第0章 29話 会いたい
冬の休暇まで、講義はあと数日になっていた。
その日の午後、家から迎えの馬車が来た。クラリッサはリナと屋敷へ戻り、侍女に母の寝室へ案内された。
暖炉には火が入っている。母はそのそばの長椅子に座り、背にクッションを重ねていた。膝から足元まで、厚い毛布が掛かっている。
寒くなってから、母が寝台を離れていることは少なかった。
「お母様。起きていらして、大丈夫ですか」
「ええ。あなたと、話をしたくて」
母が小さく咳をした。そばの侍女が湯の入ったカップを差し出すと、一口含み、少し待ってから返す。
「こちらへいらして」
クラリッサは外套をリナに預け、母の隣に腰を下ろした。
「お父様のことで、知らせがあったの」
「お帰りが遅くなるのですか?」
母はすぐには答えなかった。
「ノルドで、お通りになっていた道が崩れたのですって。お父様の馬車が、下へ落ちてしまって」
「お怪我を?」
母の手が毛布から出てきた。クラリッサの手を包み、指を握る。
「……お父様は、亡くなったの」
暖炉で薪が崩れ、火の粉が上がった。
クラリッサは母を見ていた。
「お父様が?」
「ええ」
「でも、助けに……一緒にいらした方は」
「助けようとしてくださったそうよ。けれど、間に合わなかったと」
母の指に、少し力がこもった。
「今朝、王城から使いの方がいらしたの。一緒に旅をしていた方が、お父様だと確かめたと、そう伺ったわ」
確かめた。
聞き間違いではないらしい。母も同じことを聞いたのだろうか。父で間違いないのかと。誰かが、それに答えたのだろうか。
クラリッサは母の指を握り返した。
「いま、どちらに」
「まだ、ノルドにいらっしゃるの。お連れする手配を、お願いしてあるわ」
「いつですか」
「まだ、分からないのよ」
帰ってくる日も分からない。
クラリッサは頷こうとして、やめた。何に頷くのか、自分でも分からなかった。
母も何も言わず、しばらく二人で座っていた。
リナが茶を運んできて、母の侍女は卓の薬瓶を脇へ寄せた。
カップを持たされると、初めて手が冷えていたことに気づく。指で包んでいるだけで、口をつけるのを忘れていた。
「少しでよろしゅうございますから……」
リナに言われて、一口飲んだ。熱くて、舌の先が痛んだ。
「少し、二人にしていただけるかしら」
母が言うと、リナは頷き、母付きの侍女と部屋を出ていった。
戸が閉まってから、母は長椅子の背に体を預けた。
「お母様。横になられますか」
「ええ……少しだけ」
クラリッサはカップを置いて立ち、クッションを直した。母が横になるのを支え、ずれた毛布を肩まで掛け直すと、その下から手が伸びてきた。
「そばにいてちょうだい」
「はい」
空いた端へ座り直した。
母は目を閉じたが、手は離さなかった。クラリッサも握っていた。少し眠れたら、そのあとは何をすればいいのだろう。食事を運んでもらおうか。母が起きてから訊けばいい。
父にも、休んでもらわなければ。
そこまで考えて、母の手を見下ろした。
帰ってきても、もう休むとか、食べるとか、そういうことではないのだ。
「……お母様」
目を開けた母へ、何か言おうとした。お茶が冷めてしまうとか、部屋が暗くなったとか、そういうことなら言えるはずだった。
「私、お父様に会いたいです」
言うと、母の顔が歪んだ。
「わたくしも、会いたいわ」
母が腕を伸ばした。クラリッサは毛布を避けて身を寄せ、その肩へ額を押しつけた。息がうまくできなくなった。
「お父様……」
もう一度呼ぼうとしたのに、声にならない。母の服を掴んで、口を開けたまま泣いた。
髪を撫でていた母の手が止まり、背中へ回った。抱きしめられたまま、母の泣く声も聞こえた。




