第0章 9話 お嬢様は
「リナ!クラリッサのところへ行ってちょうだい」
セリーヌが手にしていた受信具には、まだ光が残っていた。娘の胸飾りが働くと、父母の持つ魔具へ知らせが届く。示されていたのは、川沿いの職人街だった。
「護衛を二人連れて。何があったのか、確かめてきて。あの子の顔を見たら、すぐに知らせてね」
「かしこまりました。旦那様には」
「あの方にも届いているはずよ。こちらからも人を出すわ。あなたは行って」
奥様のそばに残る侍女へ後を頼み、リナは玄関へ急いだ。怪我をしたのか、誰かに襲われたのか。受信具から分かるのは、守りが働いた場所までだ。そのあと何が起きたかは、行ってみなければ分からなかった。
*
加工場へ着いたのは、受信具が鳴ってから三十分近く経ったころだった。
リナは馬車の窓から生徒たちの顔を探した。駆けつければ、見つかるような気がしていた。先生に付き添われているか、誰かの陰で手当てを受けているか。
似た後ろ姿に目が止まり、違う顔だと分かっても、もう一度見た。
「リナさん!」
エレナが軒下から駆けてきた。リナは御者が踏み台を置くのを待てずに降りた。
「お嬢様は!?」
「連れていかれたんです。馬車で。ユーグが追いかけたけど、見失って……」
エレナの目が赤かった。リナは彼女の向こうへ目をやり、軒下に集まった生徒たちを見た。あの中にいると思っていた。馬車を降りれば、すぐそばまで行けると思っていたのに。
「先生は、どちらに」
「こちらです」
エレナの後を追った。道の向こうでは、ひと組の生徒たちが教師に付き添われて学園へ戻っていく。軒下で水を飲んでいた子たちも、その列を見送っていた。
加工場の机は外へ運び出され、その上の地図をヘイルと衛兵たちが囲んでいた。
ヘイルがリナに気づき、地図から顔を上げた。
「ローズグレイス家の方ですね」
「クラリッサ様付きのリナでございます。魔具の知らせを受けて参りました。働いたとき、何があったのですか」
ヘイルが、地図の向かいにいた職人を見た。前掛けの男が顔を上げる。
「あの音で振り向いたら、馬車の荷台から男が身を乗り出しててな。お嬢さんの腕を掴んでた。紋が光って、それでも」
「掴んだ男は、弾かれませんでしたか?」
「腕が、こう、押し戻されてな」
職人は肘を引いて見せた。
「けど離さなかった。そのまま引っ張り上げちまったんだ。俺も走ったんだが、追いつけなくて」
あの胸飾りを働かせて、なお掴んでいられた。
公爵家が娘に持たせる守りだ。たいていの相手なら、それで退けられる。家の者が付き添えない競技でも、魔具があり、王都から派遣された衛兵が巡回している。その守りを、リナも頼りにしていた。
「その男の腕に、何か見えませんでしたか。身につけていた物でも」
「いや、そこまでは。悪い…」
「いえ。ありがとうございます」
魔具への備えがあったのだろう。何を使ったかまでは、まだ分からない。
「巡回の者が、ちょうどここを離れていたと聞いています」
ヘイルが言った。
「いつどこを通ったか、確認を取っています。他の組も、順に学園へ戻しています。お屋敷へは使いを出しましたが、行き違いになったようですね。軍務局へも、別に知らせています」
あの子が攫われたと、奥様はまだご存じないかもしれない。リナは屋敷に残してきた侍女の顔を思い出した。
「捜索の方にも、お伝えください。お嬢様の魔具が働いても、退かなかった相手だと」
「伝えます」
ヘイルは傍らの者に言付けを頼んだ。リナは家の護衛二人を地図の前へ呼び、捜索に加わるよう伝えてから、エレナへ向き直った。
「お嬢様を、最後まで見ていた方は」
「あそこです。まだ衛兵の方と」
立てかけた板材の前の長椅子に、少年が座っていた。制服の片膝が裂けていたが、覗いている皮膚に傷はなかった。
右頬に小さな傷のある衛兵が、手帳を閉じた。リナはそちらへ向かい、少年が立ち上がろうとするのを止めた。
「そのままで。ユーグ様、お嬢様を追ってくださったのですね」
ユーグは頷いた。リナは衛兵へ尋ねた。
「どこまで行ったか、分かりましたか」
「市場の入口までは。そこで見失ったそうです。先に行った者が、店の者に訊いて回っています」
「俺、道は分かります」
ユーグが割って入った。
「同じような馬車が来て。見えなくなっただけだから、行けば」
「君から聞いた道は、もう伝えてある」
「俺も捜したいんです。傷なら、さっき治癒魔法で治してもらった。もう走れます」
ユーグは膝を示したが、衛兵は手帳を開き直した。
「その前に、見たものをもう一度確かめたい。馬車の中の男の顔は、見えたか」
「いいえ。クラリッサの足を掴んだ腕は見えたけど、顔は幌の中で」
衛兵が書き留めるのを待って、リナはユーグの前にしゃがんだ。
「お嬢様は、外へ出ようとなさったのですか」
「俺を呼んで。こっちに、手を」
ユーグは右手を出した。何かを示すつもりだったらしいが、その手はすぐ膝へ戻った。
「届かなかった。もう少しだったのに」
リナの知っている声で、少年の名を呼ぶのが聞こえた気がした。すぐに追い払った。今ここで想像してしまったら、この子の話を最後まで聞けない。
「そのあと、お嬢様の姿は」
「見えなくなりました。呼んだけど、返事もなくて。俺が転んで起きたときには、もう……」
ユーグはリナに頭を下げた。
「すみません。助けられなくて」
「そんなこと」
続きを言おうとして、リナは息を吸った。いちばんそばにいるはずの自分は、そのとき屋敷にいた。
この子は追ってくれた。助けられなかったと謝る相手が、なぜ自分なのか。
「追ってくださって、ありがとうございます」
ようやく、それだけ言えた。
リナが立ち上がると、エレナがそばへ寄ってきた。
「私、ここにいますから。リナさん、行って」
「……お願いします」
リナはヘイルに、市場へ向かうと伝えた。
「旦那様か家の者が来ましたら、市場へ向かったとお伝えください」
「分かりました。こちらに知らせがあれば、そちらへも人を出します」
そこへ、ユーグと話していた衛兵が来た。
「市場へ行くなら、ご一緒に。向こうで話を聞いている者につなぎます」
リナは頷き、護衛二人と馬車へ乗り込んだ。
市場の詰所に着くと、衛兵は捜索に出る一隊へリナたちを引き合わせた。リナは護衛二人と、その一隊に加わった。




