第79話:1円の無駄もない跳躍
第79話:1円の無駄もない跳躍
悲鳴を上げる関節と阿鼻叫喚のコックピット
羽田空港の空対課格納庫に、けたたましい金属音と金剛鉄平の怒声が響き渡った。
「くそっ! なんでこのデカブツは、俺のキャリアーみたいに素直に曲がらねえんだ!」
月に一度、空対課で実施されるADUADS Mk-IIの搭乗訓練。不測の事態で刑部が操縦できない状況に備え、課のメンバー全員が最低限の操縦技術を身につけるための必須カリキュラムである。
現在は出力を訓練モードに絞っているものの、金剛の力任せな操縦では四脚のホイールが空回りし、激しいスキール音を立てるばかりだ。
「おい金剛! 右前脚のサスペンションが悲鳴を上げてるぞ! トラックのハンドル切るみたいにレバーを引くんじゃねえ!」 テレメトリを監視する新田が親の仇のように叫ぶ。 タラップに立つ刑部も淡々とアドバイスを送った。
「金剛さん、機体の慣性と喧嘩しないでください。四脚に均等に荷重を逃がすイメージです」
「頭じゃ分かってんだよ! だが、身体がトラックの動きを求めちまうんだ!」 パイロンを三つなぎ倒し、金剛の訓練は強制終了となった。
続いてコックピットに押し込まれたのは、外務係長である。
「ヒィィィィッ! 高い! 揺れますぅぅーっ!」
時速5キロ。歩行者よりも遅い速度で、パニックを起こした外務が操縦桿にしがみついている。
「外務係長。これでは現場に到着する前に事件が終わってしまいますよ」
見学席の羽代課長が呆れ顔でコーヒーを啜った。
次に搭乗した雲井瑞希は、開始早々に三半規管の悲鳴を上げていた。
「ちょっと! なんで俯瞰視点がないのよ! 自分の足の接地感覚なんてコックピットからじゃ分からないわよ!」
「瑞希、モニターの数値を見るな。機体の傾きを体で感じろ」
「刑部さんみたいに野生の勘で乗れるわけないでしょ! ああっ、また右に流れる!」
ドローンの遠隔操作に長けた彼女も、巨大質量の直接的なGと物理フィードバックには勝てず、早々にギブアップとなった。
四番手として乗り込んだ鳥海詩織は、意外な適性を見せた。
「あらあら、いつものフォークリフトより視界が広くて快適ですねぇ」
彼女は滑らかな手つきでMk-IIの補助腕を操作し、コース上の障害物コンテナを綺麗に三段積みにして見せた。
「おい鳥海、なんでお前そんなに荷役作業が上手えんだよ」
「メーカーさんへの納品の手伝いで慣れておりますから」
「鳥海さん、それは対ドローン装置です。荷下ろし機じゃありません」
刑部が静かにツッコミを入れる。
開発者と指揮官の挑戦
「お前ら、こいつの繊細さがまったく分かってねえ。俺がお手本を見せてやる」
そう豪語してコックピットに収まったのは、設計者でもある新田だった。 しかし、一向に機体がスタートラインから動かない。
「オヤジさん、どうした?」
刑部が尋ねると、通信機からブツブツと呟きが聞こえた。
「右前脚のサーボモーターの応答遅延が0.002秒ある……。サスのダンパー設定も気に食わねえ。今からOSの数値を手動で書き換えるから10分待て」
「新田さん、それは操縦訓練じゃなくてメンテナンスです」
結局、一歩も動かないまま新田の時間は終了した。
「やれやれ。じゃあ、私も感覚を掴んでおこうかしら」
交代して優雅にシートに座ったのは、羽代課長だった。元航空管制官である彼女は、複数モニターの情報を瞬時に処理し、意外なほどスムーズにMk-IIを歩行させ始める。
「クリアランス承認、タキシング開始。……なるほど、悪くないわね」
だが、スラロームの途中で急に機体が停止した。
「課長、どうしました?」
「……視界が狭すぎるわ。上空からエリア全体を俯瞰して全機に指示を出せないと、どうにももどかしいのよ。やはり私は、現場で踊るより、管制室で指示を出す方が性に合っているわね」
そう言って、あっさりと操縦桿を手放してしまった。
経理担当の完璧なメソッド
「……これ以上は時間の無駄ですね。私がやります」
ため息とともにタブレット端末を置き、最後に財前鏡子がシートに収まった。
「了解。刑部さん、システムモードの切り替えをお願いします」
いつもの冷徹な表情のまま、彼女は操縦桿を握る。
「財前鏡子、Mk-II、起動します」
その瞬間、Mk-IIの挙動が劇的に変わった。 滑るようにテストコースへ躍り出た機体は、まるで精密機械の時計の針のように、一切の無駄がない動きでスラロームを駆け抜けていく。 ホイールの回転数、脚部のサスペンションの沈み込み、そして重心移動。そのすべてが、マニュアルに記載された最適解の数値をなぞるように完璧だった。
「……すげえ。右脚のショックアブソーバーにかかる負荷が、理論上の最小値だぞ」
新田がモニターを見て呆然と呟く。
「タイヤの摩耗率を最小限に抑えるため、摩擦係数をリアルタイムで計算して制動をかけていますから」
通信機越しに聞こえる財前の声には、一滴の汗も混じっていない。
「無駄なアクセルワークがないから、燃料消費量も通常の30%減……。まさに『走る経費削減』ね」 瑞希が感心したように息を吐く。
「見事だ。……俺より機体に優しいかもしれないな」
刑部も、その完璧な機体制御に静かに感嘆の息を漏らした。
サブパイロットの座といつもの日常
コースを規定タイムぴったりで完走し、Mk-IIが定位置に静かに着地した。 コックピットから降りてきた財前は、乱れたスーツの襟を直すこともなく、すぐに自分のタブレット端末を手に取った。
羽代課長が満足げに頷く。
「決まりね。今月の予備パイロットも、引き続き財前さんにお願いするわ」
「承知いたしました。……ところで金剛さん」
財前は氷のような視線を、項垂れる巨漢に向けた。
「先ほどのあなたの強引な操縦で、タイヤの溝が規定値より0.2ミリ余分に削れました。また、倒したパイロン三つの弁償代を含め、本日のあなたの夕食の手当はカットです。備蓄用の乾パンで我慢してください」
「待て! 訓練のミスで自腹を切らせるなんて、労働基準法違反だろォォッ!」
「あらあら、乾パンだけでは喉が渇くでしょう。今日はメーカーの方から、美味しいお茶とお茶菓子をたくさん頂いているんですよ」
鳥海がワゴンを押しながらニコニコとやってくると、格納庫にようやくいつもの和やかな空気が戻った。
「鳥海さん、助かるわ。刑部さんも食べるでしょ?」
「ああ。瑞希、悪いが俺の分も取っておいてくれ。……新田さん、オヤジさんも休んでください」
天才的なメインパイロットと、冷徹で完璧なサブパイロット。そして個性が強すぎる裏方たち。空対課のADUADS Mk-IIは、このメンバーの手によって今日も万全の状態を保っている。
【第79話:1円の無駄もない跳躍 完】




