野営
村を出てしばらく経った頃だった。
馬車の中は静かだった。村を救えた達成感なのか、それとも単純に移動の疲れなのか、誰もあまり喋らない。サリーは窓の外を眺め、キールは本を読んでいる。エナは椅子へ深く腰掛けながら、落ち着かない様子で周囲へ視線を向けていた。
そんな中、健だけは窓の外を見ながら何か考え込んでいる。
「どうした?」
俺が声を掛けると、健は視線を外へ向けたまま答えた。
「中途半端だな」
何の話かはすぐに分かった。今の健が気にすることなんて一つしかない。
「村か?」
「ああ」
やっぱりだった。
「水は解決した。でもそれだけだ」健は淡々と言葉を続ける。「畑は荒れていたし、柵も壊れていた。病人も多かったし、働き手も足りない」
俺は思わず笑ってしまった。
「まだ考えてたのか」
「当然だろ」
即答だった。
本当にそういう奴なんだなと思う。俺だったら水問題が解決した時点で満足している。でも健は違う。一つ問題を解決したら、その先にある問題へ目を向ける。多分あいつの頭の中では、あの村の改善案がまだ延々と続いているのだろう。
「時間があればな」
健がぽつりと呟く。
その言葉を聞いて、少しだけ考える。確かにあの村はまだ良くなる余地がある。でも今の俺達には、やるべきことがあった。
「じゃあ魔王倒したら戻ろうぜ」
健がこちらを見る。
「あの村は逃げないだろ」俺は笑った。「俺達の目的は魔王を倒すことだ。それが終わったらまた来ればいい」
少しの沈黙のあと、健は小さく頷いた。
「そうだな」
珍しく素直だった。
◇◇◇
翌日になると、景色は大きく変わり始めていた。森は少しずつ減り、代わりに岩肌の目立つ荒野が増えていく。道も緩やかに高くなっているらしく、馬車の窓から見える景色はどこまでも広がっていた。
「そろそろ見えますよ」
キールの言葉に外を見る。
最初は山脈か何かだと思った。だが違う。近付くにつれて、それが巨大な裂け目だと分かる。地平線の先まで続く大地の傷跡は、まるで世界そのものが真っ二つに割れているように見えた。
「でか……」
思わず声が漏れる。
「これが大渓谷です」
キールが頷く。
言われても実感は湧かなかった。ただ大きい。とにかく大きい。もし落ちたら助からない。そんな確信だけはあった。
「よくこんな所に道作ったな」
「昔から使われている道ですからね」
キールが苦笑する。
しばらく進んだところで、馬車が止まった。
「今日はこの辺りで野営にしましょう」
日はまだ落ち切っていない。どうやら大渓谷へ入るのは明日らしい。
「創世」
健がウインドを開く。白い光が広がり、見慣れた小屋が二つ現れた。風呂小屋と寝室だ。前に見た時も思ったが、本当に便利すぎる。
サリーは当然のように風呂の準備へ向かい、キールも特に驚いた様子はない。だがエナだけは固まっていた。
「なんだこれ」
「野営セット」健が答える。
「野営?」
「野営だな」
エナは風呂小屋を見る。寝室を見る。それから俺を見た。
「野営ってこんなだったか?」
「俺も最初そう思った」
キールが苦笑した。
しばらくして、風呂の準備が終わる。前と同じように俺とサリーで風呂桶へお湯を張った。二回目ともなると、手順も分かっていた。
「よし」
準備が終わり、俺は肩当てへ手を掛ける。
その瞬間だった。
「ダメよ!」
サリーが声を上げた。
「は?」
「一番風呂は王女の特権よ!」
「そんな特権あってたまるか!」
言い返した次の瞬間。
「えいっ!」
「うおっ!?」
サリーに肩を押される。勇者になって身体能力が上がったはずなのに、意味が分からない。気付けば風呂小屋の外へ追い出されていて、そのまま目の前で扉が閉まった。
「一番風呂いただき!」
中から勝ち誇った声が聞こえる。
「おい!」
俺は思わず健を見た。
「俺、身体能力上がってるはずだよな!?」
「上がってるな」
「なのに普通に押し負けたぞ!?」
健は少し考えた。
「火事場の馬鹿力ってやつじゃないか?」
「こんなところで!?」
何と戦ってたんだよ。
後ろでキールが吹き出していた。
しばらくして、風呂場の扉が開く。
「最高だったわ」
サリーは満足そうな顔をしていた。どうやら勝者らしい。
「次エナ」
「おう」
エナが立ち上がる。
「ちゃんと髪乾かせよ」
健がドライヤーを渡す。エナは怪訝そうな顔をしながら受け取った。
「便利なんだよな、それ」
「本当か?」
「使えば分かる」
半信半疑のまま、エナは風呂小屋へ入っていった。しばらくして出てきた時には、濡れていた髪がしっかり乾いている。
「どうだった?」
「……便利だな」
素直な感想だった。
サリーが得意げに笑う。
「でしょ?」
「悔しいけどな」
そう言いながらも、エナはドライヤーをもう一度見ていた。
健がこちらを見る。
「次は湊だな」
「待ってました」
立ち上がる。
その時だった。
「待て」
健に呼び止められる。
「なんだ?」
健が何かを差し出してきた。お風呂に浮かべる、あのアヒルだった。
「一応作っておいたぞ」
「作ったのかよ!」思わず叫ぶ。「エナ用じゃなかったのか?」
「お前も使いたいのかと思って」
「なんでだよ!」
サリーが吹き出した。エナも呆れた顔をしている。
「いるかそんなもん」
「違うのか?」
健は本気で不思議そうだった。
「違うわ!」
結局、アヒルは持って入った。何となくだ。
風呂桶へ浮かべると、ぷかぷかと湯の上を漂い始める。しばらく眺める。
「……」
何だろう。ちょっと和む。
「いや、悪くないな」
認めたくないけど、悪くなかった。
風呂を終え、夕食を食べる。辺りはすっかり暗くなっていた。大渓谷から吹いてくる風は冷たいが、風呂へ入った後だからか、不思議と心地よい。
小屋へ戻り、ベッドへ倒れ込む。ふかふかだった。隣を見るとサリーは既に寝ていた。相変わらず寝るのが早い。エナも自分のベッドへ潜り込んでいる。
明日はいよいよ大渓谷だ。
「俺も明日に備えて寝るか」
そう呟いて目を閉じる。すぐに意識が沈んでいった。




