第0章 18話 間に合うはずでした
取り寄せた二冊の帳面を前に、ガスパールは薄いほうを開いた。
「先に申し上げますが、精算をお願いした便の荷は、すべて届いております」
「その件で納入先と争ってはおらん。費用の説明をしてくれ」
レオポルトも帳面をのぞき込んだ。ガスパールが開いた頁には、日付と倉庫の名、その横にいくつもの金額が並んでいる。倉庫を借りるだけでなく、荷を下ろし、積み直す者にも払うのだという。
「この費用は、ノルドで荷を受け取る商会と分担しておりました。こちらが払う分と、先方が払う分を決めて」
「この金額は」
アランが一行を示す。
「先方の負担です」
「先方が払った分まで、我が国へ請求したのか」
「……はい。ただ、向こうも同じことをしております。うちが払った分まで、あちらの国へ」
「待て。向こうがそうしていることも、知っていたのか」
レオポルトが口を挟むと、ガスパールは答えをためらった。
「……先方の担当と、話はつけておりました」
「それで、両方の国から全額を受け取っていた?」
「はい」
請求が重なっているかもしれないとは聞いていた。だが、この男たちは、互いの請求を知っていたのだ。一度しか払っていない倉庫代を、国にはそれぞれ払わせていた。
「それを、向こうもしているからと——」
言いかけてアランを見る。彼はガスパールから目を離さずにいた。その顔に驚いた様子がないのが、レオポルトにはかえって気にかかった。
「公爵は、ここまで疑っていたのか」
「そのために帳面を求めておりました。ただ、いつから、どれだけ続けてきたのかは、まだ」
叱りつけたくて口を開いた自分とは、聞こうとしていることが違う。レオポルトは帳面を寄せ、日付の欄へ指を置いた。
「この前にもあるのか」
「……はい。ただ初めからではございません。何度か取引を重ねてからです」
どれだけの金が渡ったのだろう。机の二冊で全部なのかも分からない。レオポルトが頁を繰るあいだに、アランが尋ねた。
「私が求めた帳面を出さなかったのは、このためか」
「それも、ございます」
ガスパールの目が、まだ閉じてあるもう一冊へ向いた。
「ノルドで、先方の請求が調べられました。払いすぎた分を返すよう言われたそうです。それで、こちらにも金を出せと」
「返す金を、お前たちにも負担しろと?」
レオポルトが尋ねると、ガスパールは身を乗り出した。
「はい。ただ、いくら出すかで折り合わず……。こちらにも儲けさせてやったのだからと、ずいぶん求めてきまして」
まるで先方の要求が不当だと、認めてもらいたそうな口ぶりだった。レオポルトは返事ができずにいたが、ガスパールは構わず続ける。
「一部は先に払いました。残りは、話し合うつもりで」
「金はどこから出した」
アランの問いに、ガスパールは帳面へ目を落とす。
「私の手持ちと、荷を売った代金です」
レオポルトは聞き返した。
「売るための荷か」
ガスパールは答える前に、アランを見た。
「……次にノルドへ届ける分です」
「届けるはずの荷だぞ」
思わず帳面から手を離した。金を余分に取っていても、荷は届いていた。さっきまでの話ではそうだったはずだ。
「では、次に送る分は、今は足りないのか」
「納期には間に合わせるつもりでした。買い直せる品ですので」
「その代金は、先方へ払ったのではないか」
「すでに納めた便の追加費用が、入るはずだったのです。国から払っていただければ、次の荷はそろいました」
「私が認めなかった支払いか」
「はい。いつもなら、もう入るころでしたので」
アランが薄い帳面を閉じ、脇へ寄せた。
「私に来たときは、運んだ者への支払いができないと言っていたな」
「それは本当です。今回の精算から払うはずの運賃も、残っております」
「正しく請求した分だけで、買い直せるのか」
「……それだけでは、運んだ者たちへの支払いでなくなります」
正しく払うだけでは足りない。先方が負担した倉庫代まで、この国から受け取るつもりだったのだ。
「また余分に取って、それで穴を埋めるつもりだったのか」
レオポルトの問いに、ガスパールは目を伏せる。
「……当座は。それで納めさえすれば、あとのことは、どうにかできました」
「どうにか、とは」
アランが尋ねる。
「返すべき分は、少しずつでも返します。商いを続けられれば、返せます。ですが、ここで荷が途切れれば、私にはもう次の仕事が……」
途中で口をつぐんだ。アランは続きを促さなかった。
レオポルトは、商会にはほかに金を用立てる者がいないのかと尋ねた。ガスパールは代表に報告していないと答える。
「なぜだ」
「……荷を売ったと知れれば、私から仕事を取り上げます」
「納めるために必要な金なら、相談すべきだっただろう」
「私が戻せるはずだったのです」
ガスパールは閉じた帳面を自分の前へ引き、開こうとしてやめた。
「誰に頼めば荷がそろうかも、どこで馬車を替えれば間に合うかも、分かっていました。金さえ入れば、私なら間に合わせられたのです!」
レオポルトには、もう任せられないとしか思えなかった。王国の金も、届ける荷も、この男が自分の仕事を守るために使っている。それでもガスパールは、アランの返事を待っていた。
アランは答えず、上着の内側から畳んだ紙を出す。
「娘が持たされていた」
広げたのは、運賃の請求書だった。商会へ支払いを求める文が、日を変えて書き足されている。
「この業者は、今の話を知っているのか」
「……知りません」
「娘を攫った者とも、関わりはないのか」
ガスパールは請求書を見つめたまま、頷いた。
「娘には、この者たちが金に困って攫ったと話したそうだな」
「……払われていないのは、事実です」
「お前が渡させたのか。この紙を」
「……はい」
「代金も払わず、その者たちに罪まで負わせるのか」
レオポルトが椅子から腰を浮かせると、ガスパールが身を引いた。帳面を求められても隠し、荷を売ったことも商会に言わず、それで足りなくなれば、今度は無関係な者を犯人に仕立てる。
「その話を、クラリッサに信じさせて帰すつもりだったのか」
「お嬢様には、必ずお帰りいただくつもりでした」
「金が入るまで、閉じ込めておいてか」
ガスパールが何か言おうとするのを待たず、レオポルトは続けた。
「公爵を説得できないから、娘を攫わせたのか」
「……先に、お支払いを認めていただきたかったのです」
隣でアランが顔を上げ、レオポルトを見た。続きを重ねかけた言葉が止まる。娘を使って支払いを迫られた当人は、ここにいる。
レオポルトが椅子へ腰を戻すと、アランはガスパールに問い直した。
「先に金を受け取り、娘を返す。私に帳面を見せるのは、それからでよいと考えたか」
「……はい」
アランは請求書を畳み、帳面とは離して置いた。
「売った荷を、すべて書け。売り先と代金もだ」
「閣下、買い直す手配でしたら、私が」
「その話も聞く。まず、何が足りないかを出してくれ」
隊長が紙とペンを渡すと、ガスパールはもう一冊を開いた。今度は頁を探すのに手間取らず、品名から書き写し始める。アランはその向かいに座ったまま、一行ずつ、帳面と紙を見比べていた。




