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第56話:霊峰の樹海、静寂を破る翼(富士山編・前編)

【第56話:霊峰の樹海、静寂を破る翼(富士山編・前編)】

静岡県・東富士演習場。

広大なススキの野原に、重低音が響き渡っていた。空対課のADUADS Mk-IIが、自衛隊との合同対ドローン訓練に参加していたのだ。


今回の訓練目的は二つ。多数の小型ドローンが連携して襲い掛かる「スウォーム(群れ)攻撃」への迎撃と、長距離を飛行して目標に突入する「シャヘド型(徘徊型・自爆型)ドローン」への対処シミュレーションである。

「よし、仮想スウォーム群、全機無力化! 刑部、腕を上げたな!」

「すごいです。刑部さん」

演習場の管理テントで、民間整備班の新田班長が満足げに頷く。


しかし、その横で財務省出身の財前鏡子は、冷徹な顔でタブレット端末を弾いていた。

「喜んでいる場合ではありません。今回の演習で消費した特殊模擬弾や、キャリアーの移動費、自衛隊への施設使用料の分担金などで、すでに特別予算が350万円飛んでいます。これ以上の機材消耗は避けてください」


その時、テント内の通信機に、羽田空港の対策室から緊急のコールが入った。

『演習中のところ悪いけれど、実戦よ! 最近、富士山周辺で頻発している未確認ドローンの電波を捕捉したわ!』

羽代課長の鋭い声が響く。その後ろでは、外務係長が胃薬の瓶を片手に悲鳴を上げていた。

「た、大変です! 富士山の北西、青木ヶ原樹海の上空に、シャヘド型の大型違法ドローンが侵入しました! 違法な産業廃棄物業者が、樹海の奥深くに隠した大規模な不法投棄現場を、証拠隠滅のためにドローンで空爆して燃やそうとしている疑いがあります!」

『樹海で大規模火災が起きれば、富士箱根伊豆国立公園の生態系が壊滅し、世界遺産の登録取り消し問題にまで発展するわ。空対課、直ちに演習場から出撃! 霊峰の静寂を守りなさい!』


「了解! 行くぞ刑部、瑞希!」

大型キャリアーの運転席に飛び乗った金剛鉄平が、猛烈な勢いでエンジンを吹かした。


山梨県・青木ヶ原樹海周辺


うっそうと生い茂る原生林。樹海特有の溶岩台地と磁気異常が、外部からの電波やレーダーを著しく乱していた。

先導する黒のSUVが林道の安全なスペースで停車する。助手席の雲井瑞希が、即座に自身の観測ドローンをテイクオフさせた。


「樹海の磁気ノイズが酷くて、通常のレーダーは役立たずよ! でも、観測ドローンのサーマル(熱源)センサーと、私のタブレットの補正プログラムなら捕捉できる!」

瑞希はタブレットの画面に食い入るように集中し、完全なナビゲーション体制に入った。

「見つけた! 翼幅3メートルのシャヘド模倣型ドローン! 内部に大量の引火性物質を積載しているわ。目標の不法投棄現場まで、あと3分!」


「出番だな、刑部。頼んだぜ!」

金剛がキャリアーのコンテナハッチを開放する。

ガシャアアン! と重い音を立てて、全高3.8メートルの鋼鉄の獣が樹海の入り口へと降り立った。

コックピットのメインモニターに、このシステムの名称である「aduads」の起動ロゴが白く浮かび上がる。


「刑部、出る」

Mk-IIの四脚のホイールが、苔むした溶岩と倒木に覆われた悪路を掴む。車輪での走行が困難な箇所では、油圧シリンダーを駆使して文字通り「四本足」で歩行し、時速50キロには及ばないものの、樹海という極限の地形で脅威の走破性を発揮する。


『刑部さん、敵は高度約30メートルを滑空しているわ!』

瑞希の声に、刑部はモニターを見据えた。

「本部、こちら刑部。目標を確認した。しかし、ショットガンの散弾で機体を破壊すれば、積載された引火物が樹海に降り注いで火災になる。……急所である後部のエンジンのみを、一発の『スラグ弾(単発弾)』で撃ち抜く。特例発砲許可を!」


羽田の対策室では、外務係長が受話器を両手に抱えて絶叫していた。

「環境省、山梨県警、および地元消防本部! 樹海での火災は絶対に防ぎます! エンジンだけを撃ち抜き、機体はそのまま空き地に不時着させます! どうか承認を……っ!」


『外務係長、もし樹海の木に一発でも誤射して火事を起こしたら、損害賠償は数百億円規模です! 私の胃が先に爆発します!』

現場の財前がタブレットから恐ろしい数値を弾き出す。


「……特例発砲許可、下りました! 刑部君、絶対に、絶対に火を出さないでください!」

外務係長の決死の叫びがインカムに響く。


「了解した。……瑞希、風のデータを」

刑部はMk-IIの脚部のアンカーを溶岩の岩肌に深く食い込ませ、機体を完全にロックした。左メインアームの大口径ショットガンが、樹木の隙間から空を睨む。


『目標は現在、木々の間を縫うように降下中。樹海特有の乱気流があるわ。……右からの横風、秒速5メートル。三、二、一……今!』


「もらった!」

刑部がトリガーを絞る。


――ズドンッ!!


ショットガンから放たれた一発の重いスラグ弾が、樹海の木々の隙間を神業のような弾道で駆け抜け、飛来するシャヘド型ドローンの後部――推進プロペラの基部エンジンだけを正確に粉砕した。

爆発は起きない。推力を失った大型ドローンは、まるで糸の切れた凧のようにバランスを崩し、不法投棄現場のわずかに開けた空き地へと、機体を保ったままズザーッと滑り込んで静止した。


「……こちら刑部。目標の無力化を確認。火災発生なし。投棄現場の証拠も保全された」

『こちら山梨県警! 不法投棄現場で待機していた産廃業者の身柄を確保! 素晴らしい狙撃だった、空対課!』

無線から歓声が上がる。


「完璧な一撃よ、刑部さん! 演習の成果がバッチリ出たわね!」

SUVの車内で、瑞希がタブレットを掲げて満面の笑みを見せた。


数時間後・演習場 臨時待機所


事件は解決し、富士山麓に美しい夕日が沈もうとしていた。

しかし、刑部と金剛の前に、財前がいつものようにタブレット端末を突きつけてきた。


「お疲れ様でした。不法投棄の証拠を守ったことで、環境省から表彰状が出るそうです。……ですが」

財前のメガネが夕日にキラリと光る。

「Mk-IIが樹海の溶岩地帯を踏み荒らしたことによる環境調査協力費、および特注のスラグ弾の費用。締めて58万円が、演習予算から追加で差し引かれます。したがって、帰りに予定していた『富士宮やきそば』と『ほうとう』の特盛りは、全員自腹でお願いしますね」


「ゲェーッ! 演習でヘトヘトの上に実戦までやったのに、晩飯代が出ねえのかよ!」

金剛が天を仰いで嘆いたその時だった。


『……ちょっと待って。おかしいわ』

SUVの中で、回収されたドローンのフライトレコーダーを解析していた瑞希が、険しい声を出した。

『このドローン、産廃業者が操作していたんじゃないわ。高度な自律飛行プログラムが組み込まれている。それに……墜落直前まで、富士山麓の東側――「富士五湖」の方面に向けて、暗号化された大量の地形データを送信していた形跡がある!』


「なんだと……?」

刑部が眉をひそめる。

通信機から、羽代課長の声が響いた。

『山梨県警からの報告でも、逮捕された産廃業者は「ネットで知り合った組織からドローンをタダで提供された」と供述しているそうよ。連中、この不法投棄事件をダミーにして、私たちの防空能力をテストしていた可能性があるわ』


『ええっ!? じゃ、じゃあ、これで終わりじゃないってことですか!?』

外務係長の絶望的な声が響く。

財前がため息をつきながら、タブレットを素早く操作した。

「東京への帰還はキャンセルですね。急ぎ、富士五湖周辺のビジネスホテルを手配します。延泊費用、深夜割増料金……ああっ、また予算が削られていきます!」


そこへ、鳥海補給・輸送担当と新田班長がバケツと高圧洗浄機を引きずりながら、鬼のような笑顔で近づいてきた。

鳥海がみんなをいたわるように声を掛けてきた。

「お疲れさまです。話は聞きました。まだ東京には帰れ無いらしいですね」

新田は洗浄機のノズルを刑部に押し付けた。

「樹海の湿った泥と、演習場の火山灰が混ざった汚れは、放っておくと関節部が完全にイカれるんだ。飯を食う前に、細かい隙間まで念入りに『泥落とし洗車』だ。明日も飛ぶんだろ? サボったらパーツ代請求だぞ」


「……分かっている。行くぞ、金剛さん」

刑部は無表情のまま頷き、冷たい水が入ったバケツを受け取った。

「トホホ……分かったよ。霊峰の泥を落として、スッキリしてから自腹でやきそば食おうぜ。明日に備えてな!」


夕闇が迫る富士の裾野。

冷え込む風の中で、刑部と金剛は高圧洗浄機の水しぶきを浴びながら、泥だらけになった相棒――Mk-IIの巨体を黙々と磨き続ける。

富士の周囲に渦巻く新たな悪意の気配。彼らの戦いは、霊峰の影でまだ始まったばかりだった。


【第56話:霊峰の樹海、静寂を破る翼 完】


(第57話へ続く)

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