第64話:中山の激走、死守せよ緑の聖域
【第64話:中山の激走、死守せよ緑の聖域】
「中山競馬場上空に所属不明の大型ドローンが侵入! 現在、第11レースのパドック上空を旋回中。競馬法違反および威力業務妨害の疑いで、千葉県警から空対課へ急行要請です!」
週末でごった返す羽田空港。その中にある空対課本部。外務係長の悲鳴が、対策室に響き渡った。
「目的は?」 羽代課長がコーヒーカップを置き、モニターを睨みつける。 「おそらくノミ行為(違法賭博)絡みの妨害工作です! 圧倒的一番人気の競走馬を上空からフラッシュや超音波でパニックに陥らせ、レースを大穴決着させる気かと……! JRA(日本中央競馬会)の理事たちが顔面蒼白で電話してきていますぅ!」
「サラブレッドは極めて繊細な動物よ。万が一のことがあれば、数十億円の損失になるわね。空対課、出動! 現着次第、対象を速やかに無力化しなさい!」
――千葉県船橋市・中山競馬場
「うおぉぉっ! 開催日の中山周辺は渋滞がエグいんだよ!」
金剛鉄平が絶叫しながら、特装キャリアーを巧みなハンドル捌きで関係者専用ゲートへと滑り込ませた。 先導SUVの助手席では、雲井瑞希がタブレットと睨み合っている。
「対象ドローン、コース上空へ移動! まもなくレース発走です!」
キャリアーの後部ハッチが開き、ADUADS Mk-IIが駆動音を響かせてアスファルトに降り立った。 「刑部風人、Mk-II、出る」 静かにコックピットで宣言した刑部に対し、現場の財前鏡子が通信機越しに冷徹な釘を刺した。
『刑部さん。JRAからの絶対条件をお伝えします。一つ、馬を絶対に驚かせないこと。二つ、ショットガンの発砲は音響によるパニックを招くため「絶対許可しない」とのこと。……そして三つ。コース内側の「芝コース」には絶対に立ち入らないでください。あの芝は特別製で、タイヤ跡一つで数千万円の損害賠償が発生します』
「……了解した。馬と芝には指一本触れさせない」
ファンファーレが鳴り響き、ゲートが開いた。 十数頭のサラブレッドが一斉にターフ(芝コース)を駆け抜ける。その直後、上空に潜んでいた黒い違法ドローンが、先頭集団を目掛けて急降下を開始した。
「行かせるか……!」 刑部はMk-IIのホイールを限界まで回転させ、コース外周の「ダートコース(砂のコース)」へと飛び込んだ。 四本の脚部と車輪が、深く重いダートの砂を巻き上げながら猛スピードで疾走する。
『刑部さん、ドローンは馬群の真上よ! 強烈な閃光弾を落とす気だわ!』
瑞希のナビゲーションが飛ぶ。
「距離を詰める。瑞希、風の計算と馬群のスピードをMk-IIに同期してくれ」
「時速約65キロ、最終コーナー手前! ダートの砂に足を取られないで!」
競走馬たちと並走する形となった鋼鉄の巨体に、スタンドの観客たちがどよめく。しかし、刑部の視線はただ上空の標的のみを捉えていた。
『おい刑部! ダートの砂を舐めるなよ! 関節に噛み込んだら一発で駆動系がイカれるぞ!』
本部から新田班長の怒声が響く。
「承知してます。……勝負を急ぎます!」
違法ドローンが先頭の馬の頭上へ迫り、内蔵されたストロボのシャッターを切ろうとしたその瞬間。
「右アーム、レーザー・ダズラー最大出力!」 ダートコースを疾走しながら、刑部は右腕を上空へ突き出し、非致死性の撹乱光をドローンの光学センサーへ向けて照射した。
「――ダスト(目潰し)完了」
センサーを焼かれた違法ドローンは目標を見失い、フラッシュを放つことなくバランスを崩した。
「落ちるわ! 落下地点、芝コースの内側!」
瑞希が叫ぶ。
「芝は傷つけせない……!」
刑部はダートコースの砂を深く蹴り込み、Mk-IIを跳躍させた。 空中で左補助腕の「ゲージ・シールド」を展開し、落下するドローンを空中でキャッチ。そのまま芝生を飛び越え、コース内側の作業用通路へと着地し、慣性を殺すために激しくスライディングした。
「……こちら刑部。対象の無力化および回収を完了。馬群への影響なし。芝コースへの接触、一切なし」
『お見事です、刑部君。レースも無事に確定したわ。観客は新しい「誘導馬」の演出だと思っているみたいね』
本部の羽代課長が、安堵の息を吐きながら労った。
――数時間後。
熱狂が去った中山競馬場のバックヤード。 夕暮れの中、金剛が期待に満ちた目で財前の前に立っていた。
「なあ財前! 芝生も馬も守り抜いた大金星だぜ! 中山競馬場といったら、名物の『もつ煮込み』と『鳥モモ肉の梅焼き』だろ!? 特別ボーナスで買い出しの許可を……」
財前はタブレットをスワイプし、冷たい視線を向けた。
「却下です。今回はショットガンを使わなかったものの、ダートコースを激走したことでMk-IIの関節駆動部に専用の特殊グリスを再充填する必要があります。経費削減のため、夕食はパーキングエリアの『かけうどん』です」
「ゲェーッ!! 馬のために走ったのに、ご褒美はニンジンすらないのかよ!」
『あらあら、金剛さん。落ち込まないでくださいねぇ』
通信機から、鳥海詩織のふんわりとした声が響く。
『実はJRAの広報担当の方から、空対課の迅速な対応への感謝として、名物の「もつ煮込み」と「フライドチキン」を差し入れしていただきましたぁ。今、保冷パックで本部に向かっているそうですから、帰ったらみんなで食べましょうねぇ』
「う、うおおぉぉっ! 鳥海さん、マジで女神!!」
金剛が夕陽に向かってガッツポーズを取る。 瑞希もホッとしたように微笑み、刑部も僅かに口元を緩めた。
「……これで、今日の疲れも少しは……」
『おい刑部!! 金剛!! 浮かれてんじゃねえぞ!!』
通信機越しに、新田班長の鼓膜を破るような怒鳴り声が炸裂した。
『競馬場のダートコースに使われてる砂はな、水はけを良くするために特殊な粒子になってんだ! それがMk-IIのホイールとサスペンションの隙間にビッシリ入り込んでやがる! もつ煮を食う前に、全バラシで関節部の砂抜きだ!! 朝まで寝られると思うなよ!!』
「ゲェーッ!! もつ煮が冷めるぅぅっ!!」
金剛が絶望の叫びを上げる横で、刑部はダートの砂で白く汚れた「相棒」を見上げ、静かに息を吐いた。
「……了解した。美味いもつ煮を食うには、相応の代償が伴うということか」
競走馬たちの熱気が残る中山競馬場で、空対課の面々は泥臭い現実に引き戻されながら、次なる仕事へと取り掛かるのだった。
【第64話:中山の激走、死守せよ緑の聖域 完】




