第57話:湖面の鏡、水柱の壁(富士山編・中編)
【第57話:湖面の鏡、水柱の壁(富士山編・中編)】
「霊峰富士の麓、富士五湖。その中でも最大の面積を誇り、観光客で賑わう『山中湖』が今回の舞台よ」
羽田空港・空対課対策室。スクリーンには、優雅に湖面を進む巨大な白鳥型の遊覧船と、それにまとわりつくように飛ぶ小型ドローンの映像が映し出されていた。
羽代課長が眉間を揉みながら指示を飛ばす。
「海外の迷惑動画配信グループが、自作の高速FPV(一人称視点)ドローンを使って、遊覧船や水上スキー客の至近距離を超低空で飛び回り、危険なアクロバット飛行を繰り返しているわ。水面スレスレを飛ぶため、通常のレーダー網を潜り抜けているの」
「は、はいぃ……っ! 山中湖村役場、地元観光協会、および漁業協同組合との事前調整は完了しています!」
外務係長が、昨日からの徹夜で充血した目を剥き出しにしながら、特大ボトルの胃薬を抱え込んでいた。
「湖への落下物による水質汚染の懸念から、地元は強硬な撃墜には大反対しています! 観光客と環境、両方を守ってください! 昨日の樹海での出動で、私の胃はもう限界なんです!」
「聞いたわね、空対課。富士の湖から、迷惑な羽音を追い払いなさい!」
山梨県・山中湖畔
富士山を雄大に望む山中湖畔の駐車場。
大型キャリアーの助手席で、財前鏡子がタブレット端末を冷徹な指使いでタップしていた。
「金剛さん、刑部さん。東京からの往復高速代……は昨日の延泊で浮きましたが、水辺での作戦行動に伴うMk-IIの特殊防水シーリング加工費、および万が一遊覧船を傷つけた場合を想定した特別損害保険の掛け金増額分。すでに今回の出張経費は210万円に達しています。湖畔には高価なレジャーボートが多数停泊していますから、絶対に『水しぶき一つ』余計に上げないでくださいね」
「水際で巨大ロボを動かすってのに、無茶言うぜ……。だが、昨日の樹海での一件がある。あの迷惑配信者ども、本当にただのバカ騒ぎか?」
金剛鉄平が、きらきらと光る湖面を見つめながら目を細める。
その時、先導する黒のSUVから雲井瑞希の鋭い声が飛んだ。
「敵FPVドローン、接近中! 今回は3機編隊よ!」
瑞希は安全な湖畔のスペースにSUVを完全に停車させると、助手席でタブレット端末を構え、観測ドローンからのデータリンクに完全に集中した。
「敵は時速100キロ以上の高速で水面スレスレを飛行中! 遊覧船の航路上へ向かっているわ! レーダーの反射波が湖面に乱反射して捕捉しづらいけど、私の補正プログラムで追尾する!」
「行くぜ、刑部!」
金剛がコンテナハッチを開放する。
ガシャアアン! と重低音を響かせ、全高3.8メートルの鋼鉄の獣――ADUADS Mk-IIが山中湖畔に降り立った。
コックピットのメインモニターに、システム名「aduads」のロゴが白く浮かび上がる。
「刑部、出る。……瑞希、目標の現在地は?」
『遊覧船まであと800メートル! 湖畔のボート乗り場からなら射程に収まるわ!』
刑部は操縦桿を押し込み、Mk-IIを湖畔の桟橋付近へと急行させた。最高速度の時速50キロは出さず、周囲の観光客を避けるように慎重に脚部を運ぶ。
Mk-IIは浅瀬に四脚を踏み入れ、機体を強固に固定した。左メインアームの大口径ショットガンを構える。
「……敵は高速かつ小型。直接狙撃すれば、破片が遊覧船や水上の観光客に降り注ぐ危険がある」
刑部は冷静に状況を分析し、無線を開いた。
「本部、こちら刑部。目標の進行方向手前、水面への発砲許可を要請する。ショットガンの散弾を水面に撃ち込み、人工的な『水柱の壁』を発生させ、その衝撃波と水飛沫でドローンを墜落させる」
羽田の対策室で、外務係長が電話の受話器にすがりつくように叫んだ。
「山中湖漁協! ならびに観光協会! 直接撃墜ではありません! 水面への威嚇射撃による撃墜です! ワカサギの群れには影響が出ないよう、浅瀬のポイントに限定します! どうか承認を……っ!」
数秒後、外務係長が涙声で叫ぶ。
「刑部君! 特例発砲許可、下りました! ただし、絶対に遊覧船に水しぶきをかけないこと! クレームが来たら私の胃が穴だらけになります!」
「了解した。……瑞希、タイミングを合わせる」
刑部はショットガンの銃口を、遊覧船とドローンの間、わずかに開けた水面へと向けた。
『敵編隊、一直線に接近中! 風速2メートル、波の高さ10センチ。……三、二、一……今!』
「そこだ!」
ズドンッ!! という爆音と共に、ショットガンから放たれた散弾が、計算し尽くされた角度で湖面に叩き込まれた。
直後、山中湖の静かな水面から、高さ数メートルにも及ぶ巨大な「水柱の壁」が垂直に立ち上がった。
時速100キロで超低空を飛んでいたFPVドローン3機は、突如として目の前に現れた水の壁を避けきれず、猛烈な水飛沫と衝撃波に叩き落とされた。
バシャアン! という音と共に、3機すべてが制御を失い、水面を跳ねるようにして浅瀬へと不時着した。
「……こちら刑部。目標3機、すべて無力化。遊覧船および観光客への被害なし」
『こちら山梨県警! 浅瀬に落ちた機体を回収した! 湖畔のバンから遠隔操作していた外国人配信者グループも現行犯逮捕だ! 見事な腕前だな、空対課!』
警察の通信から安堵の声が漏れる。
「やったわね、刑部さん! 完璧なウォーターウォールよ!」
SUVの車内で、瑞希がタブレットから顔を上げてガッツポーズをした。
数時間後・山中湖畔 臨時待機所
事件は無事解決し、富士山のシルエットが夕暮れの空に美しく浮かび上がっていた。
しかし、現場チームの前には、いつものように財前がタブレット端末を片手に立ちはだかっていた。
「お疲れ様でした。見事な作戦でしたね。……ですが」
財前は無慈悲に画面をスワイプする。
「水面に撃ち込んだ散弾の回収費用、および念のための水質調査費用。さらに、Mk-IIを浅瀬に入れたことによる湖底の生態系回復協力金。締めて48万円が、今回の出張予算から天引きされます。というわけで、帰りに寄る予定だった名物『吉田のうどん』の肉トッピングと、『甲州牛のステーキ』は完全に予算オーバーです。夕食はサービスエリアの素うどんで我慢してください」
「ウソだろおおお!? 水に撃ち込んだだけでも金が飛ぶのかよ! 昨日からまともなもん食ってないんだぞ!」
金剛が夕暮れの富士山に向かって絶叫する。
刑部は静かに「……了解した」とだけ呟いた。
「文句を言っている場合じゃないわ」
不意に、瑞希が血相を変えてSUVから飛び出してきた。その手には、警察からデータ提供を受けたばかりの、迷惑配信者のパソコンの解析結果が握られていた。
「やっぱりおかしいわ。あの配信者たち、自分のチャンネルで動画を流す裏で、秘密裏に『第三者』へ湖面ギリギリを飛ぶ超低空フライトのデータを送信していたわ。しかも……」
瑞希は唾を飲み込む。
「送信先は、昨日の樹海で捕まった産廃業者のドローンと同じ暗号化サーバーよ。点と点が繋がったわ。奴ら、空対課の『森での索敵能力』と『水上での迎撃精度』を、ダミーの事件を起こして徹底的にデータ収集していたのよ!」
「なんだと……!? じゃあ、本命はなんだ!?」
金剛の問いに答えるように、テントの通信機から羽代課長の緊迫した声が響き渡った。
『全員聞いて! 恐れていた事態よ。さっき、成層圏を飛行していた海外製の大型気象観測ドローンが、突如としてコントロールを失い、富士山頂に向けて落下を開始したわ!』
『き、機体には実験用の特殊な化学バッテリーが大量に積載されています! もし火口に墜落して爆発すれば、有害物質が富士山の地下水脈を汚染し、取り返しのつかない環境破壊が……!』
外務係長の絶叫が重なる。
「……奴らの本命は、日本の象徴である霊峰・富士そのものか」
刑部の目に、鋭い光が宿る。
そこへ、鳥海補給・輸送担当と新田班長が、高圧洗浄機と大量のブラシを持って満面の笑みで近づいてきた。
鳥海が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「お疲れさまです。話は聞きました。山頂に行く前に……やっていただかなければならないことがあります」
新田は洗浄機のノズルを刑部に手渡した。
「湖の浅瀬に入ったせいで、Mk-IIの足回りには泥と藻、水垢がびっしりだ。放置すれば高高度の極寒で関節が凍りついて動かなくなるぞ。素うどんを食う暇もねえ。ただちに関節の隙間まで徹底的に『水垢落とし洗車』だ! その後、徹夜で高高度用スーパーチャージャーを組み込む!」
「……ああ、わかっている。行くぞ、金剛さん。日本の頂上を護るためだ」
「トホホ……分かったよ。相棒をピカピカにして、そのまま山頂アタックだな、刑部!」
暮れゆく富士の雄大な景色を背に。
冷たい湖風が吹き抜ける中、刑部と金剛は温水洗浄機の水飛沫を浴びながら、藻と泥にまみれた鋼鉄の獣を黙々と磨き続ける。
見えざる敵の真の狙いが明らかになった今、空対課は日本最高峰での決戦へと向かう。
【第57話:湖面の鏡、水柱の壁 完】
(第58話へ続く)




