第42話:スタジアムの空と見えない防壁
第42話『スタジアムの空と見えない防壁』
歓声が、すり鉢状の巨大なスタジアムから地鳴りのように響き渡っていた。
東京・千駄ヶ谷。新国立競技場では現在、国際的な陸上競技大会の決勝戦が開催されている。六万人の観客が熱狂するスタジアムの外周、神宮外苑の銀杏並木の影に、空対課の巨大なキャリアーがひっそりと停車していた。
「スポーツ庁と大会組織委員会から、とにかく『絶対に競技を邪魔するな』と厳命されていますからね! 選手の集中を乱すようなことは絶対に避けてくださいよ!」
羽田の庁舎から通信を繋ぐ元・外務省の外務係長が、いつものように胃薬の瓶をカラカラと鳴らしながら懇願してくる。
「分かってますよ、外務係長。でも、相手が空気を読んでくれる保証はないですからね」
元・法務省のパイロット、刑部風人は、待機状態のMk-IIのコクピットで操縦桿を軽く叩いた。
「それにしても、なんで俺たちがこんな外周の警備を?」
「警視庁の対ドローン部隊が、スタジアム内部の警戒で手一杯だからよ」と、元・気象庁の雲井瑞希が風力データを更新しながら答えた。「それに今回は、ただの愉快犯じゃないかもしれないわ」
その時、レーダーがアラート音を鳴らした。
『スタジアム北側上空、高度150メートル。未登録の小型ドローン群が接近中。数は5機!』
元・財務省の財前鏡子が素早く座標を特定する。
「機体下部に不審なペイロード(積載物)を確認。形状からして、大量のペイントボールか発煙筒ですね。競技の進行を妨害する抗議活動か、悪質な目立ちたがり屋の仕業でしょう」
「よりによって決勝戦のタイミングで来やがったか。金剛さん、キャリアー開けてくれ!」
「おう! 歩行者天国の時間帯だが、周囲の観客には気をつけろよ、刑部!」
元・厚労省の金剛鉄平がスイッチを叩き、ハッチが展開される。
パトランプを赤く点滅させ、白とネイビーブルーのMk-IIが銀杏並木の舗装路へ滑り出した。
『皆さん、状況は把握しています。迎撃を開始してください』
元・国交省の羽代課長の、静かで凛とした声がインカムに響く。
『ただし、スタジアム内部への侵入は絶対に阻止すること。また、上空での散弾砲の使用は、観客席に散弾が落下する危険があるため却下します。レーザー・ダズラーも選手の視界に入る可能性があるため、スタジアムの開口部に向けての照射は禁じます』
「外務係長、せめてネット弾くらい撃たせてくださいよ!」
刑部が悲鳴を上げる。
『ダメですよ! 万が一、ネットの破片や落下したドローンが観客に当たったら、大惨事どころか空対課が消滅します! 物理的に、そして誰にも気づかれないように処理してください!』
「それが一番無茶な注文だろ……!」
上空から急降下してくる5機の妨害ドローンに対し、Mk-IIはスタジアムの屋根のすぐ外側、外周デッキのギリギリを並走するようにホイールを唸らせた。
『刑部、敵はスタジアムの『風』を利用する気よ』
瑞希の鋭い声が飛ぶ。
『巨大なすり鉢状の構造を持つ国立競技場は、内部と外部の温度差で独特の上昇気流を生んでいるの。敵のドローンは、その気流に乗って一気に上空からスタジアム内へ滑り込むつもりだわ!』
「風に乗る前に叩き落とす! 瑞希、予測ルートは!」
『外周デッキのEゲート上空。そこが気流の入り口よ!』
刑部はホイール走行から四脚モードへ切り替え、コンクリートのデッキを蹴り上げて跳躍した。
5機のドローンが、スタジアムの屋根を越えようと高度を下げた瞬間――その正面に、数トンに及ぶMk-IIの巨体が空高く舞い上がった。
「ダズラーも散弾もダメなら、力技でいくぜ!」
刑部が右補助腕のシングル・ローター・ブレードを展開する。
スタジアムへ向けて吹いていた気流の「通り道」で、高速回転するブレードが空気を切り裂き、人工的な乱気流を強引に作り出した。
風の道を見失った5機のドローンは、木の葉のようにバランスを崩して失速する。
そこを逃さず、左補助腕のゲージ・シールドを広大な網のように展開。シールドの表面で落下してくる5機をすくい上げるように受け止め、そのまま機体の重量を利用して、スタジアムの外側に面した植え込みへと静かに着地した。
「……スタジアム内への侵入ゼロ。対象の沈黙を確認。ミッション・コンプリートだ」
スタジアムの中からは、ちょうど決勝戦が決着したのか、割れんばかりの大歓声が響き渡った。ドローンの存在に気づいた観客は、誰一人としていない。
「やりましたね、刑部さん! 被害ゼロですよ!」
羽田の通信機越しに、外務係長が感涙にむせぶ声が聞こえた。
『皆さん、見事な制圧でした。お疲れ様です』
羽代課長の労いの言葉に、刑部はコクピットで大きく伸びをした。
「いやぁ、競技場の中で暴れずに済んでよかったぜ。金剛さん、キャリアーに戻るから迎えを頼む」
「おう。だが刑部……ちょっと、スタジアムの外の大型ビジョンを見てみろ」
金剛の声に妙な焦りが混じっている。
刑部がMk-IIのカメラを回すと、そこには大会の中継映像が映し出されていた。しかし、決勝戦のリプレイ映像の背景――スタジアムの屋根の向こう側に、空高く跳躍し、ブレードを振り回すMk-IIの白い巨体が、バッチリと見切れて映り込んでいたのである。
『……ちょっと! 大会組織委員会から「あのロボットは何の余興ですか!?」って怒りの電話が何本もかかってきてますよぉぉぉ!』
外務係長の絶望的な悲鳴が響き渡る中、財前が冷たく言い放った。
「外務係長、泣くのは後にしてください。これを機に『国交省の平和を守る最新AIロボ』として広報アピールすれば、来期はPR予算が引っ張れるかもしれません。すぐにプレスリリースの準備を」
「お役人ってのは、ホントにたくましいねえ……」
大歓声と外務係長の悲鳴を背に、刑部は苦笑しながらMk-IIをキャリアーへと歩かせたのだった。




