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第70話:年に一度の通信簿と、見えないスクラム

70話達成しました。100話目指して頑張ります。引き続きよろしくお願いいたします。

第70話:年に一度の通信簿と、見えないスクラム

羽田空港の一角にある「小型無人機対策課(通称:空対課)」の詰め所は、普段の喧騒や怒号が嘘のように、穏やかな空気に包まれていた。


今日は年に一度、国土交通省本省から監査官が訪れる日である。 出向者の寄せ集めであり、常に莫大な予算を食い潰す空対課にとって、監査は本来なら首の皮一枚を争う死活問題のはずだ。外務係長などは一週間前から胃薬を手放せずにいた。

しかし、今年の監査官として派遣されてきたのは、温厚な笑顔を絶やさない国土交通省のベテラン官僚の九条くじょうだった。


「いやあ、素晴らしい。帳簿は1円の狂いもなく整理されていますし、特殊弾頭の調達ルートも極めて透明性が高い。これなら財務省も文句は言えませんよ」

九条監査官が分厚いファイルを閉じながら笑うと、向かいに座る財前鏡子が小さく息を吐き、静かに頭を下げた。


労働環境のヒアリングでも、波乱は起きなかった。

「徹夜の整備? そりゃあありますがね、強制じゃねえです。俺があの鉄屑……いや、可愛い機体を完璧にしてやりてえだけですから」

新田班長が油まみれの手をタオルで拭きながらぶっきらぼうに答え、金剛鉄平も

「飯さえ食えれば文句はねえッス!」と豪快に笑い飛ばした。


実務の状況、機材の保守管理、そして予算の執行状況。すべてが「問題なし」として和やかに進行し、監査はいよいよ最終プログラムである「個別面接」へと移行した。 これは職員一人一人と監査官が密室で向き合い、日頃の不満や要望、業務の実態を率直に語るための時間である。


最初の面接室に入ったのは、金剛だった。

「要望ですか? ……そうですね、経理の財前にはいつも『自腹だ』『手当カットだ』と脅されてますがね。でもあいつ、俺たち現場の人間を守るための『安全マージン』の予算だけは、絶対に削らねえんです。口は悪いが、あいつが本省と戦ってくれてるから、俺たちは現場で思い切り暴れられる。感謝してますよ」


入れ替わりで入室した財前は、冷たい眼鏡の奥の目を少しだけ和らげて語った。

「私がいくら予算の枠組みを作っても、実弾がなければMk-IIはただの的です。鳥海さんが各所に頭を下げ、防衛省の伝手まで使って特殊弾頭を調達してくれるからこそ、この部隊は成立しています。それに……刑部さんも金剛さんも、私の小言を聞いて、現場では極限まで被害を抑える操縦をしてくれていますから。優秀な現場ですよ」


その鳥海詩織は、ふんわりとした笑顔で面接官に答えた。

「新田班長はいつも怒鳴っていますけど、誰よりも機体とパイロットの命を第一に考えてくれています。それに、私たちが現場で無茶をした後、外務係長が方々に飛んで謝罪して回ってくださるんです。あの方が防波堤になってくださるから、私たちは前を向いて仕事ができるんですよぉ」

油の染み付いた作業着姿の新田は、面接室のパイプ椅子に深く腰掛けながら、照れ隠しのように鼻を鳴らした。

「俺がやってんのは、ただの鉄屑の整備ですよ。凄いのは現場の連中です。……刑部の野郎は、俺が徹夜で組んだサスペンションの限界を、ミリ単位で理解してやがるんです。どんな無茶な動きをしても、機体へのダメージが最小限になるように、バカみたいに丁寧に操縦しやがる。雲井のナビもそうだ。あいつが完璧なルートを弾き出すから、無駄な機動が減って関節の摩耗が抑えられてる」

新田はそこで言葉を区切り、ひび割れた自分の手のひらを見つめた。

「……あいつらが現場で命張って、限界ギリギリまで機体を労わって帰ってくるんだ。だから俺たち整備班も、徹夜してでも泥を落として、最高の状態に組み直してやりたくなるんですよ」


外務謙一は、ハンカチで額の汗を拭いながら熱弁を振るった。

「私はただ事務処理をしているだけです! 現場で命を張っている刑部君や、瞬時に完璧な判断を下す雲井君のプレッシャーに比べたら、私の苦労なんてちっぽけなものです。そして何より、いざという時にすべての責任を背負って『撃ちなさい』と言い切ってくれる羽代課長がいる。だから私は、全力で事後処理に走れるんです!」


続いて面接室に現れた羽代課長は、凛とした佇まいで九条監査官の前に座り、母親のような、それでいて絶対的な指揮官の顔で静かに微笑んだ。

「私の仕事など、最後にハンコを押して、すべての泥を被ることだけです」

凛とした彼女の声には、部下への絶対的な信頼が満ちていた。

「外務係長が各省庁との厄介な調整や謝罪をすべて引き受け、財前さんが血の滲むような思いで予算を死守してくれる。だから私は、一切の迷いなく現場に指示を出せるんです。そして現場の刑部君や雲井さん、金剛さん、新田班長たちは、私の『撃ちなさい』という重い決断を、常に被害ゼロという最高の形で証明してくれる。彼ら全員のプロフェッショナルとしての誇りと献身があるからこそ、私はただ『責任を取る覚悟』を持つだけでいい。……誇るべき、私の自慢のチームです」


雲井瑞希は、タブレットを抱えながら少し照れくさそうに笑った。

「私のナビゲートが活きるのも、刑部さんが私を『目』として完全に信頼し、命を預けてくれているからです。彼が私のデータを信じて1ミリの狂いもなく機体を制御してくれるから、私はどんな乱気流の中でも答えを出すことができるんです」


最後に面接室へ入った刑部風人は、いつものように背筋を伸ばし、静かな、しかし力強い声で告げた。

「ADUADS Mk-IIは強力な機体ですが、私一人がコックピットに座ったところで、ただの鉄の塊に過ぎません。瑞希の完璧なナビゲートがあり、金剛さんが現場へ運び、新田班長が命を吹き込み、鳥海さんが弾を込め、財前が活動の基盤を守り、外務係長と羽代課長が私たちの背中を庇ってくれる。全員が揃って初めて、あの機体は『相棒』として東京の空を守れるんです。……誰一人、欠けることはできません」


夕暮れ時。 すべての監査工程を終え、空対課のメンバー全員がブリーフィング・ルームに集められた。 九条監査官は、満足げな笑みを浮かべて分厚いレポートの束をデスクに置いた。

「皆様、本日はご協力ありがとうございました。監査はすべて『優』にて本省へ報告させていただきます」

その言葉に、外務係長が「よかったぁぁ……!」とその場に崩れ落ち、金剛がガッツポーズをした。

九条監査官は部屋を見渡し、ゆっくりと総括の言葉を紡ぎ始めた。

「私は長年、様々な省庁からの出向者が集まる部署を監査してきました。通常、そういった『寄せ集めの組織』は、水面下で出身省庁の対立が起きたり、個別面接で他人の不満や責任の押し付け合いが噴出したりするものです」

九条はそこで言葉を区切り、メンバーたちの顔を一人一人見つめた。

「しかし、あなた方は違った。今日の個別面接で、あなた方はただの一人も、自分の手柄を誇りませんでした。ただの一人も、仲間の不満を口にしませんでした。全員が全員、『自分以外の誰か』の貢献を語り、仲間を称賛していた」

その言葉に、刑部と瑞希は顔を見合わせ、財前は少しバツが悪そうに視線を逸らした。新田は照れ隠しのように鼻を鳴らしている。

「出向元の省庁も、専門分野も違う。それでもあなた方は、見えない強固なスクラムを組んで、この東京の空を守っている。……航空管理局小型無人機対策課。ここは間違いなく、我が国で最高のチームです。どうかこれからも、その『日常』を守り抜いてください」

九条監査官の深く、温かい一礼に対し、羽代課長が静かに立ち上がり、凛とした声で応えた。

「ありがとうございます、監査官殿。……空対課、気を付け。敬礼!」

刑部たち全員が、誇りを胸に一斉に敬礼を返す。 年に一度の監査の日は、夕陽に照らされたMk-IIの静かな待機音とともに、穏やかに幕を下ろしたのだった。






今後は週末(金、土、日のいづれか)に2話ずつ投稿していく予定です。

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