第51話:豊洲の朝競り、凍れる銀鱗(ぎんりん)
【第51話:豊洲の朝競り、凍れる銀鱗】
早朝五時。夜明け前の薄闇に包まれた羽田空港の空対課・対策室に、緊迫したアラートが鳴り響いた。
「事案発生。江東区豊洲、東京都中央卸売市場『豊洲市場』の水産卸売場棟トラックヤード周辺!」
外務係長が、複数の受話器を肩で挟みながら叫ぶ。
「違法に大出力を施された大型の『強奪ドローン』が侵入。セリにかけられる直前の一本数百万円の最高級青森県大間産本マグロ、計三本をワイヤーで吊り下げて逃走を図っています! 荷主および東京都から緊急出動要請です!」
「マグロの空中強奪なんて、近未来のドロボウは粋を通り越して呆れるわね」
羽代課長がコーヒーを飲み干し、鋭い目を光らせる。
「出動! 市場の朝の流通を止めるわけにはいかないわ。市場前駅周辺が完全にパニックになる前に片付けなさい!」
晴海通り・豊洲市場付近
朝靄が立ち込める晴海通りを、サイレンを鳴らした黒のSUVが疾走する。運転席の刑部風人の横で、雲井瑞希がタブレット端末の画面を見つめながらデータを読み上げる。
「目標はマグロ三本、総重量約一トンを吊り下げているせいで、上昇高度が制限されています。豊洲市場の屋上緑化広場から、水産レセプションハウス周辺の空路を低空で逃走中よ」
その後方を、金剛鉄平の運転する大型キャリアーがピタリと追走する。
「整備班が徹夜で直してくれたMk-IIの油圧シリンダー、さっそく試運転にしてはハードすぎるぜ! 豊洲の連絡橋はカーブが多い、安全運転で行くぞ!」
「金剛さん、車線変更の合図は3秒前厳守で。……刑部さん、聞こえますか」
助手席の財前鏡子は、タブレット端末を高速で叩きながら、冷徹な現実を突きつけてきた。
「盗まれた本マグロは、今日のセリの最高注目株。三本で推定時価一千二百万円です。ドローンを撃墜した衝撃でマグロの身が傷つき、いわゆる『身割れ』を起こした場合、商品価値は暴落します。その差額はすべて空対課への損害賠償請求になりますからね」
「……魚の身の心配までさせる気か」
刑部は苦笑しつつ、SUVを水産卸売場棟近くの安全な管理用スペースに滑り込ませた。
「現着! 刑部さん、システムリンク完了よ!」
雲井が叫び、SUVを停車させる。彼女は助手席に座ったまま、自身のタブレットで車載の観測用ドローンをテイクオフさせ、前線のナビゲーションに完全専念した。
刑部はSUVを飛び降り、キャリアーのコンテナからADUADS Mk-IIの操縦席へと滑り込む。
コンテナのハッチが開き、全高3.8メートルのMk-IIが、豊洲の広大なトラックヤードへとその巨体を現した。
「目標視認。……デカいな」
刑部の視界の先、市場の白い建物の壁際を、巨大な八枚羽根の強奪ドローンが、三本の巨大な黒い塊をワイヤーでぶら下げてブンブンと不快な音を立てて飛んでいた。
『刑部さん、観測ドローンからの風向データ送るわ!』
雲井の声がタブレット経由で響く。
『海からの北西風5メートル。ドローンはマグロの重量でフラついている。建物に激突してマグロがミンチになる前に止めて!』
「了解、右アーム、レーザー・ダズラー照射!」
Mk-IIの右腕から強力な攪乱光が放たれる。しかし、敵のドローンはカメラの手前に盗んだマグロを上手く回り込ませ、マグロを「盾」にして光線を防いだ。
「汚い真似を……!」
『刑部さん! 卸売場棟の床コンクリートは、高度な衛生管理基準をクリアした特殊抗菌塗装です!』
現場のキャリアー内から、財前の無線が割り込む。
『Mk-IIのホイールでその塗装をガリガリに剥がした場合、東京都建設局と中央卸売市場から、平米あたり数万円の再塗装費用を請求されます! スピンターンは禁止です!』
「注文が多すぎる……! 課長、このままではラチがあきません、ショットガンの使用許可を! マグロを吊っているワイヤーだけを狙い撃ちます!」
刑部の要請に、本部の外務係長が、東京都の担当者と電話で絶叫しながら応じた。
『警察庁と都の市場長から許可を取りました! 発砲を許可します! ただし、弾丸がマグロに一発でも当たったら、豊洲の全卸業者から一生呪われますよ!』
「シグナル確認。……相棒、一発勝負だ」
Mk-IIの左メインアーム、大口径ショットガンが起動する。
最高速度時速50キロのMk-IIの足を止め、刑部は操縦桿をがっちりと固定した。
『刑部さん、ドローンが海風で右に振られるわ。三、二、一……今よ!』
雲井の完璧なタイミング補正が、Mk-IIの照準(FCS)をロックする。
「行け……!」
――ドンッ!!!
早朝の豊洲の空に、鋭い破裂音が響き渡った。
放たれた特殊散弾は、ドローンのボディでもなく、ましてや最高級マグロの身でもなく、その間を繋ぐ「三本の金属ワイヤー」だけを、計算された拡散パターンで正確に一文字に切り裂いた。
プツン、とワイヤーが断線する。
総重量一トンのマグロ三本が、重力に従ってまっすぐ落下していく――その真下には、市場内を忙しく走り回る、三輪の小型運搬車「ターレットトラック(通称:ターレ)」の荷台があった。
ドサササッ!!!
奇跡的に、三本のマグロは空のターレの荷台へと綺麗に収まった。
あまりの衝撃にターレのサスペンションが悲鳴を上げたが、魚体に傷は一切ない。
一方、吊り荷を失って急激に軽くなり、バランスを崩した強奪ドローンは、刑部が右補助腕のシングル・ローター・ブレードを軽く一振りした風圧によって、ヤードの隅の空き地へと叩き落とされ、火花を散らして沈黙した。
「……こちら刑部。目標の無力化、および『黒いダイヤ』の回収完了。マグロの身割れは……恐らくない」
操縦席で冷や汗を拭う刑部。
SUVの車内で画面を凝視していた雲井が、「やった……! 完璧な狙撃ね!」と歓声を上げた。
数時間後・空対課 対策室
午前十時。すっかり日の昇った対策室で、現場チームは疲れ果てていた。
「みなさん、お疲れ様。豊洲の市場長から、今日の初競りは無事に最高値で終了したと感謝の電報が届いたわよ」
羽代課長が満足そうに言うが、外務係長はまたしても胃のあたりを押さえている。
「感謝はされましたが……。刑部君、これ」
財前が、いつものように冷徹な顔でタブレット端末を差し出してきた。
「特殊散弾一発、1万2千円。それはいいとして……」
財前は画面をスワイプする。
「マグロが落下した衝撃で、市場のターレの荷台のフレームが歪んだそうです。個人事業主である仲卸業者さんへの『車両弁済費用』が35万円。さらに、発砲の轟音に驚いたセリ場の人々が一瞬パニックになり、セリの開始が5分遅れたことに対する『業務遅延顛末書』の作成。そして、これが一番の問題です」
財前の目がキラーンと光った。
「発砲時の衝撃波で、近くの荷置き場にあった高級ウニの箱がいくつかひっくり返ったそうです。ウニの原状回復は不可能ですから、全額買い取り。締めて、88万円が空対課の経費から引かれます。今日の晩ご飯から、課内の予算は全員分、カップ麺に格下げですね」
「……高級ウニの賠償なんて、法務省の刑務官時代には、夏場に海保(海上保安庁)から密漁で未決で拘置所に入ってくるくらいでしか、聞いたこともないよ」
刑部ががっくりと机に突っ伏した。
「まあ、元気出せよ刑部」
ツナギ姿の金剛が、肩を叩く。
「ウチに帰れば、『Mk-IIの潮風洗浄』が待ってるぜ。塩分を含んだ海風を浴びちまったからな、錆びる前に二人でガシガシ磨き上げて、ウニのことは忘れようや」
「……了解しました、金剛さん」
刑部は格納庫のMk-IIの輝く装甲を思い浮かべながら、山のような稟議書に、今日何度目かの判子を押し始めるのだった。
【第51話:豊洲の朝競り、凍れる銀鱗 完】




