第65話:お台場最速の風、孤独な鋼の盾
【第65話:お台場最速の風、孤独な鋼の盾】
「……というわけで、警視庁および国土交通省航空局無人航空機安全課からの連名による、極秘の捜査協力依頼よ」
羽田空港の空対課本部。羽代課長がプロジェクターに映し出したのは、今週末にお台場で開催される国内最大規模のドローンレース『トーキョー・スカイ・サーキット』のポスターだった。
「ひぃぃっ! 警視庁と本省の連名なんて、失敗したらどっちからも責任を押し付けられる最悪のパターンじゃないですかぁ!」
外務係長がお約束の悲鳴を上げる中、財前鏡子は冷ややかにタブレットを弾いた。
「問題ありません。今回の捜査にかかる経費、機材費、および出動手当はすべて警視庁の予算から下ります。空対課の懐は一切痛みません」
「それで、俺たちは何をすればいいんですか?」
作業着姿の金剛鉄平が首を傾げると、羽代課長は雲井瑞希に視線を向けた。
「現在、レースの成績上位者に対し、闇のシンジケートが『違法な運び屋』になるようスカウトを行っているという情報があるの。そこで、雲井さん。あなたには凄腕のプライベート・レーサーとして大会にエントリーしてもらい、オトリ捜査を行ってもらうわ」
「……私が、オトリ?」
「ええ。ドローンの操縦技術において、空対課の……いえ、国内でもトップクラスの『目』を持つあなたにしかできない任務よ」
瑞希は少し驚いた顔をした後、不敵な笑みを浮かべた。
「了解しました。公道での暴走機を追うのに比べたら、決められたコースを飛ぶなんて簡単ですよ」
「よろしくね。瑞希ちゃん」
「刑部君は念の為、Mk-Ⅱで待機。他のみんなはレーシング・チームに偽装して雲井さんのフォローをお願いね」
――週末、お台場特設サーキット。
東京湾の海風が吹き抜ける特設会場は、数万人規模の観客と熱気に包まれていた。
瑞希はパイロット用のバイザーを被り、新田班長が夜を徹してチューンナップした特製レーシングドローンの操縦席に座っている。
『雲井、モーターの調子はどうだ? 警察の予算を使って鳥海が調達した、最高級のパーツを組み込んでやったんだ。負けたら許さねえぞ』
インカムから新田のダミ声が響く。
「完璧です、班長。……網も張れましたよ」
瑞希の視線の先、パドックの裏手では、彼女に接触してきたスカウト犯に対し、警視庁の私服捜査員たちが静かに包囲網を敷き始めていた。
『作戦通りね。瑞希さんはそのまま決勝レースに集中しなさい』
羽代課長の指示が飛ぶ。
だがその時、会場から少し離れた臨海副都心の裏路地に待機していた特装キャリアーの中で、刑部風人の網膜ディスプレイに鋭いアラートが点灯した。
「……刑部から本部。サーキットから南西へ2キロ。不審な熱源反応を捉えた。ステルス迷彩を施した大型の違法ドローンだ」
『なんですって!?』
外務係長が叫ぶ。
『警察のガサ入れに気づいた別動隊が、密輸品を抱えて逃走を図ったのね!』
羽代の舌打ちが聞こえた。
『マズいぞ! 本部と警察の回線は今、会場内の犯人確保で完全にパンクしてる! 雲井もレース中でナビゲートから手が離せねえ!』
新田が焦燥の声を上げる。
「問題ありません。……今回に限っては空対課のサポートは無しでも行けます。俺とMk-IIだけで出ますよ」
刑部は静かに宣言し、コックピットのハッチを閉じた。
「刑部風人、Mk-II、出る」
キャリアーから飛び出したMk-IIが、四脚のホイールを猛烈な勢いで回転させ、お台場の人気のないコンテナヤードへと急行する。
(風速データ、なし。敵の予測軌道データ、なし……)
いつもなら瑞希の声が脳内に直接響くように届くが、今の通信機は沈黙している。
刑部は操縦桿を握り締め、目を細めた。
(だが、いつも彼女が教えてくれていた。この時期の東京湾の風の癖、ビル群に反射する乱気流の気配……肌で覚えている)
「目標捕捉」
コンテナの隙間を縫うように低空で逃走する大型の違法ドローン。刑部はMk-IIの脚部サスペンションを極限まで沈み込ませ、コンテナを蹴り上げて跳躍した。
「左補助腕、シールド展開」
ゲージ・シールドを盾にして、敵機が放ってきた牽制用の閃光弾を弾き飛ばす。
サポートなしの単機突入。しかし、刑部の操縦に一切の迷いはなかった。機体との完全な同期。天才的な感覚が、風を読み、空間を支配する。
「……チェックメイトだ」
刑部は空中で姿勢を捻り、右サブアームのシングル・ローター・ブレードを展開。
海風を味方につけた流麗な太刀筋が、ステルスドローンの駆動部だけを精密に両断した。密輸品を抱えた機体は火を噴くこともなく、ネットが張られた安全地帯へと叩き落とされる。
「こちら刑部。対象の無力化および証拠品の確保完了。……損害ゼロだ」
刑部が静かに息を吐いた頃、お台場サーキットのメイン会場では、大歓声と共に瑞希のドローンがトップに次ぐ形で、チェッカーフラッグを受けていた。
――数時間後、サーキットのバックヤード。
「見事な腕前でしたねぇ、瑞希さん! スカウト犯たちも、警視庁が全員お縄にしてくれましたよぉ」
鳥海詩織が、ニコニコしながら冷たいドリンクを瑞希に手渡した。
「お疲れ様。見事な準優勝だったわね」
羽代課長も満足げに頷く。
そこへ、パリッとしたスーツを着た男が瑞希に歩み寄ってきた。有名な大手企業のドローンレースチームの監督だ。
「雲井さん、素晴らしいレースでした。どうです、公務員なんて辞めて、うちのプロチームに来ませんか? 給料は今の三倍、最新の環境と最高のサポートチームをお約束しますよ」
その言葉に、後ろで荷物を片付けていた金剛が「さ、三倍!?」と目玉を飛び出させた。
財前でさえ、少しだけタブレットの操作の手を止めて瑞希を見つめた。
しかし、瑞希はドリンクのストローから口を離すと、困ったように、けれど誇らしげに微笑んで首を振った。
「光栄なオファーですが、丁重にお断りさせていただきます」
「なぜです? 公務員の待遇に義理立てする必要など……」
「いえ」
瑞希は、コンテナヤードから戻り、夕陽を背にしてキャリアーに収容されていくMk-IIと、そのタラップを降りてくる刑部の姿を見つめた。
「私にはもう、手のかかる『鉄の相棒』と、無茶ばかりする『不器用なパイロット』がいますから。あの人の目は、私がいないとダメなんですよ」
男が去った後、刑部が瑞希のもとへ歩み寄ってきた。
「……何かあったのか?」
「ううん、何でもないわ。それより刑部さん、私なしでMk-IIを出すなんて、無茶しすぎよ」
瑞希が腕を組んでジト目を向ける。
刑部は少しだけバツが悪そうに視線を逸らし、短く答えた。
「君のデータのおかげだ。いつも聞いていたからな」
「あらあら、ごちそうさまですねぇ」
鳥海がふんわりと笑う中、いつものように財前がタブレットを突き出してきた。
「さて、感動的なところ申し訳ありませんが。今回のレースで瑞希さんが獲得した『準優勝の賞金』ですが、公務員の副業規定および空対課の特別経費相殺ルールに基づき、全額国庫および当課の予算に没収・計上させていただきます」
「まあ、当然ですね」
「そうです。警察から予算が出ているとはいえ、新田班長が使った特別チューンナップの部品代で足が出ているんですから」
『おい刑部、雲井!! 終わったからって浮かれてんじゃねえぞ!!』
インカムから新田の怒鳴り声が飛ぶ。
『海風をモロに浴びたせいで、Mk-IIの関節が潮水まみれだ! 帰ったら徹夜で塩抜きとグリスアップだ! 雲井のレーシング機もバラして洗浄するからな!』
「ゲェーッ!! せっかくお台場に来たのに、海鮮バイキングもなしかよ!!」
金剛が絶望の叫びを上げる。
夕闇が迫る東京湾。潮風が吹き抜ける中、最高のナビゲーターからのスカウト辞退というささやかな誇りを胸に、空対課の面々はいつもの「日常」であるメンテナンス地獄へと帰っていくのだった。




