第0章 10話 助けてください
袋を外されて最初に見えたのは、石の壁だった。
クラリッサは目を細めた。卓に置かれた灯りが眩しい。壁も床も石で、低い天井を太い梁が横切っている。窓はなく、隅に積まれた空の酒瓶からは酸っぱい匂いがする。
袋越しに数えていた下りの段は、途中で足がもつれて分からなくなってしまった。地下なのは、間違いない。
「そこに座れ」
頬のこけた男に長椅子へ座らされた。背中へ回された両手には、馬車の中で嵌められた手枷が残っている。その鎖を背もたれに留められ、椅子から離れられなくなった。
手の中へ魔力を集めようとしたが、集まりかけたそばから散ってしまう。この輪を嵌められるまでは、そんなことはなかった。クラリッサは手首を捻ってみた。
「無駄だ。諦めろ」
痩せた男の声が背後からした。クラリッサは口の布を舌で押し、そちらを振り向こうとする。鎖を引いて確かめる音がして、男はそのまま戸口へ歩いていった。
「まだ喋らせるなよ」
「分かってる」
髭の男の返事に、肩が縮んだ。戸口に立つ男のシャツは胸元がまだ濡れていて、片手で袖を絞っている。
近づいてきたわけでもない。それは分かっている。クラリッサは縮めた肩を戻そうとした。顔を上げて、相手の動きを見ていなければ。そう思うのに、声がするたび身体が強張り、目を逸らしたくなる。
二人は灯りを出入口の高い棚へ移し、外へ出ていった。厚い戸の向こうで鍵が回る。続いてもう一つ、遠くで戸が閉まる音がして、それきり何も聞こえなくなった。
*
遠いほうの戸が開く音に、クラリッサは身を起こした。
灯りはまだ燃えている。どれくらい経ったのか分からない。足音が近づき、鍵穴が鳴る。今度は三人いた。
一人は兜を被っていた。顔を覆う金属板の隙間から目だけが覗き、その胸に、衛兵の記章が見える。
来てくれた。
もう、この男たちと一緒にいなくていい。ほっとした途端、泣きそうになった。クラリッサが立とうとして鎖を鳴らすと、衛兵がそばへ来る。
「口の布を外せ」
痩せた男が頷き、椅子の後ろへ回る。髭の男は逃げもせずに戸を閉め、衛兵のすぐ後ろで壁に寄りかかった。
どうして、あんなに平気でいるの。
クラリッサは髭の男と衛兵を見比べた。二人とも、互いを気にする様子がない。布が口から抜けると、彼女は衛兵へ声を絞り出した。
「助けてください」
何か答えてほしかった。兜の奥の目を見ようとしたが、衛兵は口元の血に気づくと、髭の男へ向き直ってしまう。
「口を切っているぞ」
「荷台に顔をぶつけたんだよ」
「腹を蹴ってたぞ」
布を手にした痩せた男が口を挟んだので、髭の男が振り向いた。
「お前な。逃げかけたのを引き戻したんだ。あそこで落ちてたら、もっと——」
「引き戻したあとで蹴ったんだろう」
衛兵が遮った。
「怪我をさせるなと言っておいただろう。医者まで連れてくるつもりか」
「……そこまではやってねえよ」
クラリッサは衛兵を見つめた。さっきまで、この人について階段を上がるつもりでいた。家に帰って、リナに会えると思っていた。
視界が滲んだ。まだ帰れない。誰がここを見つけてくれるのかも分からない。泣かないように唇を結んでも、涙は頬を伝っていく。
「話せるか」
クラリッサは返事をしようとして、うまく声を出せずに俯いた。落ち着かなければ。この人が何をしに来たのか、聞かなければ。けれど髭の男の足が動くと、また蹴られる気がして、そちらへ目を向けてしまう。
「……その人を」
声が掠れた。唾を飲み込んでから、もう一度言う。
「その人を、外へ出してください」
衛兵は振り返り、戸を指した。
「上にいろ。ここへは降りてくるな」
髭の男は何か言いかけたが、結局、戸を開けて出ていった。痩せた男が戸を閉め、その脇に立つ。
クラリッサはそちらへ目をやってから、衛兵へ顔を戻した。涙で濡れた頬が冷たい。何を言えば帰してもらえるのか分からないまま、それでも口を開いた。
「なぜ、私を連れてきたのですか」
衛兵が空いている椅子を引き寄せる。
「父上のことで、話がある」
父のこと。クラリッサは衛兵を見つめた。父の仕事を家で聞かされることはほとんどない。この人と、何の関わりがあるのだろう。
「父に、何の用があるのですか」




