは絵を眺め、自分の髪へ手をやった。
「根元まで、ちゃんと乾きますの?」
「昨日は乾いたわ。二十分ほどだったと、職人の方が」
「この寒い時期に、二十分で?」
イザベルが絵から顔を上げた。
「ええ。髪を結ってもらって、そのまま帰ってきたの」
「それなら、お茶を一杯飲んでいる間に済みそうね。髪を洗ったあとで、お誘いが来ても困りませんわ」
イザベルは絵を手元へ引き寄せた。
「わたくしの髪でも、そのくらいかしら」
「どうかしら。試したのは、まだ私だけなの」
「では、わたくしも試してみたいわ」
クラリッサはイザベルを見た。
「工房で、髪を洗うのよ?」
「あなたは、そうなさったのでしょう?」
「ええ。奥の部屋を借りて」
「なら、わたくしにもできるでしょう。ばあやには、前もって話しておきます」
言い切ってから、イザベルは絵へ目を戻した。
「それに、お売りになるなら、あなた以外の髪でも確かめておいた方がよろしいわ」
「それは、助かるけれど」
「けれど?」
「すぐに行けるか、まだ分からないの。場所をお借りするにも、職人の方のご都合があるから」
「それもそうですわね。では、ご都合を伺っていただける?」
クラリッサは笑みをこぼした。訪ねてきたときには言葉を探していたイザベルが、今は返事を待ちかねるようにこちらを見ている。
「ありがとう。訊いてみるわ」
「楽しみにしておりますわ」
イザベルはリナへ声をかけた。
「紙を一枚、いただけるかしら。休暇のうちで、空いている日を書いておきますわ」
リナが紙とペンを用意する間に、クラリッサはイザベルを見た。
「二人で、こんなに話し込むのは珍しいわね」
「ええ。すぐに失礼するつもりでしたのに」
イザベルは受け取った紙を絵の隣へ置き、日付を書きつけた。
「この日は、一日空いておりますわ」
「では、その日で訊いてみるわ。エレナにも声をかけてみようかしら」
「ええ。ご一緒できるとよいですわね」




