第0章 13話 ここにいる
リナが貸し馬車屋から出した使いは、まだ息を切らしていた。
「ベルネ商会が借りた馬車です。リナたちは、そのまま商会へ向かいました」
レオポルトは机のそばへ寄った。ようやく行き先が分かるかもしれない。ところが、差し出された書付を読んだ公爵は、すぐには隊長を呼ばなかった。
「……ベルネか」
「知っているのか」
「ノルドへの救援物資を扱っている商会です。追加の運送費などを請求されておりますが、支払いは認めず、確かめさせています」
ノルドは北の隣国で、王国との折り合いは悪い。レオポルトは公爵の顔を見た。
「そのことで、クラリッサを?」
「まだ分かりません。ただ、担当の男が一度、許可を求めに来ています。ガスパール・デローム。帳面を出すよう申し渡しました」
「何を調べていた」
「ノルドが、自国の商会に払った費用について問い合わせてきました。その中に、ベルネがこちらへも請求している倉庫代があります。同じ費用を両国で払っていないか、帳面を突き合わせる必要があるのです」
公爵は書付を隊長へ渡した。
「ガスパールの居所を押さえてくれ。商会の者には、借りた馬車をどこへ届けたかを。リナにも、私がその商会を調べていると伝えてほしい」
知らせに戻った護衛が、もう一度行くと申し出た。隊長は衛兵を二人付け、商会へ向かわせる。
「公爵。こちらへ来るよう求めても、応じないかもしれません」
ヴァレンティナが言った。
「その場合は、私どもの取引についても話があるとお伝えください。ベルネには、うちの荷も扱わせています」
「承知した」
レオポルトが従者と治療の手配を確かめていると、表の衛兵が封筒を運んできた。
「公爵へ、ベルネ商会の使いからです」
公爵は封を切り、読み終えるとレオポルトへ渡した。
ガスパール・デロームの署名がある。娘を預かったという者から支払いについて要求を受けたので、直接会って事情を話したい、と書かれていた。
「差出人は、今どこにいる」
公爵が尋ねると、衛兵は手紙を届けた使いを呼んだ。
「商会でこの手紙をお預かりしました。そのあと外へお出かけになったので、私は……」
「戻ったら、すぐこちらへ来るように伝えてくれ。話は聞く」
使いが出ていくと、公爵は隊長を呼び寄せた。
「いまの使いにも一人付けてくれ。手紙を預けたときの様子を聞いておきたい。ガスパールの行き先を知る者も、店で捜してほしい」
レオポルトは、公爵へ手紙を返した。そこには、クラリッサがどこにいるかも、無事かどうかも書かれていなかった。
*
ベルネ商会で馬車のことを尋ねると、帳場にいた男は、朝の使いをすぐに呼んできた。
「借りてきたあと、どちらへ?」
「酒蔵のほうです。荷を出すから、置いてくるようにと」
使いが道を説明するそばから、モーリスが頷いた。以前、空の酒樽を引き取ったことがあるという。
「そのとき、誰に渡しましたか」
「髭の男です。もう一人いたような……。荷を積む人だとばかり」
使いの男は帳場のほうを見た。自分のしたことが、何に繋がっているのか分からない顔だった。
「人を攫った馬車を探しています。あなたが帰ったあとのことです。ほかにも思い出したら、市場の詰所へ知らせてください」
リナは酒蔵の場所も伝えるよう頼み、モーリスと家の護衛を連れて店を出た。
通りを二本渡り、モーリスが指した路地へ入る。酒蔵の赤い扉が見えてくると、その脇に停められた荷馬車も見えた。幌の角に、色の違う布が継いである。
そこから小ぶりな荷馬車が一台、こちらへ進んできた。御者台の男は、色褪せた上着に帽子を被っている。
「あの、待ってください」
リナが声を掛けると、男は手綱を引いた。
「何か?」
「あちらの酒蔵からいらしたのですか」
「ああ。空樽を運ぶよう頼まれてね」
「脇に停まっている馬車を使っていた方には、お会いになりましたか」
男は酒蔵のほうを振り返った。
「いや。来たときには、もうああして置いてあった」
家の護衛が酒蔵の脇の馬車を見に行った。幌を上げ、奥を覗き込んでいる。
「では、建物の中にいた方は?」
「裏から荷を積んだだけだ。中までは知らん。……もう、よろしいか」
リナは返事をしかけて、男の顔を見直した。声に聞き覚えがあった。帽子の陰になった右頬には、小さな傷がある。
市場まで案内してくれた、あの衛兵だろうか。
男は前へ向き直り、手綱を取った。
「少し、お待ちください」
リナは荷馬車のそばに残った。
*
馬車が止まり、外の声が聞こえ始めたとき、クラリッサは最初、自分の聞き違いだと思った。
リナだ。
口を動かしたが、噛まされた布が邪魔をして、名前が言えない。板壁の向こうでは、まだ会話が続いている。
馬車が動き出す前、大きな樽に膝を折って座らされ、兜の男に頭の袋を外された。それから蓋を閉められた。隙間から空気は入ってくるが、顔を寄せようにも身を伸ばせない。背中の後ろには手枷があり、足首も縄でひとまとめにされている。
「少し、お待ちください」
近い。すぐそこにいる。
クラリッサは両足の踵を浮かせ、底板へ打ちつけた。
ごとん、と鳴ったが、外からの返事はない。
「荷がずれたな。括り直す」
御者台が軋み、男が地面へ降りる音がした。靴音が近づいてくる。
一度では、荷物の音だと思われてしまう。
クラリッサは同じところを三度叩いた。一息置いて、もう三度。靴の踵が底板を打ち、狭い樽の中に音が響いた。
「幌を開けてください」
「空樽だと言っただろう」
「では、見せてください」
布を引く音がした。
「勝手に触るな」
「手を放してください」
すぐ近くで、リナの声がした。
「お嬢様、聞こえますか!」
クラリッサは底板を二度叩いた。もっと強く、もう二度。涙が頬を伝い、膝に落ちた。
「この樽です!こちらへ来てください!」




