第52話:始まりの地、風を名指す者
【第52話:始まりの地、風を名指す者】
今から少し前。羽田空港に特設された空対課対策室が本格始動する直前、彼らの物語は、陸上自衛隊・習志野演習場の乾いた砂塵の中で始まった。
演習場の一角に設けられた指揮用テント。その中央には「査閲官」の腕章を巻いた元航空管制官の羽代課長が腕を組んで座り、その横では外務省の外交官だった外務係長が複数の書類を抱えて早くも胃を押さえていた。
「課長、本当に法務省や厚労省、財務省やから集めた素人同然のメンツで大丈夫なんですか? 私も外務省からの出向組で人の事は言えませんが、国交省(国土交通省)の人間は課長と気象庁から来た彼女だけですよ。防衛省や自衛隊の幹部たちも、国交省が何を作ったんだと後ろで目を光らせています。この演習場を借りる調整だけでも、私は各方面に頭を下げすぎて腰が限界です」
「心配いらないわ、外務係長。机の上の書類仕事じゃ分からない、彼らの『現場の力』をここで見極めるのよ。これからの航空管理局の命運が懸かっているんだから」
羽代課長が不敵に微笑む視線の先、フィールド上では、集められた現場メンバーが強烈な違和感の中で対峙していた。
「法務省の刑務官から引っ張られたって聞いたから、どんな強面かと思えば……随分と冷めた目をしているな、刑部風人」
ツナギを着た金剛鉄平が、煙草を耳に挟みながら、無口な青年――刑部に声をかけた。
「……あなたこそ、厚生労働省の労働基準監督官だと聞いていましたが。なぜここに」
刑務所と労基(労働基準監督署)は、刑務作業が懲役刑から拘禁刑に移行しても実施されているため、関係性があった。
「職場の安全管理を極めようとしたら、なぜかこの巨大ロボットの運用管理責任者に任命されたんだよ。まあ、キャリアーの運転は大型免許があるから問題ねえがな」
二人の横では、すでにタブレット端末を片手に持った財務省の国税調査官出身の財前鏡子が、眉間に皺を寄せて画面を睨みつけていた。
「挨拶はそれくらいにしてください。この『空対課』という新部署、予算規模の割に機材費が不透明すぎます。この鉄の塊を維持するだけで、一体どれだけの国税が飛ぶと思っているんですか」
彼らの前に佇むのは、まだ塗装もされていない、鈍い銀色のプロトタイプ――全高3.8メートルの歩行・装輪ハイブリッド機「ADUADS Mk-II」。
「みんな、揃っているわね」
指揮テントからマイクを通じて羽代課長の声が響く。その後ろから、一人の小柄な女性が歩み出てきた。
「彼女は雲井瑞希。気象分析と無線ナビゲーションの専門家として、本省から出向してもらったわ。刑部君、彼女があなたの『目』になるわよ」
「雲井、瑞希……」
刑部が呟くと、雲井は手にしたタブレット端末を胸に抱え、少し緊張した面持ちで頭を下げた。
「雲井です。よろしくお願いします、刑部さん。……Mk-IIのFCS(火器管制システム)と私のタブレットの同期、完了しています」
「よし、それじゃあ査閲を始めましょう。刑部君、初搭乗よ!」
羽代のゴーサインが出て、刑部はタラップを登り、Mk-IIの狭いコックピットへと初めて滑り込んだ。
操縦桿を握ると、刑部の元刑務官としての冷徹な神経が、機体のシステムと噛み合っていく。
「ADUADS Mk-II、起動」
システム名「aduads」のロゴがメインモニターに浮かび上がり、四脚のホイールモーターが重低音を響かせてハイドロリック(油圧)を立ち上げた。
『刑部さん、聞こえる?』
通信の向こうから、雲井の声が響いた。
『これより習志野演習場の第一エリアで走行訓練を開始して。最高速度は時速50キロ。まずは直進から』
「了解した、雲井さん」
刑部がスロットルを押し込む。Mk-IIの巨体がホイールを回転させ、砂煙を上げて前進した。5トン近い鋼鉄の塊が時速50キロで地面を削りながら進む衝撃は、操縦席の刑部に凄まじいGとなって襲いかかる。
『ちょっと刑部さん!』
キャリアーの助手席から無線を入れてきたのは財前だった。
『急発進で演習場の地面を深く削りすぎです! 自衛隊から原状回復費用を請求されたら、空対課の初期予算が削られます!』
『おいおい財前さん、最初なんだから大目に見てやれよ。安全第一でな!』
金剛の豪快な声が続く。
指揮テントのモニターでその様子を見ていた外務係長が、青い顔で羽代課長を振り返った。
「課長! 脚部にかかる負荷の数値がイエローラインです! 壊れたら重工業メーカーへの修理費用が!」
「いい動きよ、外務係長。彼は機体の重さに振り回されていないわ。……でも、ここからが本番ね」
羽代課長が合図を送ると、演習場の対空エリアから、訓練用の自律飛行標的ドローンが放たれた。
しかし、訓練は想定通りには進まなかった。
突如、九十九里海原から吹き付けた強烈な突風が演習場を襲う。
「……雲井さん、前方に突風を感知。機体が左に流される」
『待って、気象データを確認するわ!』
雲井がタブレットの画面を激しくスワイプする。
『ダメよ、急激な低気圧の谷が接近してる。演習場特有の『乱気流』が発生しているわ。それに……風にあおられて、訓練用の標的ドローンが制御を失った! Mk-IIに向かって落ちてくる!』
モニターの向こう、砂嵐の向こうから、制御を失った頑丈な軍用ドローンが、猛烈な速度でMk-IIのコックピット目掛けて滑空してくるのが見えた。
「中止だ! 訓練を中止してください!」
指揮テントで外務係長が絶叫し、非常停止ボタンに手を伸ばす。しかし、羽代課長がその手を制した。
「待ちなさい、外務係長。非常停止をかければ機体は動かなくなり、ドローンが直撃するわ。彼らを信じるのよ」
砂嵐の中、刑部は初めての搭乗ゆえ、機体の姿勢制御が風に追いつかない。四脚のホイールが一瞬、砂地で空転した。
『刑部さん、操縦桿を右に3度、脚部シリンダーの圧力を1.5下げて!』
雲井の鋭い声がインカムを割った。
『私のタブレットから、Mk-IIのFCSに風向の予測ベクトルのデータを強制転送したわ! ドローンの軌道は……あと3秒で右肩をかすめる! 右補助腕のシングル・ローター・ブレードを展開して!』
視界が遮られる砂嵐の中、刑部は雲井のナビゲーションだけを信じた。「雲井さん」という硬い呼び名が、極限の緊迫感の中で消し飛ぶ。
「――瑞希!! データを信じるぞ!」
刑部は叫ぶと同時に、操縦桿を右に引き、シングル・ローター・ブレードを展開した。
ガギィィィン!!! と激しい金属音が鳴り響き、制御を失ったドローンはMk-IIのシングル・ローター・ブレードに完璧に弾かれ、後方の砂地に激突して大破した。
Mk-IIは四脚で激しく砂を掴み、わずかに傾きながらも、完全にその場に踏みとどまった。
静寂がコックピット、そして指揮テントを包む。
「……標的の完全沈黙を確認。刑部さん、機体のバイタル、正常よ。無事でよかった……」
無線越しに、瑞希の安堵で震える声が聞こえた。
指揮テントでは、外務係長が「ひ、ひええ……」と椅子からずり落ちていたが、羽代課長は満足そうに深く頷き、パチパチと静かに拍手を送った。
「素晴らしいわ。これなら上層部への言い訳も立つわね」
ハッチが開き、刑部がコックピットから外に出ると、演習場にはいつの間にか静かな夕暮れが訪れていた。タラップを降りた刑部を、メンバーと査閲官たちが迎える。
「いやあ、冷や汗かいたぜ。初陣にしちゃあ上出来だ、刑部」
金剛がポンと肩を叩く。
「上出来ではありません」
財前が羽代課長と外務係長の前でタブレットを突きつけた。
「自衛隊の訓練用ドローン一機破損。これをウチの予算から弁済するとなると……約240万円です。初日からこれでは、先が思いやられます」
「まあまあ、財前さん。大惨事を防いだんだから」
外務係長が胃を押さえながら宥める。羽代課長は刑部とメンバーを見渡し、力強く宣言した。
「空対課、最初の訓練査閲を終了するわ。全員、合格よ。明日から羽田の本部で本格始動するから、覚悟しておきなさい!」
「「了解」」
査閲官たちが一足先に引き上げる中、刑部は、少し離れた場所でタブレットのデータを片付けている雲井の元へ歩み寄った。
「雲井さん。さっきは、助かった。完璧なナビゲーションだった」
雲井は顔を上げ、少し照れくさそうに笑った。
「いえ、刑部さんの反射神経がなければ間に合いませんでした。……でも、刑部さん」
「ん?」
雲井は自分のタブレットの画面を見つめながら、いたずらっぽく微笑んだ。
「さっき、通信で私のこと、下の名前で呼びましたよね? 『瑞希』って」
「あ……」
刑部は無表情な顔を少し赤く染め、気まずそうに視線を逸らした。
「……緊迫していた。口が滑っただけだ」
「いいですよ、別に。これから私たちは、命を預け合うバディになるんですから。私も、これからは『刑部さん』って呼びます。だから……私のことも、さっきみたいに呼んでください」
瑞希はタブレットを小脇に抱え、真っ直ぐな目で刑部を見つめた。
刑部は少しだけ目元を緩めると、「……了解した、瑞希」と静かに応じた。
夕陽に照らされた習志野の砂原で、のちに数々の伝説(と巨額の始末書)を生み出すことになる空対課の、これが本当の「始まりの瞬間」だった。
【第52話:始まりの地、風を名指す者 完】




