↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
34/41

第0章 33話 咎はない

 王宮の使者が来たと聞いて、クラリッサは母の部屋へ急いだ。


 いつも殿下(でんか)のそばにいる侍従(じじゅう)だった。卓に開かれた文を見て、母の顔を見る。母は寝台から身を起こしたまま、こちらへ文を差し出した。


 王宮へ伺(うかが)う日と刻限(こくげん)。その下に、王太子との縁組について、国王陛下(へいか)より沙汰(さた)を賜(たまわ)るとある。


「殿下へ差し上げたお手紙は、お届きでしょうか」


「はい。お渡ししております」


「お返事は」


「お預かりしておりません」


 侍従はそれだけ答えた。文には、殿下も臨席(りんせき)されると書いてある。会えるのだと思ってから、臨席、という字をもう一度見た。


 母が沙汰の内容を尋ねても、使者は答えを持っていなかった。代わりに、母が伺えないことを伝えると請(う)け合い、家令(かれい)の同行について打ち合わせて帰っていった。


「一緒に行けなくて、ごめんなさいね」


「お母様が謝ることではありません」


 母はクラリッサをそばへ呼び、手を取った。


「分からないことは、お尋ねしていらっしゃい。帰ってきたら、一緒に考えましょう」


 頷(うなず)くと、母は手を離した。立ち上がってからも、その温かさが残っている気がした。


     *


 指定された朝、クラリッサは喪服(もふく)で王宮を訪れた。


 リナは控えの間に残り、家令が母の挨拶(あいさつ)を預かって同行した。開かれた扉の先には、国王と王妃(おうひ)、その手前にはレオポルトの席がある。


 殿下の目がこちらを向いた。


 会釈(えしゃく)しかけて、足元へ視線を戻す。侍従が示す場所まで進み、まず陛下へ礼をしなければならない。


 左右に並ぶ人々の顔には見覚えがあった。王妃の近くにいるヴァレンティナも、こちらを見ている。夏に母と通っていたときには、自分もあの方々へ近づいて挨拶をした。今日は真ん中を歩き、止まる場所まで決められていた。


 家令が母の欠席を詫(わ)び、脇へ下がる。国王は父の死を悼(いた)み、夫人にも体を大事にと伝えた。そのお言葉に礼を返すところまでは、家へいらした方を迎えるときと同じだった。


 国王が目を向けると、役人が文を読み上げた。


「王太子レオポルト殿下と、ローズグレイス公爵(こうしゃく)家令嬢(れいじょう)クラリッサ嬢との婚約の儀は、期日を定めず延期する」


 耳に入った言葉を、文にして読み直すように考えた。


 延期。期日は決めない。


 父の件が片づくまで、という条件もない。


「儀に向けた準備は、これをもって取りやめる。再開については、王家より改めて知らせるものとする」


 役人は読み終えた文を下げた。


 取りやめる日は今日で、始める日は決まっていない。それでも、破棄(はき)とは仰(おっしゃ)らないのだ。


 上手な言い方だわ、と思った。


 意味が分かったあとに、殿下の名と自分の名が胸に迫ってきた。王宮で受ける教えも、卒業のあとの支度も、もう必要がない。その日のために母と選んだものが、家にはある。


 列の端で、誰かが隣の人へ口を寄せた。何と言ったかは聞こえなかったが、こちらへ目を戻すのは早かった。


 クラリッサは顎(あご)を引いた。そうしないと、口が開いたままになりそうだった。


「お沙汰を承(うけたまわ)った旨(むね)、お答えを」


 何と思うかは、訊(き)かれなかった。


 これでよろしいですかと、名を書く前には訊かれるはずだった。まだ何も結んでいないから、取りやめるのにこちらの承諾は要らない。ただ、承ったとは答えなければならない。


「謹(つつし)んで、承りました」


 礼をして、顔を上げた。俯(うつむ)いたままでいる理由まで、渡したくなかった。


 役人が文を畳(たた)もうとしている。クラリッサは口を開きかけたが、その人に尋ねてもよいのか分からず、唇を結んだ。


「陛下。私からも」


 国王が頷くと、殿下は席を立ち、クラリッサの前まで来た。顔が近くなるにつれ、さっき言えたばかりの返事が、もう一度は言えない気がしてくる。


「何か、申したいことがあるのではないか」


 クラリッサは、殿下の向こうの玉座(ぎょくざ)へ目を向けた。陛下がお決めになったことを、今ここで尋ねてよいのだろうか。


「……申し上げても、よろしいのでしょうか」


「そなたの目は、確かだ」


 思いがけない返事に、殿下へ目を戻す。


「初めて茶を共にした日に、王家の織物の誤りを指した。私の前でも、間違いを見つけて黙っている者ではなかった」


 壁の金糸も、茶器を置いたときの音も、覚えている。あの日は、お話ししたあとに隣へ呼んでくださった。今日は、ここから退くように言われている。


「でしたら、一つ、お尋ねいたします」


 殿下が頷いた。


「父がお金を受け取ったと、まだ決まっていないと伺っております」


「そのとおりだ」


 はっきりした返事だった。左右で身じろぎの気配がする。


「では、なぜ、私が殿下のお隣に立てないことだけは、先に決まるのでしょうか」


 殿下が口を開きかけた。


「レオポルト。その問いには、私が答える」


「クラリッサ」


 玉座から名を呼ばれた。殿下が身を引き、クラリッサも国王へ向き直る。


「これは、そなたの咎を裁く沙汰ではない」


「……はい」


「父君の件は、なお調べさせる。縁組については、王家が今の事情を踏まえて定めた」


 言い終えると、国王はこちらを見ていた。咎がないと仰る顔に、怒りはなかった。


「私に何か、改めるべきことがあるのでしょうか」


「そのようなことを求めてはおらぬ。知らせがあるまで、控えていなさい」


 何もない。


 お稽古(けいこ)で違(たが)えたのなら、直せばよかった。殿下の隣に立つのに足りないものがあるなら、教わって身につければよかった。今日のことには、そのどちらも求められていない。


 父の疑いが晴れたら、と訊きかけて、口を閉じた。儀を再開するとは、仰っていない。


 クラリッサは殿下へ顔を向けた。目が合い、何か仰るのを待った。


 隣に立てない、と自分で言ってしまった。


 違うと言ってほしかった。そういう意味ではないと、殿下から聞きたかった。


 殿下は答えなかった。やがて玉座へ一礼して席へ戻り、クラリッサはその背を見送った。役人が自分の名を呼んでいる。


「お下がりになってよろしい」


 もう一度礼をした。顔を上げると、役人は文を閉じ、次の紙を手元へ引き寄せていた。


     *


 控えの間の戸が開くと、リナが立ち上がった。


「お嬢様……!」


 クラリッサは立ち止まった。ここでは何を言ってもよいはずなのに、声が出なかった。


 リナがそばへ来て、外套(がいとう)を広げる。クラリッサは黙って腕を通した。


「……帰りましょう」


 いつものつもりで言ったのに、声がかすれた。リナの顔を見ると、続けて何か言えば泣いてしまいそうだった。


「はい。お車の用意はできております」


 家令が先へ立った。リナに留め具を掛けてもらい、その手が離れかけたとき、クラリッサは指をつかんだ。


 リナは何も訊かず、握り直してくれた。


 殿下へ出した便りは、届いている。読んでくださったかは、聞けなかった。お話ししたかったことは、もっとあった。


 廊下へ出ると、向こうから来た人たちが壁際へ寄った。一礼され、こちらも礼を返す。道は空けてくれる。今までどおり、公爵家の娘として。


 咎はないと、陛下は仰った。


 それで何も失わずに済むのなら、どれほどよかっただろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。