第0章 25話 お返事をいただけるように
王妃との話を終えると、そのまま午後のお茶にも残るよう勧められた。
夏の休暇に入って最初の訪問だった。これから王宮へ通う日を決め、教えを受ける女官に挨拶をする。そこまでは母と聞いてきたとおりだったが、別室には、もう何人もの客が集まっている。
「お母様。お茶のことも、お聞きになっていたのですか」
「いいえ。でも、せっかくお誘いいただいたのですもの」
「お疲れではありませんか」
「まだ来たばかりよ。あなたこそ、座ってお茶を飲みたくない?」
母に手を添えられ、クラリッサも部屋へ入った。
窓辺には小さな卓がいくつか並び、庭へ続く扉も開け放してあった。王妃が席に着くと、それまで立って話していた人たちが、挨拶をしながら椅子を引く。母は知り合いに声を掛けられ、クラリッサもその隣へ座った。
「クラリッサ。クレルモン家のオーレリアさんよ」
うちと同じ、四大公爵家の一つだ。母に紹介され、斜め向かいの令嬢へ挨拶をした。私よりいくつか年上の人だった。柔らかな緑の髪を高い位置で束ね、緩く波打つ毛先を背へ垂らしている。
「お会いできて嬉しいわ。学園は、もう夏のお休み?」
「はい。先週からです」
「では、しばらく王都に?」
「ええ。オーレリア様も?」
「そのつもりです。母からは、領地は涼しいと手紙が来るのですけれど」
「お戻りにはならないのですか」
「留守にした日に限って、お会いしたかった方がいらっしゃるのですもの。去年も、それで一人、会い損ねました」
オーレリアが笑うと、同じ卓の夫人が顔を上げた。
「ああ、あの方。結局、お会いになれたの?」
「ええ。秋に。夫人がお手紙を添えてくださったおかげです」
クラリッサへ向き直り、会いたかったのは南から織物を買い付けている商会の夫人なのだと教えてくれた。
「織物をお探しだったのですか」
「うちの領地のものも、扱っていただきたくて。持っていった見本より、わたくしの袖のほうを気に入られてしまったのですけれど」
そう言って、袖口を少し返す。縁に細い銀糸の刺繍があった。クラリッサが身を寄せると、見やすいように手を伸ばしてくれる。
「そちらをお売りになったのですか」
「同じものを作って、お送りしました。さすがに、袖を外して帰るわけにはまいりませんから」
母が笑い、クラリッサもつられた。
「オーレリア様」
女官がそばへ来て、王妃の卓を示した。オーレリアはすぐに頷く。
「失礼いたします。また、ゆっくりお話しさせてくださいね」
席を立った彼女を、王妃の隣の夫人が笑顔で迎えた。
入れ違いに、別の卓から一人の女性がこちらへ歩いてきた。
「モンフォール夫人よ」
母が教えてくれた。クラリッサを捜すために、運送商を連れてきてくださった方だ。帰宅してから母に聞き、お礼の手紙を書いた。
クラリッサは椅子から立ち、こちらへ来た夫人に頭を下げた。
「その節は、ありがとうございました。直接お礼を申し上げたくて」
「お手紙をいただきましたよ。もう学園にもお戻りになったと」
ヴァレンティナ・モンフォールは、顔を上げたクラリッサを見て微笑んだ。
「よかった。今日はお顔も見られましたね」
「夫からも、くれぐれもと申し付かっております」
母が言うと、夫人は首を振った。
「お二人とも、もう十分にお礼を言ってくださいました。どうぞ、お掛けになって」
クラリッサも腰を下ろして隣の席を勧めると、ヴァレンティナは女官に一言告げてから腰を下ろした。母が夫人へ茶を勧めていると、別の卓から声が掛かった。
「セリーヌ様。少し、こちらへいらしてくださらない?」
手招きする夫人へ頷き、母はヴァレンティナへ向き直った。
「少し失礼いたします」
「ええ、どうぞ」
母はクラリッサにも「すぐ戻るわね」と声を掛けて席を立った。
「ご無事にお帰りになれて、本当によろしゅうございました」
卓の向こうから声を掛けられ、クラリッサは向き直った。
「ご両親も、さぞご心配でしたでしょう」
ロシェ夫人、と先ほど紹介された人だった。夫が軍にいたころ、父に世話になったという。
「ええ。皆様に、ご心配をお掛けしました」
「閣下は今も、お忙しくていらっしゃるのでしょうね」
「帰りの遅い日が多いです」
「実は、うちの主人が、先月から床についておりまして」
「お加減はいかがなのですか」
「良い日には、起きて食事も取れるのですけれど。長男を一度帰らせてやりたいのです。駐屯地へ願いを出しましたら、軍務局へ回したと返事が来たきりで」
「息子さんとは、長くお会いになっていないのですか」
「冬からです。主人には、もう帰ってこられるだろうかと毎朝訊かれますの。今日こそお返事が来るかもしれませんよ、と言って出てまいりました」
夫人は笑おうとして、口元だけを動かした。
「こちらなら、どなたかにお話を伺えるかと思いまして。お嬢様からも、閣下へ一言お願いしていただけませんでしょうか」
父に話すことならできる。何も知らなかったことにして帰るのも、嫌だった。
「お話は、お伝えいたします。ただ、私には、お帰りになれるかどうかは……」
「ええ、もちろん。閣下がお気に留めてくだされば、それだけで」
夫人の声が明るくなった。
「主人にも、ローズグレイスのお嬢様にお願いできたと申せますわ」
クラリッサは口を開きかけた。父が今夜帰るかも、まだ知らない。夫人だけでなく、ご主人まで、父が願いを聞き届けるものと思ってしまわないだろうか。
「ロシェ夫人。軍務局へ回したというお返事は、お手元にございますか」
ヴァレンティナが尋ねた。
「はい。屋敷に」
「あとで、写しを私のところへお届けください。どなたが扱っているか、うちから問い合わせてみましょう」
「お頼みしても、よろしいのでしょうか」
「ええ。ただ、帰省のお許しは、軍の方がお決めになることです。まず、お返事をいただけるように。お嬢さんも、そこまではお約束できませんから」
最後の言葉に、夫人の目がこちらへ戻った。
「……急かしてしまいましたね。ごめんなさい」
「いいえ。私も、お会いになれたらと思います」
それは、迷わず言えた。
ヴァレンティナはそばの侍女を呼び、屋敷へ届く文について短く言い付けた。
ロシェ夫人は、今日のうちに写しを届けると言った。王妃へ辞去の挨拶をするため席を立つときも、ヴァレンティナとクラリッサにそれぞれ礼をした。
その背を見送り、クラリッサはヴァレンティナへ向き直った。
「お約束はできないと申し上げるつもりだったのに、あんなに喜ばれると、続けにくくて」
「帰ってくると言ってほしかったのでしょうね」
ヴァレンティナは、女官に案内されて王妃の卓へ向かうロシェ夫人に目をやった。
「でも、ご主人にお話しになったあとで訂正するほうが、ずっとおつらいでしょう」
病床で息子を待っている人の顔を、クラリッサは知らない。けれど、明日の朝も同じことを訊くのだろうと思った。
母が席へ戻ってきたので、ロシェ夫人から頼まれたことを話した。モンフォール夫人が問い合わせてくださることも伝えると、母は夫人へ礼を言ってから、こちらへ向き直った。
「お父様に、お話ししておきましょうね」
自分の皿には、手をつけていない菓子があった。母と席に着いたときに勧められたものだ。ようやく一つ取ると、ヴァレンティナも皿へ目を落とした。
「それ、おいしそうですね。私も一つ、いただいてよろしいかしら」
クラリッサは皿を持ち上げ、ヴァレンティナへ差し出した。
「もちろんです。どうぞ」
「ありがとう」
ヴァレンティナが取ったあとで、クラリッサも口へ運んだ。薄い生地がほどけ、中の杏が酸っぱい。思わず口をすぼめると、隣で母が笑った。
「そんなお顔になるほど?」
「お母様も、召し上がってください」
母にも皿を差し出した。今度、王宮へ来たら、ロシェ夫人の息子が帰れたか訊いてみよう。夫人にお会いできなくても、モンフォール夫人なら教えてくださるだろう。




