第0章 32話 もう一度
「殿下とのお話を、もう一度進めようと思ってな」
冬の休暇で屋敷へ戻って、まだ数日だった。夕食の前に父の部屋へ呼ばれたイザベルは、勧められた椅子へ座りかけていた。
「……殿下が、わたくしをと?」
「いや。儂から王宮へ申し入れる。うちには今もその気があるとな」
父は向かいの椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「お前には、申し入れる前に話しておこうと思った」
イザベルも座った。口元を引き締めるのが遅れた気がして、父の顔を見る。父は機嫌よく、こちらの返事を待っている。
自分は今、どんな顔で訊いたのだろう。
「ローズグレイス家とのお約束は、どうなりますの」
「見直しをお願いする」
「まだ、お約束は残っているのですわね」
「そうだ。お前が選ばれたという話ではないぞ。早合点はするな」
「しておりませんわ!」
声が大きくなった。父が片眉を上げる。
「では、何が気に入らん」
「なぜ、今になって」
「公爵が亡くなられた。あちらの家の事情が変わったからだ」
「それは、存じております」
クラリッサが休暇を待たずに屋敷へ帰ったと知った日を思い出した。あとから訃報を聞き、便りを出した。書き直しても、ありきたりなお悔やみの言葉にしかならなかった。
「ノルドでの金の話も聞いておろう。王家としても、そのまま儀の支度を進めてよいか、考えねばならん」
「お父さまは、あのお話を本当だとお思いですの?」
「まだ分からん。調べている最中だそうだ」
「でしたら、調べの結果を待てばよろしいでしょう」
「待っているうちに、クレルモン家が娘を推してくるぞ。王宮から声が掛かるまで、黙って座っているわけにもいかん」
イザベルは父を見た。この人は、待つのが嫌いだった。欲しいものがあるなら、誰よりも早く手を挙げろ。幼いころから、何度も聞いてきた。
「お前が気に病むことはない。これは儂が申し上げる話だ」
「わたくしの縁談でしょう」
「だから、こうして話しておる」
父の大きな手が、イザベルの肩に置かれた。
「あのときは悔しかったろう。儂もだ。お前なら、十分に務まると思っておったからな」
夏にも同じことを言われた。お前に足りないところがあったわけではない、と。そのときは、頷くのがやっとだった。
いまは、頷きたくなかった。
「わたくし、クラリッサさんにお祝いを申し上げましたの」
「うむ。それでよい。あのときに礼を欠かなかったのは立派だ」
「礼儀だけで申し上げたのではありません!」
父の手から肩を引いた。
「悔しいとも、ご本人に申し上げました。でも、お祝いはいたしましたわ。そのうえで、わたくしは別の方を探すと」
殿下に負けないくらい素敵な殿方を。そう言うと、あの子は紹介してほしいと答えた。
言わなければよかった、とは思いたくない。
「あの場では、そう言うほかなかったろう」
「お父さま」
「分かっておる。今さら顔を合わせづらいのだな。だが、それでお前が望んでいた縁談を捨てることはない。お前があちらの不幸を招いたわけでもなかろう」
胸のあたりが、かっと熱くなった。
「そんなことは分かっております!」
父は口を閉じた。イザベルは椅子から立ち上がる。
「わたくしが何かできるようになったから、このお話をなさるのではないでしょう。クラリッサさんのお父さまが亡くなったから、でしょう?」
「お前のよさは、以前から変わらん。儂はそう言っておる」
「でしたら、どうして以前は選ばれませんでしたの」
訊いた途端、唇を噛んだ。
それを父に訊いて、どうするのだ。夏にも訊けなかったことを、今さら。
「イザベル。縁組には家同士の都合もある。お前がどれだけよくできた娘でも、儂の思うとおりにはならん」
父は、まだ座ったままこちらを見上げている。
「今なら、その都合がこちらに向くかもしれんのだ。儂がお前を推すのに、何を遠慮する」
父に、もう一度自分の名を挙げてもらう。それで選ばれたとして、今度こそと喜べるだろうか。
選ばれたかった。けれど、この話がまとまって父に「よかったな」と言われても、頷ける気がしなかった。
「わたくしからお願いしたとは、仰らないでください」
「まだ何も決まってはおらん。そうむきになるな」
「お約束くださいませ」
父の笑みが消えた。
「お前が頼んだとは言わん。だが、儂からのお話はする。今ここで断るような返事も要らん。少し落ち着いて考えなさい」
断りかけた口を閉じ、イザベルは頭を下げた。
「失礼いたします」
「夕食には降りておいで。今夜はお前の好きなものを作らせてある」
いつもの父の声だった。
イザベルは振り返らず、戸を閉めた。廊下へ出ても顔が熱い。部屋まで迎えに来た侍女が何か言ったが、すぐには返事ができなかった。
殿下が、わたくしをと。
あんなふうに訊かなければよかった。




