第0章 27話 おめでとう
夏の休暇が終わる前に、王宮から婚約の予定が公にされた。
正式に婚約を結ぶのは、クラリッサが学園を卒業してから。けれど、殿下の隣に立つ者として、名はもう出ている。母と通っていた王宮でも、挨拶のあとに祝いの言葉が続くようになった。
公表された日のうちに、エレナへ手紙を書いた。ずっと黙っていなければならなかったことを、ようやく伝えられる。殿下と話して、嬉しかったことも書こうとして、そこだけは便箋を一枚替えた。
返事はすぐに来た。おめでとう、と最初の行に大きく書いてあった。
*
休暇明け、寮の部屋で荷をほどいていると、廊下から名前を呼ばれた。
クラリッサが戸を開けるより早く、もう一度声がする。
「クラリッサ。戻ってる?」
「ええ。いま着いたところ」
エレナは小さな包みを抱えていた。目が合うと笑い、そのまま両腕を広げかけて、包みを持っていたことに気づく。
「これ、先に置かせて」
机へ置くと、今度はクラリッサの両手を取った。
「おめでとう!」
「ありがとう。お手紙も」
「読んで、すぐ書いたの。ちゃんとしたことを書かなきゃと思ったんだけど、おめでとうばっかりになっちゃって」
「嬉しかったわ」
手を取られたまま答えると、エレナが笑った。
「手紙じゃ足りなくて。早く会って言いたかったんだ」
クラリッサも、その手を握り返した。王宮で何度もお祝いを言われたときには、教わったとおりに礼をして、次の人へ向き直っていた。いまは、何を言えばよいか分からなくても、急いで手を離さなくていい。
「あなたには、自分の口でもお話ししたかったの」
「聞かせて。荷物も手伝うから」
「帰ってきたばかりなのに、働かせられないわ」
「私、昨日からいるよ」
エレナは手を離し、椅子の上に積んであった本を持ち上げた。クラリッサが棚を指すと、順に収めていく。
「うちの父も、おめでとうって。私の友達だって、お店に来る人に話してるの」
「まあ。お父様まで」
「私が嫁ぐわけでもないのにね」
笑って振り返るので、クラリッサも笑ってしまった。
「お父様にも、お礼をお伝えして。私からも、お手紙を書いてよいかしら」
「喜ぶと思うけど、調子に乗っちゃいそう。額縁に入れて、お店に飾ってしまわないか心配」
「……では、お礼はあなたから伝えてちょうだい」
最後の本が棚へ収まった。空いた椅子にエレナが座り、クラリッサも向かいへ腰を下ろす。
「いつから聞いてたの?」
「春よ。休暇で帰ったときに、父から」
「大会の前?」
「ええ。あのときには、もう」
エレナは頷いて包みを開き、母親が持たせてくれたという焼き菓子をクラリッサのほうへ寄せた。
「口外しないようにと。あなたと殿下のお話をしたときも、言えずにいたの」
「そういうこともあるよ」
責める様子のない声に、ようやく肩の力が抜けた。
殿下に気持ちを伺ったことも話した。嬉しかったと、すぐに答えてくださったこと。自分も、これからも会いたいと申し上げたこと。手紙ではうまく書けなかったところまで話すうちに、頬が熱くなる。
エレナは菓子へ伸ばしていた手を止めて聞いていた。
「そういうこと、もうお話ししてたんだ」
「ええ。少しだけ」
「少し?」
「……私には、少しではなかったけれど」
エレナが笑った。からかう言葉が来るかと思ったのに、菓子を一つ取って、こちらの手へ載せてくれる。
「よかったね!」
クラリッサは頷いた。自分が嬉しかったことを、エレナも喜んでくれている。
*
翌日の昼休み、教室を出たところでイザベルに呼び止められた。廊下の窓辺に、同じ組の令嬢を待たせている。
「お祝いを申し上げますわ、クラリッサさん」
足をそろえ、いつもの挨拶より丁寧に礼をする。クラリッサも立ち止まって応じた。
「ありがとう。あなたにも、私からお話ししたかったのだけれど」
「公表までは、お話しできませんでしょう。うちにも、殿下との縁談はありましたから」
顔を上げたイザベルは、こちらをまっすぐ見ている。
「悔しくないと申し上げたら、嘘になりますわ」
クラリッサは口を開きかけたが、言葉が出なかった。イザベルの眉が寄る。
「お祝いを申し上げましたのよ。そんなに困られては、わたくしが意地悪を言いに来たようではありませんか」
「……ごめんなさい。嬉しいわ」
「でしたら、謝らないでちょうだい」
クラリッサはイザベルを見た。
「ありがとう」
「ええ」
イザベルは顎を上げた。
「わたくしも、殿下に負けないくらい素敵な殿方を見つけてみせますわ」
「そのときは、紹介してちょうだいね」
「もちろん。あなたに羨ましがっていただきませんと」
窓辺へ戻る足取りは速かった。待っていた令嬢に何か訊かれ、イザベルが首を振る。二人は並んで食堂のほうへ歩いていく。




