第29話:岐路の空
第29話:岐路の空
1. 二枚の書類
「……本日をもって、本省より通達がありました」
羽田空港の一角、空対課の詰め所に、外務係長のいつもより硬い声が響いた。彼のデスクの上には、全員の氏名が印刷された封筒が並んでいる。
「これまでの我々の実績が評価され、小型無人機対策課は『試験的運用』を終了。来月より、国土交通省の正式な常設組織として本格的運用へ移行することが決定しました」
本来なら歓声が上がるところだった。しかし、詰め所は水を打ったように静まり返る。
外務は眼鏡を押し上げ、封筒の中身――二枚の書類を全員のデスクに配った。
「それに伴い、出向組の皆さんには選択が迫られます。このまま出向元を離れて国交省へ『正式転属』するか、あるいは本来の省庁へ『復帰』するか。……締め切りは今週いっぱいです」
法務省(刑務官)の刑部。
気象庁(気象予報士)の瑞希。
財務省(国税調査官)の財前。
厚生労働省(労働基準監督官)の金剛。
外務省(外交官)の外務。
全員が、本流のキャリアと、泥にまみれて始末書を書き散らしてきたこの場所との間で、無言の葛藤を抱えていた。
財前が静かに書類を見つめ、ぽつりと言った。
「……財務省に戻れば、冷房の効いた部屋で、もっとスマートに国の予算を動かせるわね」
その言葉の棘に誰も返答できないまま、沈黙が重く降り積もる。
だが、彼らの宿命であるけたたましいアラートが、その迷いを遮るように鳴り響いた。
2. ラスト・テストフライト
「東京テレポート周辺、臨海副都心空域に正体不明の高機動ドローンが侵入! 周辺の観光用ヘリや自動操縦バスの通信をジャミングし、暴走を煽っています!」
羽代課長が毅然と立ち上がり、一同を見渡した。
「組織がどう変わろうと、目の前の空を放っておく理由は無いはずよ。空対課、出動! 現体制での、最後の任務になるかもしれないわよ!」
「了解!」
刑部が弾かれるように立ち上がる。誰もが二枚の紙をデスクの引き出しに叩き込み、いつもの戦闘服のジッパーを上げた。
臨海副都心、お台場周辺のハイウェイ。
金剛の運転するキャリアーが、激しいスキール音を立てて展開ポイントに滑り込む。
「転属だの復帰だの、労働環境としては最悪の職場だが……このハンドルを握るのも最後かもしれないと思うと、ちっとばかし寂しいじゃねえか!」
「金剛さん、湿っぽいのは無しよ! ターゲット、フジテレビ湾岸スタジオ上空を通過、羽田のB滑走路接近ルートへ向かってるわ!」
財前の鋭いナビゲートが飛ぶ。
キャリアーのハッチが開き、白とネイビーのパトランプを輝かせたADUADS Mk-IIがアスファルトを蹴った。
「行くぞ、相棒。……お前の隣にいるのが、俺の本来の仕事だ」
3. 阿吽の呼吸
目標の密輸・妨害ドローンは、空対課の本格運用を妨害するかのように、警察の電波届かぬビル風の死角を突いて巧みに逃走する。
「瑞希、風を読め!」
「3秒後、ビル風が南風に変わる! 敵機は姿勢制御のために一瞬、高度を落とすわ。そこを右から回り込んで!」
「財前、コストはどうだ!?」
「今回は本省のメンツがかかってるわ! 散弾一発につき、私の査定で『全額必要経費』として承認させてみせる! 課長、警察庁への発砲許可申請は!?」
「とっくに通してあるわよ!」
無線越しに羽代課長の不敵な笑みが響く。
「外務係長が、各省庁の偉いさん全員に『空対課がなくなったら誰がこの落とし前をつけるんだ』って、脅し紛いの根回しを完了させてるわ!」
「外交官の交渉術を舐めないでいただきたい!」
外務の誇らしげな声がリンクする。
チームの歯車が、これまでで最も完璧に噛み合っていた。出向元の縦割り行政を飛び越え、この泥臭い現場で培った絆が、一つの巨大なシステムとして駆動している。
「未来のルートは見えた……! 左メインアーム、ショットガン、射撃クリアランス・グリーン!!」
刑部はMk-IIのホイールをハーフロックし、スライドしながら銃口を跳ね上げた。
――ドンッ!!!
レインボーブリッジを背景に、特殊散弾が炸裂。暴走ドローンのローターをピンポイントで粉砕する。バランスを崩した機体を、Mk-IIの左補助腕が寸分の狂いもなく、空中で優しくキャッチした。
「ターゲット確保! 周辺空域、正常化!」
4. 結び:それぞれの「所属」
数時間後、夜の帳が下りた羽田空港。
詰め所には、いつも通りの、いや、それ以上の「書類の山」が築かれていた。
「……はい、刑部さん。これが今日の臨海副都心における道路一時占用の事後報告書と、弾薬消費申請書。いつもより3枚多いわよ」
財前が、呆れたような、それでいてどこか晴れやかな顔でタブレットを差し出す。
「悪いな、財前。……で、みんなの『書類』は?」
刑部が、デスクの隅にある外務係長の回収箱に目をやった。
そこには、数時間前まで配られていた「復帰届」は一枚もなかった。
代わりに、クシャクシャになった復帰届がゴミ箱に捨てられており、回収箱の中には、全員の署名と判が捺された「国交省・航空管理局転属届」が、綺麗に重なっていた。
「財務省の冷房より、ここの泥臭いコーヒーの方が、私の肌には合うみたい」
財前がフッと微笑む。
「私も、ここの方が明日の天気を一番近くで予測できますから」
瑞希がタブレットを片手にウインクした。
外務係長が、嬉しそうにその書類の束をクリアファイルに収める。
「さあ、これで明日からは『正式な国家公務員』としての、本物の戦い(予算獲得交渉)が始まりますよ!」
刑部は、格納庫で静かに佇むADUADS Mk-IIを見上げた。
「……そういうことだ。これからもよろしくな、相棒」
パトランプが、一度だけ優しくまたたいた。
「日常の中の非日常」を守る公務員たち――小型無人機対策課の、本当の物語はここから始まる。
【第29話:岐路の空 完】




