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表裏の歴史書〜悪魔との契約〜  作者: qp46
プロローグ

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16/21

セカンを出たのは朝だった。


次の目的地はサード。グリア王国の西側に位置する街で、そこへ行くには大渓谷を越える必要があるらしい。キールが地図を広げながら説明してくれた。


「渓谷か」


「ええ。ただ道自体は整備されています。問題はないかと」


「なら良かった」


俺は背中のエクスカリバーを背負い直す。まだ慣れない重さだった。でも嫌じゃない。勇者っぽいし。


「出発しましょう!」


サリーが元気よく声を上げた。


俺たちは馬車へ乗り込む。


エナも当然のように後ろから入ってきた。


そして固まった。


「……は?」


開口一番それだった。


「どうした?」


「どうしたじゃねぇよ」


エナが馬車の中を見回す。


「広すぎるだろ」


まあ気持ちは分かる。外から見れば普通の馬車だ。でも中は部屋みたいになっている。椅子もあるし机もある。荷物を置く場所もあるし、寝転がれるくらいの広さまであった。


「初めて見た時は私も驚いたわ」


サリーが少し得意げに言う。


「揺れもほとんどありませんよ」


キールも続けた。


エナは床を踏み、壁を叩き、天井を見上げる。


「気持ち悪ぃ……」


「褒め言葉だよな?」


「知らねぇよ」


健は興味なさそうに窓の外を見ていた。相変わらずだった。


馬車が動き出す。普通の馬車ならガタガタ揺れるはずなのに、この馬車はほとんど揺れない。しばらくして、エナがぼそりと呟いた。


「なんでこんなもん作れんだよ……」


その声は、たぶん誰にも聞こえていなかった。


昼過ぎ、小さな村へ差し掛かった。


道沿いにあるだけの小さな村で、地図にも名前が載っていないくらいの規模だった。家が十数軒。畑がいくつか。それだけの村だった。


「休憩がてら寄っていくか」


「賛成」


サリーがすぐに頷く。エナも特に反対しなかった。


村の入り口には年老いた男が座っていた。俺たちを見るなり目を細める。


「旅人か。珍しい」


「少し休ませてもらえますか」


キールが丁寧に頭を下げた。男は頷く。


「構わんよ。ゆっくりしていきな」


村の中へ入る。


静かだった。いや、静かというより活気がない。畑で作業している村人はいる。家の前に座っている老人もいる。けれど誰もがどこか疲れた顔をしていた。子供の姿も少なく、たまたま見かけた子供も小さく咳をしている。


「なんか元気ないわね」


サリーが小声で呟いた。


「そうだな」


俺も同じことを思っていた。


その時だった。健が不意に立ち止まる。


「ちょっと待て」


俺たちも足を止めた。健は村の中を見ていた。咳をしている子供。疲れた顔の村人。活気のない空気。そして村の外れにある井戸。


「井戸か」


「井戸?」


「見てくる」


健はそれだけ言うと、迷わず井戸へ向かった。俺たちも後を追う。


井戸を覗き込む。水はある。見た目は普通だった。だが健は眉をひそめた。


「臭いな」


言われて俺も嗅いでみる。かすかに腐ったような臭いがした。


「これ飲んでるのか?」


「他になければな」


健は近くにいた老人へ声を掛けた。


「この水、いつからだ」


老人は少し驚いた顔をした。


「半年ほど前からかのう。最初は少し変な臭いがする程度だったんじゃが、だんだんひどくなってな……」


老人は苦い顔をした。


「それでも飲まんわけにはいかんかった」


「他の水はなかったのか?」


キールが尋ねる。


「雨水も溜めておった。だが村全員が生きるには足りん」


老人は力なく首を振った。


「それに最初に体調を崩したのは子供たちじゃ」


俺たちは黙って続きを聞く。


「咳が出るようになって、熱が出るようになって……気付けば寝込む者が増えておった」


「それで原因を調べなかったのか?」


俺が尋ねる。


老人は寂しそうに笑った。


「調べるつもりだった。だが次は若い衆が倒れた」


健が黙って聞いている。


「畑を守る者が減り、水を汲む者が減り、看病する者も減った」


老人は村を見渡した。


「気付けば動ける者がおらんようになっておった」


静かな声だった。


「この村はな」


老人が言う。


「ゆっくり弱っていったんじゃ」


「半年?」


健の目が細くなる。


「おかしいな」


「何がだ?」


「井戸が勝手にこうはならない」


健はそう言って、井戸の周辺を見回した。俺にはただの井戸にしか見えない。


「上流はどっちだ」


老人が村の外れを指差す。


「あちらに小さな沢がある。昔はそこからも水を引いておった」


「行くぞ」


健はもう歩き出していた。


「ちょ、待てって」


俺たちは慌てて後を追う。村の外れを抜け、草の生えた細い道を進むと、小さな沢に出た。水はほとんど流れていない。流れている場所も濁っていて、近付くだけで嫌な臭いがした。


「うっ……」


サリーが鼻を押さえる。エナも顔をしかめた。


「これはひでぇな」


沢の少し奥に、魔物の死骸がいくつか転がっていた。コボルトか、それに近い魔物だと思う。腐敗が進んでいて、正直あまり見たくない。


「原因はこれか」


健が短く言った。


「これが水を汚してたってことか?」


「多分な。沢の流れが悪い。死骸が腐って、そこから地下に染みたんだろ」


言っていることは分かる。分かるけど、普通はそんなことすぐ気付くものなのだろうか。俺なら井戸の水が臭い時点で終わっていたと思う。


健は死骸と沢を見てから、こちらを振り返った。


「湊」


「おう」


言われる前に何となく分かった。これは俺の出番だ。


創世を開く。


今必要なのは何だ。綺麗な水。安全な水。村人が飲める水。それから、この腐った原因ごと消す力。


その瞬間だった。視界の端でウインドが光る。


創世一覧:浄化


「きた!」


今の俺に必要なのはこれだ。迷わずウインドへ触れる。


俺は沢へ手をかざした。白い光が溢れる。やわらかな光だった。光は沢の水へ広がり、腐敗した魔物の死骸まで包み込んでいく。嫌な臭いが薄れ、濁っていた水が少しずつ透き通っていった。死骸は白い光に溶けるように消えていき、黒ずんでいた土まで元の色を取り戻していく。


「なんだこれ……」


エナが呟いた。


俺も同じ気持ちだった。俺がやったはずなのに、俺が一番よく分かっていない。


そのとき、隣にいたサリーの声が聞こえた。


「ちょっと待って」


静かな声だった。サリーにしては珍しく、笑っていなかった。


「どうした?」


「浄化って……こんな魔法じゃないわよ」


「え?」


「浄化はね、コップ一杯の瘴気水を元に戻せる程度の魔法なの。それをこの規模でやるのもおかしいし、魔物の死骸が消えるなんてあり得ないし」


サリーは沢を見ながら続ける。


「それに……この水、聖気を帯びてる」


「聖気?」


「聖水と同じ成分よ。浄化した水がこうなるなんて、普通はあり得ない」


「普通はって、どういう意味だ」


「つまり」


サリーがこちらを向いた。


「ミナトのやった浄化は、浄化じゃないってことよ」


「……どういうことだ」


「私にも分からない。でも確かなのは、あなたが使った浄化と、私たちが知ってる浄化は、たぶん別物だってこと」


健は黙って沢を見ていた。


「まあ、使えるならいいんじゃないか」


「よくないわよ!」


サリーが健へ向き直る。


「規格外すぎるのよ! もう少し驚きなさいよ!」


「俺は驚いた」


「顔に出てない!」


二人がやり合っている間、俺は沢を見ていた。透き通った水が流れている。さっきまでの濁りが嘘みたいだった。


聖水、か。


よく分からないけど、飲んでも大丈夫そうではある。


村へ戻って井戸を確認すると、さっきまでの嫌な臭いは消えていた。水面も澄んでいる。


「とりあえず飲んでみろ」と健が言った。


「俺が?」


「勇者だろ」


「勇者を毒見役みたいに使うな」


そう言いながらも、俺は少し水を掬って口へ含んだ。美味かった。水なのに美味い。それしか言葉が出てこないくらい澄んでいた。


「大丈夫そうだ」


「なら次だ」


「次?」


健がウインドを開いた。今度は健の番だった。


創世の光が集まり形になる。完成したのは大きな木製の貯水槽だった。さらに井戸には手押しポンプが取り付けられていく。


「これは?」


俺が尋ねる。


健は井戸と村の中心を見比べた。


「井戸は村の端だ」


「そうだな」


「毎回ここまで来るのは面倒だろ」


健は貯水槽を指差す。


「ポンプで汲み上げて貯める」


「なるほど」


「子供でも使える」


老人が目を丸くした。


「そんなことまで……」


俺は思わず苦笑した。俺なら浄化して終わりだった。でも健は違う。水が綺麗になった後のことまで考えている。


「沢は浄化した。井戸も問題ない」


健は淡々と言う。


「なら次は使いやすくするだけだ」


健はそれだけ言うと、さっさとポンプの調整を始めた。感謝されることに興味がない顔だった。


村人が集まってくる。貯水槽に溜まっていく水を見て声を上げる。老人が事情を説明すると、何人かは泣いていた。


最初に飲んだのは子供だった。貯水槽の水を小さな器にすくって、そのまま口に含む。次の瞬間、ぱっと表情が変わった。さっきまでどこか青白かった顔に、じわじわと赤みが戻っていく。目に力が宿って、さっきまでの子供と同じ人間とは思えないくらい生き生きとした顔になっていた。


「……なんか効きすぎじゃないか」


思わず呟く。


「聖水だからな」と健が隣で言った。「そりゃそうだろ」


「いや分かってたけど、改めて見るとすごいな」


次々と村人が水を飲んでいく。げっそりと痩せこけていた老人の顔に少しずつ血色が戻る。床に伏せっていた病人も、水を口に含むと苦しそうだった呼吸が落ち着いていった。


「あれ……?」


本人が一番驚いた顔をしていた。


周囲がざわめく。


涙を流す村人もいた。笑い声が上がった。誰かが誰かを抱きしめた。


さっきまで沈んでいた村が、少しずつ活気を取り戻していく。


俺はその光景をぼんやりと眺めながら、なんと言えばいいか分からなかった。感動、というのとも少し違う。ただ、胸のどこかがじんわりと熱かった。


「ありがとうございます、旅人様」


老人が深々と頭を下げる。


「いえ。皆様が無事で何よりです」


キールが代表して答えた。サリーは今にも泣きそうな顔をしている。


「よかった……本当に」


俺は何となく頭を掻いた。こういう時、何を言えばいいのかよく分からない。


少し離れた場所でエナが健を見ていた。じっと。ずっと。


俺は近付く。


「どうした?」


エナは少し黙った。それから口を開く。


「……あいつ、怖くねぇか」


「健が?」


エナは頷いた。


「何考えてるかあんまり分かんねぇし」


少し考える。


正直、それは俺も分かる。


「確かにな」


「だろ?」


「あいつ何考えてるかよく分かんねぇんだよな」


エナがうんうんと頷いた。


でも。


「一つだけ分かることはある」


「?」


「ちゃんと俺たちのこと見てるぞ」


エナが首を傾げる。


俺は健を見る。あいつはまだポンプを弄っていた。誰にも頼まれていないのに、もう少し良くしようとしている。


「健には妹がいるんだ」


「だから?」


「エナくらいの歳だったはず」


「だから?」


「だからエナのこと一番気にしてるの、健かもしれない」


「は?」


エナが露骨に嫌そうな顔をした。


「あいつが?」


その時だった。


少し離れた場所から健の声が飛んでくる。


「エナ」


「ん?」


「そこ危ないぞ」


エナが立っていた場所の足元が少し崩れる。


慌てて飛び退いた。


健はそれだけ言うと、またポンプへ視線を戻した。


エナが固まる。


俺は笑った。


「ほらな」


「……」


「気にしてる」


エナは答えなかった。


でも否定もしなかった。


村を出る頃には太陽が傾き始めていた。振り返ると、さっきまで静かだった村に少しだけ活気が戻っている。子供たちの声も聞こえた。


俺たちは馬車へ乗り込む。


エナは入る直前、もう一度だけ村の方を見た。それから少しだけ視線を健へ向ける。


健は最後にもう一度ポンプを確認している。本当に変なやつだ。でも、あいつならどこへ行っても何とかしてしまう気がした。


次の目的地はサード。その前には大渓谷がある。


俺たちは西へ向けて出発した。

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