第20話:ラストワンマイルの鼓動
第20話:ラストワンマイルの鼓動
1. タイムリミット
「移植用臓器の有効期限まで、あと2時間30分。……時間がないわよ」
財前が、いつになく険しい表情でストップウォッチを起動させた。
今回の任務は「敵」のいない戦いだった。日本橋の再開発エリア、地上50メートルの建設クレーン。突発的な突風により、移植用の心臓を運搬していた医療用ドローンがワイヤーに絡まり、宙吊りになっていた。
「風速、さらに上昇中。最大15メートル。下手にクレーンを動かせば、ドローンの固定が外れて落下するわ」
雲井瑞希がタブレットの風向チャートを刑部に共有する。落下すれば、中の臓器は衝撃で使い物にならなくなる。
「厚労省から連絡だ」
運搬担当の金剛が、珍しく真剣な眼差しで無線を入れた。
「病院側ではすでにレシピエントの開胸手術が始まってる。この心臓が届かなきゃ、その患者は……。刑部、なんとしてでも『生きたまま』届けるぞ」
2. 鋼鉄のクレーン登攀
ADUADS Mk-IIが、クレーンの支柱に取り付く。四本の脚部を器用に使い、高層ビルの骨組みを這い上がる姿は、まるで巨大な甲虫のようだ。
「刑部、慎重に! クレーンのマストを傷つけたら、建設会社への営業補償が億単位になるわよ!」
地上のキャリアーから財前の警告が飛ぶ。
「分かってる! 瑞希、機体の揺れを最小限に抑えたい。姿勢制御の補正を最大にしろ」
地上40メートル。足元には日本橋の歴史ある街並みが広がり、真下には救急車がサイレンを鳴らして待機している。Mk-IIのコクピットには、風で軋む鋼鉄の音が不気味に響いていた。
「目標のドローンまで、あと5メートル」
瑞希の声が緊張で震える。ワイヤーに絡まったドローンは、風に煽られて激しく揺れていた。
3. ミミリ単位の「摘出」
「ショットガンもダズラーも使えない。相棒、お前の『腕』だけが頼りだ」
刑部は操縦桿を微調整し、左補助腕をゆっくりと伸ばした。
ゲージ・シールドの裏側に装備された高精度マニピュレーターが、ドローンの保護フレームに近づく。
「……許可を、課長」
「武器じゃないわ。……現場判断で、救助を許可! 外務係長、病院周辺の交通規制の延長を!」
羽代課長の指令を受け、外務係長が複数の電話を同時に捌く。「外交交渉に比べれば、国内の道路使用許可なんて……!」と、彼もまた必死だった。
風の止み間。一瞬の静寂。
刑部の指先が、マニピュレーターを通じてドローンの感触を捉えた。
「掴んだ……!」
ワイヤーを傷つけぬよう、マニピュレーターの出力をミリ単位で調整し、絡まったプロペラを「解く」。
その時、一際強いビル風が吹き抜けた。
「刑部さん、危ない!」
瑞希が叫ぶ。クレーンが大きくしなり、Mk-IIの機体が揺らぐ。
刑部は咄嗟に右アームを支柱に叩き込み、機体を固定した。左腕は、ドローンをがっしりと抱えたまま離さない。
「……こちら刑部。臓器ドローン、確保。これより降下する」
4. 結び:繋がれたバトン
聖路加国際病院のヘリポート前。
Mk-IIがアスファルトに膝をつき、その胸元から大切そうに白いコンテナを差し出した。
待機していた医師団が、それを奪うようにして手術室へと走り去る。
「……間に合ったな、金剛さん」
刑部がコクピットの中で深く息を吐き出した。
「ああ。労働安全衛生法的には、あの高さでの作業は冷や汗もんだが……。刑部、お前のおかげで、一人の人間が明日も働けるようになる。いい仕事だったぜ」
金剛が、満足そうにキャリアーのハッチを叩いた。
翌朝、詰め所。
「刑部さん! ニュースです! 手術は無事成功したそうですよ!」
瑞希が明るい声を上げる。
だが、その喜びも束の間だった。
「……はい、感動の時間は終わり。刑部さん、これ」
財前がいつものように、膨大な電子書類の山を差し出す。
「クレーンの塗装剥離に関する損害賠償請求の予備審査、それから『航空管理局による医療行為への干渉』に関する厚労省への弁明書。金剛さんが元いた部署からの問い合わせが一番面倒なんだから、責任取ってよね」
「……結局、これか」
刑部は苦笑しながら、山積みのタスクに目を通し始めた。
空の安全を守り、命を繋ぐ。その代償は、いつだって地道な書類作業なのだ。
【第20話:ラストワンマイルの鼓動 完】




