第36話:鎮守の森、不可侵の緑
第36話:鎮守の森、不可侵の緑
1. 都会のオアシス、静寂を破るノコギリ
原宿駅のすぐ裏手に広がる、約70万平方メートルもの広大な人工林――明治神宮。
大正時代に全国から献木された約10万本の樹木が成長し、今や都会のど真ん中にある「奇跡の森」として、人々の深い信仰と野鳥たちのサンクチュアリとなっている。
その神聖な鎮守の森の奥深く、一般参拝客の立ち入りが禁じられた保護エリアの上空を、無骨な黒い機影が這うように飛んでいた。
「……目標、本殿の北西、保護林エリアに侵入。単独の違法機体よ」
詰め所のモニターを見つめる雲井瑞希が、怪訝な顔をした。
「このドローン……カメラ機じゃないわ。下部にチェーンソーのような切断用マニピュレーターが付いてる。まさか……」
「『御神木』の密猟よ」
羽代課長が苦々しい顔で煙草を灰皿に押し付けた。
「最近、海外の富裕層の間で、日本の神社の神木や希少な盆栽を違法なルートで買い漁る輩が増えているのよ。ましてや明治神宮の森の木となれば、ブラックマーケットで億単位の値がつくわ」
「バチ当たりにも程があるだろうが……!」
金剛が拳を鳴らす。
「神宮側から、警視庁と我々空対課に緊急の排除要請が来ています! ただし……」
外務係長が、電話の受話器を抱えながら青ざめた顔で振り返った。
「『森の木々や動物たち、そして参道の玉砂利を一切傷つけてはならない』という、極めて厳しい条件付きです!」
「……玉砂利の上を3.8メートルの鋼鉄の塊が走れば、大惨事になるわね。でも、やるしかないわ」
財前鏡子が冷酷にキーボードを叩く。
「刑部さん、出動よ。神様の庭で、無粋な機械の羽音を叩き落としてきなさい」
2. 神の庭の「抜き足、差し足」
「……金剛さん、ここでいい」
原宿側の鳥居のさらに手前、一般道との境界線でキャリアーが静かに停車した。
「おう。ここから先は俺のトラックじゃ神域を汚しちまう。頼んだぜ、刑部」
ハッチが開き、ADUADS Mk-IIが参道に降り立つ。
しかし、普段のようにホイールを回転させて疾走することはできない。参道に敷き詰められた玉砂利は、参拝者が歩くことで身を清めるための神聖なもの。Mk-IIの車重で抉り飛ばすわけにはいかないのだ。
「相棒、今日は『忍び足』だ」
刑部はMk-IIの駆動系をマニュアルモードに切り替え、四脚のダンパーを最も柔らかい設定にした。
一歩、また一歩。玉砂利を踏みしめる「ジャリッ、ジャリッ」という音が、静寂の森に響く。重量を感じさせない、まるで能楽師のようなすり足で、Mk-IIは深い森の奥へと進んでいく。
「刑部さん、敵機はあなたの北北西150メートル。樹齢百年のクスノキの巨木に取り付いてるわ!」
瑞希のナビゲートが無線に入る。
「ショットガンもダズラーも使えない。物理的に抑え込むしかないな」
木漏れ日がMk-IIの装甲に斑模様の影を落とす中、刑部は機体を保護林の木々の間へと滑り込ませた。
3. 御神木防衛戦
巨大なクスノキの枝の上。
違法改造された大型の林業用ドローンが、希少な瘤のある枝の根元に、鋭いチェーンソーの刃を押し当てようとしていた。
「させるかよ!」
刑部はMk-IIの補助腕を伸ばし、クスノキの太い幹を「傷つけないように」優しく抱え込むようにして、機体を木の中腹まで一気に引き上げた。
ドローンが背後の巨大なMk-IIの存在に気づき、慌てて機体を反転させる。そして、威嚇するようにチェーンソーの刃を高速回転させ、Mk-IIの顔面(センサー部)めがけて突進してきた。
「刑部さん、避けて! 切断用の刃よ!」
「避ければ御神木に当たる……!」
刑部は一歩も引かなかった。
「左補助腕、ゲージ・シールド展開!」
――ガガガガガッ!!!
チェーンソーの刃がMk-IIのシールドに激突し、激しい火花と金属音を撒き散らす。森の静寂を切り裂く不快な音が響くが、Mk-IIの特殊装甲はチェーンソーの刃を完全に食い止めていた。
「力比べなら、国交省のメカの圧勝だぜ!」
刑部が操縦桿を強く押し込む。右補助腕のローター・ブレードと左補助腕のシールドでチェーンソーのブレードを強引に挟み込み、そのままテコの原理でバキッとへし折った。
武器を失った密猟ドローンが逃走しようと高度を上げるが、刑部はすでに次の手を打っていた。
「左アーム、ネットランチャー。……出力最低、フワッと被せる!」
ポンッ、という軽い音とともに放たれたネットが、逃げるドローンのローターに絡みつく。
推進力を失ったドローンが森の地面へ落下していくのを、Mk-IIが素早く木から飛び降り、両腕をクッションにして、ふわりと受け止めた。
「……ターゲット、完全沈黙。御神木へのダメージ、ゼロだ」
4. 結び:お祓いと請求書
数時間後。
木漏れ日の差し込む参道の脇で、神職の装束を着た明治神宮の神主たちが、泥を落としたMk-IIの前に並んでいた。
「神域の静寂と、森の命をお守りいただき、心より感謝申し上げます」
神主が深々と頭を下げ、大幣をバサッ、バサッ、と振って、Mk-IIと刑部に向かってお祓いをしてくれた。
「いえ、我々も森を傷つけずに済んでホッとしています」
刑部がコクピットの外で敬礼を返す。
そんな神聖な儀式の背後で、いつもの冷徹なヒール音を響かせて財前鏡子が歩いてきた。
「……はい、刑部さん。今日の事後報告書と、機体の整備依頼書よ」
「今回は完璧だっただろ? 木も傷つけてないし、玉砂利も乱してない」
刑部が自信満々に胸を張る。
「ええ。でも、チェーンソーを直接受け止めた左腕のシールドは交換よ。部品代、五十万円。……それと、神社本庁へ提出する『境内における特殊車両の一時立ち入り許可申請(事後)』の書類、全部で三十枚あるわ」
「また書類の山か……」
刑部が苦笑いしながらタブレットを受け取ると、外務係長がありがたそうに手を合わせた。
「まあまあ。今日は神様のご加護があったということで。おかげで外交問題にもなりませんでしたしね」
「そうね。Mk-IIもお祓いしてもらったことだし、これからの任務は少しは経費が安く済むといいのだけれど」
財前がやれやれと肩をすくめる。
「頼むぜ、神様」
刑部が笑いながらMk-IIの装甲をポンと叩くと、木々の間を吹き抜ける心地よい風が、機体を優しく包み込んだ。
こうした静かで神聖な日常の防衛戦が確かに存在しているのだ。
【第36話:鎮守の森、不可侵の緑 完】




