第0章 28話 食事の報告
婚約の予定が公にされた年の、秋も終わりに近づいていた。父がノルドへ発つ前日に、クラリッサは学園から一晩の帰宅を許された。
家へ帰っても、父に会えるとは限らない。明日は朝早く発つから、今夜は三人で食事をしましょうと母から便りが来て、クラリッサはその日のうちに外泊を願い出た。
玄関には、父の旅の荷が揃えられている。従者が革の書類箱を持ち上げるのを見て、クラリッサはリナと廊下の端へ寄った。箱は、待たせてある荷馬車へ運ばれていく。
「お父様は?」
「書斎でございます。お嬢様がお帰りになったことは、お伝えしてありますよ」
リナは鞄を持ち直し、階段を上がりかけて振り返った。
「お着替えが先です」
「分かっているわ」
「お嬢様のお部屋は、こちらですよ」
見ていただけなのに。クラリッサはリナのあとを追った。
*
夕食には、父のほうが先に来ていた。母も肩掛けを羽織って席に着いている。
「遅くなりましたか」
「いいや。座りなさい」
クラリッサが腰を下ろすと、給仕がスープを運んできた。母は父の皿を見て、それからこちらに微笑む。
「今日はお父様のほうが早かったのよ。いつもは、わたくしたちが待っているのにね」
父は何も言わずに匙を取った。否定はなさらないのだと思うと、笑いそうになった。
「王宮へは、通えているか」
「はい。学園の講義がない日に」
「殿下とは、学園でお会いするか」
「……はい。講義のあとに、お話しすることもございます」
「そうか」
それ以上は訊かれずに済んだ。母は訊きたそうな顔をしていたが、父が旅の日程を話し始めたので、そちらへ向き直る。
ノルドでは、救援の費用と、冬の荷の運び方を話し合うのだという。国境を越える前にも、国内の北部で何か所か立ち寄る予定があった。母は訪問先を書いた紙を受け取って、帰路のところまで目を通した。
「冬の休暇には、お戻りになれます?」
「そのつもりだ。先方との話が長引けば、便りを出す」
「長引かなくても、お願いいたします」
「着いたら知らせる」
母は紙を畳み、手元へ置いた。
「いつも、着いた、異状はない、ばかりですもの。何を召し上がったかでも、書いてくだされば嬉しいのに」
「食事の報告が要るのか」
「わたくしは、読みたいですわ」
「私もです」
思わず加わると、父がこちらを見た。
「二人とも、変わったものを読みたがる」
「お父様がどんなところにいらっしゃるのか、知りたいのです」
父の旅先は、地図では何度も見ている。けれど、そこで食卓に着いている父の姿は、うまく思い浮かばなかった。いつものように黙って食べているのか、相手に合わせて話すのか。
「お食事のあいだも、お仕事のお話をなさるのですか」
「相手による」
「お仕事のお話は、お書きになれませんものね」
「お前にも、家へは書かない話があるだろう」
母が笑った。クラリッサは殿下と二人で話した日のことを思い出し、匙を皿へ戻す。
「……食事の話なら、お返しできます」
「なら、そうしよう」
それで決まったらしかった。鴨の皿が運ばれてくると、母がこれは今夜の分に数えるのかしらと言い、父はまだ発ってもいないと答えた。
*
翌朝、玄関前には護衛の馬が並んでいた。軍務局から同行する者たちが父へ挨拶をし、従者が馬車の扉を開けて待っている。
父は母に出立を告げ、クラリッサへ顔を向けた。
「学園へ戻るのは、昼か」
「はい。母とお茶をいただいてから」
「遅れないようにしなさい」
言いながら、父の手が伸びてきた。頭に触れるのかと思ったら、外套の襟が内側へ折れていたのを直される。
「風が冷たい。中へ入りなさい」
「お見送りしてからにいたします」
父は手を下ろし、母にも顔を向けた。
「体を冷やさないように。長く外にいるな」
「ええ。あなたが乗られたら、すぐ戻りますわ」
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
門へ向かう馬車と護衛を、母と並んで見送った。開いた門の向こうで、先頭の騎手が街道へ馬を向けた。
母が小さく咳をして、肩掛けを寄せた。クラリッサはその背に手を添え、一緒に屋敷へ戻った。昼までには、自分も学園へ発つ。
朝食には何が出るだろう。父に書くなら、まずは今日の分からだった。




