第35話:小菅、煉獄の羽音
第35話:小菅、煉獄の羽音
1. 古巣からの緊急要請
深夜二時、葛飾区小菅。
巨大な軍事要塞の様な形状が夜の街にそびえ立つ、日本最大級の刑事収容施設――東京拘置所。
高いコンクリートの壁と厳重な監視カメラに守られたその「絶対不可侵の要塞」の上空で、不気味な羽音が響いていた。
「……刑部さん、これって……」
詰め所のアラートと同時に、メインモニターの映像を見た雲井瑞希が、躊躇いがちに刑部風人を見た。
「ああ。俺が国交省に転属する前、出向元の法務省の刑事収容施設だ」
刑部が鋭い目でモニターを睨みつける。画面には、拘置所の高い監視塔の隙間を縫うようにして、不気味に発光しながらホバリングする数機のドローンが映し出されていた。
「目標は三機。いずれも高濃度の『液体毒劇物』を散布するノズルが確認されたわ」
財前鏡子がキーを叩き、顔をしかめる。
「拘置所の内部には、先日の『東京スウォーム事件』で逮捕された、ゴースト・パピヨンの末端のプログラマーが収容されている。……目的は一つね。口封じよ」
「ゴースト・パピヨン……! 自分の手下を抹殺するために、国の最高セキュリティ施設を襲うっていうの!?」
瑞希が戦慄する。
「法務省のプライドはズタズタね」
羽代課長が静かに煙草を咥えた。
「刑部君、あなたの古巣のピンチよ。……そして、奴の尻尾を掴む最大のチャンス。空対課、直ちに出動!」
2. 管轄の壁をぶち破れ
金剛の運転するキャリアーが、深夜の小菅の路地を駆け抜け、東京拘置所の重厚な正門前に急停車した。
しかし、門の前に立ちはだかったのは、法務省の法務事務官、看守(刑務官)たちだった。
「待て! ここは法務省の管轄だ! 国土交通省といえど、手続きも無しに、許可なき機体の進入は認められない!」
拡声器での警告に、キャリアーの助手席から外務係長が身を乗り出した。
「そこをどいてください! 中にいる同僚たちを死なせたいのですか!?」
外務係長は、すでに法務省矯正局の幹部への直通電話を握りしめていた。
「今、あなた方のトップから『空対課の全面協力を仰ぐ』との電子決済が下りました! 5秒以内に門を開けなさい、さもなければ職務怠慢で告発しますよ!!」
外交官仕込みの苛烈な交渉術に、看守たちが気圧されて門を開ける。
「開いたぞ! 刑部、ぶちかましてやれ!」
金剛の叫びとともに、Mk-IIがキャリアーから飛び出した。
3. 高い壁のインサイド・バトル
東京拘置所(通称、東拘)の敷地内。周囲は高さ数メートルの頑丈なコンクリート壁と、無数の高圧電線が張り巡らされた、矯正施設としては極めて広大な空間だ。
「刑部さん、気をつけて! 建物同士の反響で風が乱れてる! それに、一発でも外壁や窓ガラスを傷つけたら、中の収容者がパニックになるわ!」
瑞希のナビゲーションが、いつも以上に緊迫している。
「分かってる……! ここは何度も来ている!」
刑部はMk-IIの四脚を壁に叩きつけ、コンクリートの垂直な壁を三角飛びの要領で跳躍した。かつて刑務官として護送出張(身柄の引取り)で何度も歩いた敷地だからこそ、建物の死角や風の抜け方が手に取るように分かる。
上空から、ゴースト・パピヨンの暗殺ドローンが、収容棟の窓に向けて毒ガスカプセルを射出しようとした。
「させんっ!」
刑部はMk-IIの左補助腕を展開。シールドの先端で、放たれたカプセルを空中でダイレクトに叩き潰した。強烈な酸性の液体がシールドの装甲を溶かし、白い煙が上がる。
「装甲の腐食を確認! 刑部さん、それ以上浴びたら腕が機能停止するわ!」
財前の警告。
「構うか! あと二機!」
刑部はMk-IIの右アームのショットガンを構えた。しかし、ターゲットの背景には収容棟のガラス窓がある。普通に撃てば窓を突き破る。
「……相棒、俺のタイミングに合わせろ」
刑部はあえて照準器を見ず、Mk-IIの脚部の駆動音と、敵の羽音の「周期」に意識を集中させた。
ドローンが、監視塔の影に入り、背景が「分厚いコンクリートの柱」になった――その、わずか100分の1秒の刹那。
――ドンッ!!!
特殊散弾が、敵ドローンをピンポイントで粉砕。飛び散った破片と火花は、すべて分厚いコンクリート柱に吸収され、建物への被害は最小限に抑えられた。
最後の残る一機は、Mk-IIの圧倒的な精密射撃を前に、小菅の夜空へと逃げ去っていった。
4. 結び:誇りと、一枚の領収書
午前四時。東の空が紫がかってくる頃。
東京拘置所の敷地内には、刑務官たちと、泥と酸でボロボロになったMk-IIが並んでいた。
「……見事な腕前だったな、刑部」
看守たちの中から、かつて刑部の上司だった年配の刑務官が歩み寄り、無骨な手を差し出した。
「法務省を去った時は惜しいと思ったが……今の国交省のお前の仕事、あの頃以上に国を守っているな」
「いえ。俺の相棒が優秀なだけです」
刑部はMk-IIのコックピットから降り、元上司の手を強く握り返した。
その感動的な光景の後ろから、「失礼します」と空気を読まない声が響く。
「東京拘置所長殿。こちら、本日の『緊急治安維持出動に関する費用負担請求書』になります」
財前鏡子が、法務省の幹部に向けて、一切の容赦のない笑みでタブレットを突き出していた。
「えっ? いや、しかし、これは共同の防衛任務では……」
「我が課のMk-IIは、あなた方の重要参考人を守るために、左腕の装甲を特注の酸で溶かされたのです。修理費および、小菅地区の環境汚染防止処理費、全額法務省側の予算から引き落とさせていただきます。……外務係長、書類の同期は?」
「バッチリです。法務省矯正局長、ハンコ押しました」
外務係長が親指を立てる。
「……お前、大変な部署に移ったんだな……」
元上司が、引きつった笑いで刑部の肩を叩いた。刑部はただ、苦笑するしかなかった。
ゴースト・パピヨンは、自らの痕跡を消すために小菅を襲った。しかし、空対課がそれを阻止したことで、拘置所内のハッカーは一命を取り留め、今や警察の重要証人となった。
敵の正体へ一歩近づいた彼らは、溶けたMk-IIの腕をキャリアーに収め、朝焼けの小菅を後にするのだった。
【第35話:小菅、煉獄の羽音 完】




