第0章 12話 返す約束
「払うものを、払ってもらう」
衛兵は灯りを卓へ移し、懐から出した紙をクラリッサの前に広げた。
運送業者から、ベルネ商会へ宛てた請求書だった。荷を運んだ日付と行き先、馬車の台数、運賃。その下には本文とは違う筆跡で、支払いを重ねて求める文が書き足してある。
「運ばせておいて、払わない。何度取りに行っても、待てと言う。こいつらにも食わせる家族がいるんだ」
衛兵が紙の端で戸口を示した。痩せた男は黙ってこちらを見ている。
「父が、あなた方に払うのですか」
「払うのは商会だ。公爵が許可を出さなければ、国から商会に金が入らん。だから、こっちにも回ってこない」
「なぜ、許可をお出しにならないのですか」
「調べることがあるそうだ。だが、そのあいだ何を食っていろと言うんだ」
クラリッサは請求書に目を戻した。支払いを求める日付が、いくつも並んでいる。この人たちが困っているのは、本当なのかもしれない。けれど、なぜ父が支払いを認めないのかは、これを読んでも分からなかった。
「この紙は持って帰れ。父上に見せるんだ。働いた分を払えと言っていたと、そう話せ」
「……では、帰してください。父に確かめます」
「金が商会に入ってからだ」
「父には、もうお伝えになったのですか」
「使いを出す」
クラリッサは衛兵の顔を見た。兜に隠れて、表情は分からない。父はいま、どこにいるのだろう。使いの者が早く見つけてくれれば、それだけ早く帰れるのだろうか。
「お金が届けば、すぐに帰してくださるのですね」
「ああ」
衛兵は請求書を畳むと、クラリッサの制服のポケットへ差し入れ、立ち上がった。
家に帰ったら、父と一緒にこの紙を見よう。この人たちが言っていることも、父が支払いを止めた理由も、そのとき確かめられる。
「届いたら、すぐに。そう仰いましたね」
*
衛兵が上の部屋へ戻ると、ガスパール・デロームはまだ机に向かっていた。衛兵は戸を閉めて兜を外し、右頬の傷に溜まった汗を拭った。
「読ませたぞ。運賃を払ってもらえずに攫った、と話しておいた。紙も持たせた」
「父親に見せるよう言ったか」
「ああ。帰してくれれば、父親に確かめるそうだ」
「確かめればいい。請求書は本物だ」
ガスパールは書きかけの手紙へ目を戻した。
「あの二人はどうする?」
「もう用済みだ。残りを払って帰せ」
机の引き出しから金の袋が出てきた。衛兵は中を確かめ、腰の袋へ収める。
「私のことは、二人には?」
「言っていない。雇ったのも金を渡すのも俺だ。あんたに会わせる気はない」
「それでいい」
ガスパールは手紙を書き終えた。
「私は公爵に会う。取引先の者を名乗る男から、娘を預かったと知らせが来た。商会に代金が入れば娘を返すと言っている。私が間に入って話をする、と申し出る」
「お笑いだな。自分で攫わせて、自分で返しに行くのか」
「商会を調べれば、私の扱った仕事だと分かる。知らぬふりをして逃げるより、返すために動いたほうがいい」
衛兵はガスパールを見た。請求書を出した業者は、自分たちに罪を被せられるとは思ってもいないだろう。
「その業者を調べれば、無関係だと分かるぞ」
「私は、相手が名乗った名を伝える。娘にもその業者の仕業だと話して、あの紙を持たせる。私だけが言い出した話にはならん」
「公爵が信じるかね」
ガスパールは手紙を置いた。
「疑われるのは承知だ。だが、私が君に攫わせたと証言できる者は、ここに一人しかいない」
衛兵は返事をしなかった。
「あの人には一度、支払いを認めてくれと頼んだ。荷を運んだ者に払えなければ、次の荷は動かせないと。それでも、先に帳面を出せと言った」
ガスパールは、公爵宛ての手紙を読み直した。
「先に払ってもらう。帳面を調べるのは、娘が戻ってからだ」
「そのあいだ、俺にここで待てと?」
「娘を返すまではいてもらう。国外の受け入れ先も、そのときに渡す」
「名前くらい先に教えてくれてもいいだろう」
「先に行かれては困る」
衛兵は鼻で息を吐いた。金だけ貰って終われる二人が羨ましかった。大金が入るが、自分は国境を越えた先まで、この男を頼らなければならない。
「それより、娘をここから移さなくていいのか」
封筒を取りかけたガスパールが顔を上げた。
「なにか問題が?」
「あの二人だ。腕は立つが、口は軽そうだったぞ」
「娘の口が切れていると言ったら、片方が連れを見て、腹を蹴ったとすぐに言った。自分は悪くないとでも言いたげにな」
「娘を蹴った?」
「叱っておいた。話はできている」
ガスパールは椅子から腰を浮かせたが、衛兵が続けると座り直した。
「あいつらが捕まれば、ここも喋ると思っておいたほうがいい。俺まで、娘と一緒に見つかるのは御免だ」
「金を受け取れば、二人も逃げるだろう」
「逃げ切ってくれるまで、こっちで面倒は見られん」
ガスパールは返事をしなかった。机には、公爵への手紙と封筒が並んでいる。衛兵は兜を脇に抱え直し、相手が何か言うのを待った。
「……分かった。先に娘を移そう」
ガスパールは引き出しから鍵を取り出し、衛兵へ渡した。
「川沿いの倉庫なら、今は空いている。裏の荷馬車を使ってくれ。私は商会へ寄って、この手紙を先に届けさせる」
「そのまま公爵のところへ?」
「いや。倉庫で落ち合おう。娘を移してから、会いに行く」
「二人を帰してからだぞ。移すところまで見せたくはない」
「ああ」
ガスパールは手紙を封筒に収め、公爵の名を記した。




