第0章 15話 何よりでございます
ガスパールが川沿いの倉庫の前で待っていると、衛兵が片足を庇いながら歩いてきた。その後ろに、娘を載せてくるはずの荷馬車はない。
衛兵はガスパールのそばまで来ると、鍵を取り出して倉庫の戸を開けた。ガスパールもあとに続き、戸が閉まるなり尋ねた。
「娘はどうした」
「取り返された。あの侍女が来た」
「なんだとっ!」
樽の中で娘が音を立て、侍女に見つかったという。娘一人を移すだけで、なぜそんなことになる。問い詰めたいのに、先ほど使いに預けた手紙のことが気にかかる。今さら公爵に何を話せばいい。
「……追われてはいないだろうな」
「途中で追ってこなくなった。娘のほうへ戻ったんだろう。それより、金と、国境の向こうの紹介先をくれ。顔を見られた。もう兵舎には戻れん」
「金は商会だ。取ってくる。ただ、公爵から呼ばれていたら先にそちらへ行かなければならん。戻るまで、ここで待ってくれ」
「いつまでかかる」
「まだ分からん。だが、金も渡すし、国外へ逃がす。それは変えない」
衛兵はガスパールを見据えたまま、壁際の木箱へ腰を下ろす。
「早く戻ってくれ。外をうろつくわけにもいかん」
「分かっている」
逃がす約束を違えれば、こちらの名を出されかねない。ガスパールは倉庫を出て、商会へ足を速めた。公爵には、娘が見つかったことをまだ知らぬ顔で会うしかない。
*
商会へ戻るなり、手紙を持たせた使いに呼び止められた。
「公爵様がお待ちです。すぐ、市場の詰所へ来るようにと」
「……そうか」
使いのそばに控えていた兵が、一緒に行くと申し出る。自分から頼んだ以上、今は会えないとも言いづらい。ガスパールは書記に留守を頼み、そのまま兵と店を出た。
*
「お嬢様がお戻りになりました!」
屋敷から来た使いの言葉に、レオポルトは椅子から立ち上がった。
「クラリッサが?」
「はい。リナたちがお連れして、奥様もおそばに」
「怪我はどうだ」
アランが尋ねた。
「腹を蹴られたと申しております。いま診てもらっておりますが、命に別状はないとのことです」
「娘とは話したか」
「はい。閣下がどちらにおいでかと、お尋ねでした」
生きて帰った。父親のことを訊ねるだけの元気もある。レオポルトはすぐにでも顔を見に行きたかったが、公爵がまだここにいるのに、自分だけ先に訪ねるわけにもいかない。
「リナから、もう一つお伝えするようにと」
使いが声を落とした。
「お嬢様を運んでいた御者は、市場まで捜索の案内をした衛兵ではないかと。声と右頬の傷に覚えがあるそうです。お嬢様からも監禁先に衛兵の記章をつけた男がいたと聞いたそうで」
「同じ男なのか」
アランが尋ねた。
「そこまでは。お嬢様の前では兜で顔を隠していた、と」
「学園の警護に出した兵なのか」
レオポルトが尋ねると、隊長は所属から確かめます、と答えた。記章を盗んだ者かもしれない。そうであってほしかったが、リナを捜索隊へ案内している。その場の誰も、見知らぬ男だとは思わなかったのだろうか。
「派遣元の記録と、こちらの名簿を照合してくれ。結果は私にも知らせてほしい」
「承知いたしました」
アランも隊長へ声を掛ける。
「リナと一緒にいたうちの護衛にも、顔を確かめさせよう。その男が今どこにいるかも調べてくれ」
隊長は傍らの兵を呼び、指示を出した。
「公爵。私はここにいる。屋敷へ戻ってはどうか」
「ありがとうございます。ですが、先に会っておかねばならぬ者がおります」
机には、ガスパールからの手紙が置かれたままだった。
アランは使いへ向き直る。
「娘に、私も戻ると伝えてくれ。それから、リナにも。よく連れ帰ってくれたと」
使いを送り出したあと、レオポルトも従者を呼び、王宮へ救出を知らせるよう頼んだ。衛兵が関わっている疑いがあり、身元を確かめていることも、父へ伝えるよう言い添える。
隣でヴァレンティナが、捜索へ出した者にも伝えましょう、と隊長へ申し出ている。しばらく人の出入りが続き、それが落ち着いたころ、表からガスパールの来訪が告げられた。
「通してくれ」
入ってきた男は、アランへ頭を下げかけて動きを止めた。机のそばにいるヴァレンティナと、その隣のレオポルトへ目を向ける。
「……どうして、ここに……」
「父上のお許しを得て来た。話を聞かせてほしい」
レオポルトが答えると、男は慌てて頭を下げ直した。
「失礼いたしました、殿下。ベルネ商会のガスパール・デロームでございます」
アランが椅子を勧めても、すぐには座らなかった。
「お嬢様の件で、お伝えせねばならぬことが」
「娘は戻った。いまは屋敷にいる」
「なんと……それは、何よりでございます」
ガスパールは胸に手を当て、深く息をついた。レオポルトには、自分たちがさっき聞いたときと同じ安堵に見えた。
「私のところへ来た男は、荷を運んだ代金が入らぬから、お嬢様を預かったと言っておりました。商会に金が入れば返すと。ともかく、お戻りになってよかった」
アランは手紙を男の前へ寄せた。
「名は」
「男自身は名乗りませんでした。運賃をお払いするはずの業者の名を挙げて、そこの使いだと言っておりました」
「どんな男だった」
「白髪交じりで、私より小柄な男です。顎に髭があり、茶の外套を着ておりました」
アランは頷くだけで、頬の傷については何も言わなかった。
「どこで会った。ほかに見た者はいるか」
「店の裏の荷受け口です。私が話している間は、二人きりでした。その前後に誰かが見かけたかまでは、分かりません」
レオポルトは、ガスパールの話した容貌を書き留めた。リナにも聞いてもらわなければならない。傷の話が出なかっただけで、違う男だとは決められなかった。
「その男とは、どう連絡を取る」
「商会へ、また来ると申しておりました。一度戻らせていただければ、私から話ができます。娘御を手元に置いていないなら、もはや脅しは通じません。素性も聞き出せるかと」
「商会にはこちらから人をやる。お前には、ここでもう少し話を聞きたい」
アランは隊長へ、家の護衛も同行させると伝え、男が来れば連れてくるよう頼んだ。店の者にも荷受け口への来訪者を確かめるよう言い添えると、隊長は戸口の兵に指示を渡した。
「手紙を出してから戻るまで、どこにいた」
アランは椅子をもう一度勧めた。
「取引先の家へ。支払いを待ってもらうために、話をしに参りました」
ようやく腰を下ろしたガスパールは、訪ねたという家の主の名と、住まいの場所を告げた。相手は留守で、会えなかったという。
アランはその住所を書き留め、別の兵へ確認を頼む。ガスパールが椅子から身を乗り出した。
「……まさか私をお疑いなのですか」
「お前の話も確かめねばならん。娘を運んだ馬車は、お前の商会の名で借りられている」
「うちでは、よその業者に頼まれて馬車を手配することもございます。どの一台か、分かれば調べられます」
「それを調べさせている。お前が話したという男のこともだ。確かめるまでここにいてくれ」
「夫人。お宅の荷もお預かりしております。明日の便を出すにも、私が戻りませんと」
ヴァレンティナが顔を上げる。
「明日の荷なら、モーリスとお店の方で相談できるでしょう」
ガスパールはすぐには答えず、夫人の顔を見ていた。ヴァレンティナがアランへ向き直ってから、ようやく頭を下げる。
「……閣下。運賃の支払いについては」
「必要な帳面を出してくれ。そこは変わらん」
アランは隊長に席を譲った。話の食い違うところがあれば知らせるよう頼んでから、レオポルトに辞去を告げる。
「一度、娘のもとへ戻ります」
「私も、後ほど訪ねてもよいだろうか」
口にしてから、しまったと思った。戻ったばかりの彼女を、王太子を迎える支度で困らせてどうする。
「いや、すまない。まずは休ませてやってほしい」
「落ち着きましたら、娘に訊いておきます」
アランはそう答え、迎えの従者とともに詰所を出ていった。




