第0章 19話 明日も、来られる?
翌日の午後、エレナが訪ねてくると聞いて、クラリッサは寝台から窓辺の椅子へ移った。リナが膝に薄掛けを広げ、もう一脚を隣に置く。
「こちらでよろしいですか?」
「もう少し近くにして」
「はいはい。お茶を置くところは空けてくださいね」
ほどなく扉が開き、母に続いてエレナが入ってきた。いつもの制服で、片手に包みを提げている。
「エレナ。来てくれてありがとう」
隣の椅子を示したが、エレナはクラリッサの顔を見たまま動かなかった。
「では座って。昨日は、心配をかけてしまって——」
「無事でよかった!」
包みをリナへ預けるなり、エレナがそばへ来て膝をついた。肩へ回された腕に、クラリッサも腕を重ねる。
「昨日のうちに帰れたって聞いて、本当にほっとしたの」
「ええ。帰れてよかった」
エレナの頬が濡れていた。背中に触れると、抱きしめる腕に力がこもり、すぐに緩む。
「あ、ごめん。痛くない?」
「平気よ」
顔を見合わせてから、エレナはようやく隣へ座った。目元を拭いているあいだに、母も卓の向こうの椅子を引き寄せる。
「お待たせしてしまったわね。玄関で私がついお引き留めして」
「お話は済みましたの?」
「ええ。この子、学園ではどんなふうかしらと伺っていたのよ」
「私にお訊きになればよろしいのに」
「あなたに訊くと、授業の話ばかりでしょう」
エレナがハンカチを畳みながら頷いた。
「お昼も、よくその続きになります。前に先生がおっしゃったことと違うって、食べながら考えていたり」
「エレナ。お茶をどうぞ」
「まだお淹れしておりませんよ」
リナがポットを持ち上げた。母が笑うと、エレナまでつられて笑った。
「でも、分からないところを訊くと、教えてくれるんです」
「そう。では、続きを聞かせて」
「お母様」
「褒めてくださっているのに」
クラリッサは受け取った茶を飲んだ。自分の部屋なのに、話を止められる相手が一人もいない。
卓に置かれた包みへ手を伸ばすと、エレナが思い出したように紐をほどいた。中には手紙が何通も入っている。封筒のあるものと、折ってあるだけのものが混じっていた。
「皆から預かってきたの。こっちはユーグ。お礼なんかいいから休んでろ、って。渡すときにも言ってた」
「手紙でも、休めと言われるのね」
「わたくしから申し上げる手間が省けました」
リナまでそう言うので、クラリッサは母を見た。
「学園には、いつ戻れますか」
「ひとまず数日はお休みなさい。戻る日は、具合を見て決めましょう」
「授業が進んでしまいます」
「そこは私が教えるよ」
エレナが言った。
「授業で書き取ったものも持ってくる。私だって、ちゃんと聞いてるもの」
「疑っていないわ」
「じゃあ、任せて! 分からないところは、先生に訊いてから来るから」
母がクラリッサへ頷いてみせた。自分で学園へ行く理由を探すのは諦めて、ユーグの手紙をほかの便りと重ねる。読むのはあとでいい。せっかく来てくれたエレナと、今は話していたかった。
「ほかの皆は、怪我はなかった?」
「うん。先生が一人ずつ確かめてた。寮に戻っても落ち着かなくて、夜、お手紙が来たときはマノンと一緒にいたの」
「彼女にも、ありがとうと伝えて。お返事も書くわ」
「うん。今日のこと、皆に話してもいい?」
「ええ。元気にしていたと」
「よかった。皆、聞きたがってるから」
エレナが菓子の皿をこちらへ寄せ、自分も一つ取った。クラリッサも小さな焼き菓子に手を伸ばす。
「明日も、来られる?」
「授業が終わってからなら。いいですか?」
後半は母へ向けての問いだった。
「ええ、いらして。」
「ありがとうございます。勉強以外の話も、たくさんあります!」
「そちらのほうが長くなりそうね」
クラリッサが言うと、エレナは菓子を持ったまま身を寄せてきた。
「そうだ、お芝居。あの喜劇を観た子がいたの。すごく面白かったって」
「イザベルさんたちが観たいと言っていた?」
「うん。主人の代わりに召使いが出かけるんだけど、本人も来ちゃうんだって。それで、どっちが本物か分からなくなるらしいの」
「ああ、あのお芝居ね。私も観たことがあるわ」
母の言葉に、エレナが顔を向けた。
「本当ですか?」
「ええ。最後に奥様が——」
「お母様、まだ言わないで」
クラリッサが止めると、エレナも慌てて頷いた。
「そこは、観てから知りたいです」
「あら、ごめんなさい」
母は口元を押さえたが、目は笑っていた。クラリッサもその芝居はまだ観ていない。エレナと一緒に驚いたり笑ったりしたいのに、先に結末を知ってしまうのはつまらない。
「皆で行けたらいいわね」
「行きたい! お話を聞いたら、ますます」
エレナは母へ向き直った。
「でも、初めて観るなら、ほかにもいいお芝居はありますか?」
「そうねえ。歌のきれいなものもあるし……。話していたら、私もまた行きたくなってきたわ」
母がクラリッサを見る。
「ご一緒してもよろしいかしら」
「まだ、皆にも相談していませんけれど」
「もちろん。決まったら教えてちょうだい」
「奥様とご一緒なら、分からないことも伺えますね」
エレナが嬉しそうに言うので、クラリッサは母を見た。
「結末まで教えていただけるわよ」
「そこは困ります!」
「あら。もう言いませんよ」
母が笑い、エレナも笑った。明日はイザベルの組のことも聞いてきてもらおう。あの喜劇の、結末以外の話も。




