第68話:海風の遊園地とアクリルの防壁
第68話:海風の遊園地とアクリルの防壁
「外務係長、横浜市警と水族館の運営会社への根回しは終わった?」
羽田空港の詰め所で、羽代課長が毅然とした声で尋ねる。
「は、はいぃっ! すでに休日の八景島シーパラダイスは一部エリアの入場規制を開始! しかし、客の完全避難には時間がかかります!」
外務係長が泣きそうな顔でモニターを指差した。
モニターには、八景島の上空を旋回する不審な大型ドローンの姿が映っている。
「迷惑系動画配信者の犯行予告です。
『イルカショーのプールに特製の極彩色塗料をぶちまけてアートにしてやる』と……。機体には大容量のタンクが積まれています」
瑞希がタブレットの解析データを読み上げながら、不快そうに眉をひそめた。
「イルカたちのプールにそんな化学物質が撒かれたら、生態系は取り返しのつかないことになります……!」
普段は温厚な鳥海詩織でさえ、声に怒りを滲ませている。
そこに、財前鏡子の氷のように冷たい声が響いた。
「生態系もですが、水族館の巨大アクリルパネルをMk-IIが誤射した場合の賠償金も取り返しがつきません。総水量数千トンの水槽が破損すれば、横浜の海に数兆円規模の損害賠償が流出します。刑部さん、絶対に『弾』は外さないでくださいね」
「……了解している。行くぞ、金剛さん」
「おう! 待ってろよイルカちゃんたち、今助けに行くぜ!」
横浜・八景島。 海に浮かぶ広大な人工島へと続く橋を、金剛の操る特装キャリアーが猛スピードで駆け抜ける。 ジェットコースターの軌道が海風に晒される遊園地エリアの入り口で、白とネイビーの装甲に包まれたADUADS Mk-IIがアスファルトに降り立った。
『瑞希、風の状況は』 刑部は操縦桿を握り、Mk-IIの四脚ホイールを回転させながら遊歩道を疾走する。休日の喧騒が遠ざかり、避難が完了したスタジアム周辺は異様な静けさに包まれていた。
先導SUVの助手席で、瑞希は気象データを瞬時に弾き出す。
『東京湾からの強い南風。それに加えて、横にあるピラミッド型の水族館の屋根に風がぶつかって、複雑な下降気流を生んでいるわ。……刑部さん、上!』
瑞希の警告と同時、スタジアム上空のドローンが、イルカたちの泳ぐ巨大プールへ向けて急降下を開始した。 タンクのノズルが開き、どぎつい蛍光ピンクの塗料が射出されそうになる。
「右メインアーム、レーザー・ダズラー展開!」
刑部が攪乱光を照射するが、相手は遠隔操作ではなく、事前にプログラムされたGPS座標へ向かう自律型だった。光学センサーを焼かれても、ドローンの軌道はブレない。
『刑部、このままじゃプールに塗料が落ちる! ショットガンの許可は下りてるわ。鳥海が用意した『特殊カーボンネット弾』で、機体ごとタンクを拘束しなさい!』
羽代課長の指示が飛ぶ。
「……だが、この強風と乱気流だ。ネットが風に流されれば、プールの水面に落ちる」
刑部はMk-IIの脚部サスペンションを軋ませながら、スタジアムの観客席を蹴って跳躍した。
『私が風を読むわ!』
瑞希の声がインカムに響く。彼女の目は、スタジアムの構造と海風の動きを完全に計算し尽くしていた。
『右から秒速8メートルの海風。ピラミッド屋根からの吹き下ろしが加わる。……刑部さん、そのまま高度を維持。左斜め上、仰角45度、発砲のタイミングは私が言う!』
「……君を信じる」 Mk-IIは空中で姿勢を制御し、左メインアームの重厚なショットガンを構える。ターゲットのドローンではなく、何もない虚空に向けて。
『三、二、一……今!』
ドンッ! という爆音がスタジアムに響き渡った。 銃口から放たれた特殊カーボンネットは、強烈な海風と下降気流に激しく煽られ、大きく軌道を変える――そして、まるで風のレールに乗ったかのように、急降下していたドローンの真正面へと完璧なタイミングで覆い被さった。
ガガガッ! ローターに強靭なネットが絡みつき、ドローンはショートを起こして完全に沈黙。塗料のノズルが開く直前で、プールの手前にある観客席の通路へと重々しく墜落した。
「……こちら刑部。目標の無力化、および塗料の飛散防止に成功した。水槽への被害はない」
着地したMk-IIの巨体が、潮風を浴びて静かに排熱音を響かせる。 プールの中では、危険が去ったことを察知したのか、イルカたちが楽しげに水面から顔を出して鳴き声を上げた。
『パーフェクトよ。よくやったわ、二人とも』
本部の羽代課長が、ふう、と長い安堵の息を吐いた。
数時間後、八景島の夕暮れ。 事後処理を終えた空対課の面々が、キャリアーの前に集まっていた。
「いやー、無事に終わってよかったですねぇ。水族館の方から、お礼にイルカのぬいぐるみを貰っちゃいましたぁ」
鳥海がホクホク顔でイルカのぬいぐるみを抱きしめている。 瑞希も、少し離れた海を見つめながら、やり切った表情で背伸びをしていた。
「よーし! 任務も完了したし、俺はあそこのシーフードバイキングで腹一杯食うぜ! 刑部も行くか!」
金剛が意気揚々と財布を取り出した、その時である。
「金剛さん、残念ですがバイキングに行く時間はありませんよ」
財前がタブレットを片手に、いつものように冷酷な宣告を下した。
「……今回の特殊カーボンネット弾は、鳥海さんが防衛省の伝手で無理やり前倒し納品させた『超・特注品』です。一発でウン百万円が飛びました。当然、皆さんの今月の出動手当はゼロ、というよりマイナスです」
「な、なんだってーーーっ!?」
金剛の悲鳴が横浜の海にこだまする。
『おい刑部!! また海風か!!』
さらにインカムから、通信越しにも関わらず鼓膜を破りそうな新田班長の怒声が響いた。
『前のお台場の塩抜きでどんだけ苦労したと思ってんだ! 今すぐ帰ってこい! 徹夜でMk-IIの関節を磨き直すぞ!!』
「……また徹夜か。すまないな、相棒」
刑部は苦笑し、夕陽に照らされて微かに潮の香りを漂わせるMk-IIの装甲を優しく撫でた。
「ふふっ、仕方ないですね。帰ったら私が高圧洗浄機を手伝ってあげますよ。……その代わり、今度自腹でここのクレープ奢ってくださいよ」
瑞希が笑いながら、刑部の隣に並ぶ。
華やかな遊園地の景色を背に、泥臭い公務員たちの果てしない「日常」への帰路が、また始まろうとしていた。




