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第66話:地下神殿の泥濘と鋼の歩行

第66話:地下神殿の泥濘と鋼の歩行

「……管轄外です! そもそも埼玉県春日部市ですよ!? なぜ東京の空を守る我々空対課に、河川局から要請が来るんですかぁっ!」

羽田空港の詰め所に、外務係長の悲鳴が響き渡った。 彼の持つタブレットには、巨大なコンクリート柱が林立する地下空間――世界最大級の地下河川『首都圏外郭放水路』、通称「地下神殿」の内部映像が映し出されている。

羽代課長はコーヒーカップを置き、静かにモニターを見つめた。

「江戸川を経由して、完全自律型の防水ドローンが地下施設に侵入したらしいわ。GPSも電波も届かない地下水路を利用して、都内の高度制限エリアへ違法薬物を運び込む新手の密輸ルートよ。放水路を抜けて都内の空へ飛び立たれる前に、なんとしても地下で叩き落とす必要があるわね」

「ですが、地下空間での制圧なんて……!」

「外務係長、河川局との調整と始末書のフォーマット準備をお願い」

有無を言わさぬ課長の言葉に、外務はガクリと肩を落としてデスクに向かった。

その横で、財前鏡子が冷徹な声で告げる。

「刑部さん。地下神殿は総工費二千億円を超える国家の重要インフラです。柱に一つでも弾痕を残せば、空対課の年間予算は吹き飛び、我々は明日から全員ハローワーク行きです。ショットガンの使用は……わかっていますね?」

出撃準備を整えていた刑部風人は、短く息を吐いた。

「……了解している。被害ゼロで制圧する」

数時間後。埼玉県春日部市、首都圏外郭放水路・第1立坑前。 金剛が操る特装キャリアーから、ADUADS Mk-IIが重々しい駆動音とともにアスファルトへ降り立った。

『新田だ。いいか刑部、地下は泥と湿気の巣窟だ。装輪ホイール走行は泥濘に足を取られる。二脚と四脚の歩行モードを切り替えて、関節のトルク配分に気を配れよ』

「了解した、新田班長」

巨大なメンテナンス用エレベーターに積載され、Mk-IIは地下50メートルの深淵へと降下していく。 扉が開くと、そこは薄暗く、冷たい水音が反響する巨大なコンクリートの神殿だった。

『……通信感度、低下。中継ドローンを三機配置して、かろうじてリンクを維持しているわ』 地上に停めた先導SUVの中で、雲井瑞希がタブレットを睨みながら通信を繋ぐ。 『敵はGPSに依存しないSLAM(自己位置推定)で自律飛行しているはず。暗視センサーとソナーの情報をこっちに回して。私がマップを構築する』

「頼む、瑞希。……足元は最悪だ」

刑部の言う通り、地下神殿の床面には数センチの泥が堆積していた。 Mk-IIはホイールをロックし、四本の脚部を慎重に駆動させて泥濘を踏みしめる。巨大な柱と柱の間を、息を潜めるように進む鋼の機体。

『前方、第18ピラー付近! 複数のローター音を感知!』

瑞希の警告と同時、暗闇の奥から六つの青い光が浮かび上がった。 全長2メートル近い、防水仕様の大型ヘキサコプター(六枚羽根)ドローン。密輸品を抱えたその機体は、Mk-IIの存在に気づくと、けたたましい駆動音を立てて柱の裏へと回り込んだ。

「逃がすか」 刑部はスロットルを押し込む。Mk-IIが泥を蹴り上げ、跳躍。

「右メインアーム、レーザー・ダズラー展開!」

暗闇を切り裂く強烈な攪乱光。しかし、敵ドローンは巧みに柱の死角を飛び回り、直撃を避ける。それどころか、Mk-IIに向けてスリングショット式の小型鋼球をバラ撒いてきた。

ガガガッ! 「左補助腕、シールド展開!」 装甲に鋼球が弾かれる。機体に致命傷はないが、このままでは逃げ切られる。

「課長、やはりショットガンでローターごと……」

『却下よ! 跳弾で柱が傷ついたら財前さんが首を括ることになるわ!』

羽代の鋭い声に、刑部は瞬時に思考を切替えた。

「瑞希! 奴の次の軌道を予測できるか?」

SUVの中で、瑞希は目を閉じて全神経をセンサーデータに集中させた。 ドローンの飛行音の反響。地下を流れる微かな気流。柱の配置。

『……風穴が見えた。敵は自律型、つまり最も障害物のない「最短ルート」を計算して飛んでる。三秒後、第42ピラーと43ピラーの間を抜けて上昇するわ! 高度6メートル!』

「了解!」 刑部は操縦桿を限界まで倒し込む。 Mk-IIは四脚を大きく広げ、泥の床を滑走するように急加速。そして、前方の巨大なコンクリート柱の壁面を「蹴って」三角跳びの要領で宙に舞った。

「チェックメイトだ」

空中で姿勢を反転させたMk-IIの右補助腕から、シングル・ローター・ブレードが展開される。 瑞希の予測通り、柱の間から急上昇してきたドローンの真正面に、巨大な鋼の塊が立ち塞がった。

一閃。 鋭い金属音が地下神殿に響き渡る。 コンクリートの柱には傷一つ付けず、敵ドローンのローター基部のみを精密に切断。推力を失った密輸機は、そのまま泥水の中へと墜落し、沈黙した。

「……こちら刑部。目標の完全沈黙を確認。施設への損害ゼロ」

『お見事。さすがは私たちの「目」と「手」ね』

インカムから羽代課長の安堵した声が聞こえた。

数時間後。地上の初夏の陽射しの下。 任務を終えて生還したMk-IIの姿を見て、現場の面々は言葉を失っていた。

「……くっせぇぇぇっ!! 何だこのドブの匂いは!?」

金剛が鼻をつまんでのけぞる。 Mk-IIの白とネイビーの美しい装甲は、地下の泥とヘドロで真っ黒に汚れ、隙間という隙間に水草のようなものが絡みついていた。

「うおぉい! 勘弁してくれ刑部! 俺の磨き上げたキャリアーに、そんなヘドロまみれの鉄塊を積む気かよ!」

「金剛さん、鉄塊とは心外だな。汚れはしたが、立派に任務を果たした俺の相棒だ」

コックピットから降りてきた刑部が、泥まみれのスーツの袖を払いながら静かに反論するが、そこに新田班長の怒声が飛んできた。



『バカヤロー!! 足回りのサスペンションにヘドロが入り込んでやがる! これじゃあ完全分解して洗浄しねえと次の出撃に響くぞ!!』

「あらあら、高圧洗浄機の手配が必要ですねぇ。業者さんに連絡しておきます」

鳥海がふんわりと笑いながらスマートフォンを取り出す。

その横で、財前が冷たく光るメガネを押し上げた。

「鳥海さん、業者の手配は不要です」

「えっ?」

「予算外の支出です。洗浄作業は、現場の皆さんで『手作業』で行っていただきます。洗剤とデッキブラシは経費で落としてあげますから、感謝してください」

「鬼だ! この部隊には経理の鬼がいる!!」

金剛が天を仰いで絶叫する横で、瑞希がクスクスと笑いながらデッキブラシを二本持ってきた。

「ほら刑部さん、手伝ってあげるから。可愛い『相棒』をピカピカにしてあげないとね」

「……ああ。よろしく頼む」

刑部が泥だらけの顔で小さく微笑む。 地下神殿の暗闇を制した空対課の面々を待っていたのは、いつもの終わりの見えない泥臭い「日常」だった。



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