第72話:国賓の盾と、引き抜きの誘惑
第72話:国賓の盾と、引き抜きの誘惑
「絶対に、何があっても、粗相のないように! 相手は同盟国である欧州の要人、あの国の副首相、アーネスト副首相ですよ!」 羽田空港の詰め所で、外務係長が胃薬を水で流し込みながら絶叫していた。
「今回、警察庁からの要請で、我々空対課が副首相の車列警護に組み込まれることになりました」
羽代課長が落ち着いた声で補足する。
「海外のテロ組織が、極小サイズの爆薬搭載型ドローンを使用した暗殺計画を企てているという情報が入ったためです。既存の警察のジャミング装置をすり抜ける自律型への対抗策として、Mk-IIの物理的な迎撃能力が買われました」
「光栄なことですが、要人警護の予算枠は警察が握っています。我々の経費はスズメの涙ですよ。弾一発撃つごとに赤字です」
財前鏡子は電卓を叩きながら、すでに不機嫌だった。
「まあまあ財前さん、今回は私が防衛省の余剰品から『警護用特殊捕獲網』を安く仕入れてきましたからぁ!」
と鳥海がフォローを入れる。
こうして、空対課のメンバーによる異例の「VIP警護任務」が幕を開けた。
副首相の来日スケジュールは1週間に及んだ。 金剛の運転する偽装キャリアーは、警察の車列の最後尾にピタリと追従し、都内の視察から京都への移動まで、完璧なエスコートをこなした。
日程は驚くほど順調に進み、最終日の前日を迎えていた。
「暇だなァ……。毎日毎日、出番もなくキャリアーの中で待機させられちゃ、Mk-IIの関節が錆びちまうぞ」
キャリアーの荷台で、新田班長が欠伸を噛み殺しながらMk-IIの脚部を磨いていた。
「平和が一番ですよ、新田班長。何も起きないのが最高の警護です」
刑部風人は操縦席で待機したまま、静かに答える。
そして迎えた最終日。 副首相を乗せた防弾仕様のリムジンが、帰国の途につくため、都心から羽田空港へと向かう首都高速を走行していた。
その時である。
『……ッ! 刑部さん、上空から急速接近する熱源反応3!』
先導車でセンサーを監視していた雲井瑞希の声が、インカムに鋭く響いた。
『レーダー反射断面積が極端に小さい。鳥に偽装したステルス型ドローンです! 警察の電波妨害を完全に無視して、副首相の車へ降下してきます!』
「やはり来たか。総員、迎撃態勢!」
羽代課長の号令が飛ぶ。
「金剛さん、キャリアーの屋根を開けろ! 走りながら撃つ!」
「おうよ! 振り落とされんなよ刑部!」
時速80キロで走行するキャリアーの天面ハッチが展開され、首都高の強い風の中に、白とネイビーの装甲がせり出した。
『目標は3機。距離200、150……速い!』
瑞希が次々と座標データをMk-IIの火器管制システムに送り込む。
「新田班長、サスペンションのロックを解除。走行中の振動を機体側で吸収する」
「おう、リミッターは外しといた! 思い切りやれ!」
刑部は操縦桿を握り、Mk-IIの上半身を副首相の車列の斜め上へと向けた。 肉眼ではただの黒い点にしか見えない小型ドローン。だが、瑞希の送ってくる予測軌道と、刑部の研ぎ澄まされた直感が完全にシンクロする。
「鳥海さん、特殊捕獲網を」
「装填済みですぅ! 射出圧、最大!」
刑部が引き金を引いた。 ドンッ! という発射音と共に、三発の特殊ネット弾が空中に放たれる。 時速80キロの移動、首都高の横風、そして極小のターゲット。本来なら絶対に当たらないはずの条件の中で、ネットは見事に空中で展開し、急降下してきた3機のドローンをすべて絡め取った。
『全機、捕獲確認! 爆発の兆候なし!』
瑞希の報告に、外務係長が「ああっ、助かった……!」と座席に崩れ落ちた。 副首相の車列は、何事もなかったかのように羽田空港へと滑り込んでいった。
一時間後、羽田空港の特別VIPルーム。 帰国の途につく直前のアーネスト副首相が、空対課のメンバー全員を前にして、目を輝かせていた。
「ワンダフル。信じられない光景だった」
通訳を介さず、流暢な日本語で副首相は語りかけた。
「あの走行中のキャリアーからの精密狙撃。旧式にも見える機体を完璧に制御するパイロットと、それを支えるナビゲーター、整備士、そして指揮系統……すべてが芸術的なまでの連携だった」
副首相は、熱を帯びた視線で羽代課長や刑部たちを見渡した。
「単刀直入に言おう。あなた方『空対課』のチームを、丸ごと我が国の国家安全保障局に迎え入れたい。機材の開発予算は青天井、給与は現在の5倍……いや、10倍を約束する。最高の環境を用意しよう」
その言葉に、部屋の空気が一瞬だけ凍りついた。
「きゅ、給与10倍……! 予算が青天井……!」
財前が眼鏡を押さえる手が震え、
外務係長は「外務省より給料が良くなるのでは……?」
と白目を剥いている。
しかし、刑部風人は静かに一歩前に出ると、深く頭を下げた。
「過分な評価、光栄に存じます。ですが、お断りいたします」
「……何故だ? 環境に不満があるのか?」
「不満だらけですよ」 刑部の隣で、新田班長が鼻を鳴らして笑った。
「予算は渋られるし、徹夜は多いし、上層部は文句ばっかりだ。でもな、俺たちがこの鉄屑……Mk-IIを一番輝かせられるのは、この厄介な東京の空の下だけなんですよ」
瑞希もタブレットを抱えながら、フッと微笑んだ。
「どんなに完璧なシステムを与えられても、私たちが守りたいのは、この国の『日常』ですから」
部下たちの言葉を聞き、羽代課長が凛とした姿勢で締めくくった。
「副首相閣下。我々は日本の国土交通省・航空管理局の職員です。この泥臭く、不格好な職場を……我々は存外、気に入っておりますので」
副首相はしばらく驚いたような顔をしていたが、やがて腹の底から愉快そうに笑い出した。 「ハハハ! そうか、それは残念だ。だが、日本は最高の『盾』を持っていることだけはよく分かったよ。素晴らしいチームだ」
副首相は一人一人と固い握手を交わし、専用機へと乗り込んでいった。
「あーあ、惜しいことしましたねぇ。給料10倍だったら、毎日高級スイーツが食べられたのに」
見送りからの帰り道、鳥海が少しだけ残念そうに伸びをした。
「仕方ねえだろ。俺たちゃ公務員だ」 金剛が笑いながら背中を叩く。
「……そうです、我々はしがない公務員です。ですから刑部さん」
突然、財前鏡子が冷ややかな声で電卓を掲げた。
「今回の走行中の発砲によるMk-IIの関節摩耗部品の交換費用と、首都高の清掃業者への特別手配料。警察からの予算は下りませんでした。よって、皆さんの今月の手当から一部補填させていただきます」
「な、なんだってーーーっ!?」 金剛と外務係長の悲鳴が、羽田空港のロビーに響き渡る。
「ああ、いつもの日常に帰ってきたって感じがするわね」
瑞希がクスクスと笑い、刑部も苦笑しながら首を振る。 世界から絶賛されようとも、空対課の果てしない予算との戦いと泥臭い日常は、明日も変わらず続いていく。




