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第10話:羽田の白い夜


第10話:羽田の白い夜

春の海風が運んできた暖気が、冷たい海水に冷やされ、巨大な「白い壁」となって羽田空港を飲み込んだ。海霧うみぎり――。視程は50メートル以下。滑走路の灯火すら霧に霞み、世界は乳白色の静寂に包まれていた。

「……現在、羽田空港はカテゴリーIIIの気象制限下。全便の離着陸は見合わせ中。滑走路は完全に閉鎖されているわ」

詰め所のモニターを睨みながら、雲井が忌々しげに告げる。彼女の予測通り、湿った空気が滑走路を覆い尽くしていた。

「こんな日に動く馬鹿がいるのか?」

刑部がMk-IIのパイロットスーツのジッパーを上げながら尋ねる。

「……いるのよ、刑部君。正体不明の大型ドローンが1機、C滑走路付近を低空で徘徊中。しかも、航空管制用のトランスポンダを偽装して『政府専用機』の信号を出しているわ」

羽代課長の言葉に、その場にいた全員に緊張が走った。元管制官の彼女にとって、羽田の滑走路を汚されることは、自分の庭を荒らされるに等しい。

「信号の偽装……? 財務省のデータ照会でも、その機体番号は現在ハンガーに収容されているはずよ。明らかに確信犯ね」

財前がキーボードを叩き、不正な信号の出処を特定しようとする。

「外務省のパイプで確認しましたが、隣国の外交筋に動きはありません。……テロ、あるいは悪質なデモンストレーションの可能性があります」

外務係長が、いつになく低い声で付け加えた。

「空対課、出動! 視界ゼロの羽田で、あの『偽物』を引きずり下ろしなさい!」

羽田空港・C滑走路

「……何も見えねえな。金剛さん、どこ走ってるかわかるか?」

キャリアーの運転席。金剛が、ナイトビジョンと磁気センサーを頼りに巨大なコンテナキャリアーを滑走路へと走らせていた。

「安心しろ風人。この空港の舗装の継ぎ目まで、俺の体は覚えてる。労働基準法を守るためにも、さっさと終わらせて帰るぞ!」

「刑部さん、目標は前方200メートル、高度10メートル! 霧で光学センサーは使い物にならないわ。私の観測ドローンが放つ超音波ビーコンを頼りにして!」

セダンの後部座席から瑞希の指示が飛ぶ。

キャリアーのハッチが開き、ADUADS Mk-IIが霧の中に降り立った。

「刑部風人、Mk-II。……行くぞ、相棒」

風人が操縦桿を握ると、Mk-IIは四脚のホイールを静かに回転させ、霧の中を滑るように加速した。視界は真っ白だ。HUDヘッドアップディスプレイに映し出される雲井のレーダーマップだけが頼りだった。

「……捉えた!」

霧の向こうに、巨大な影が浮かび上がった。全長2メートルを超える大型の六枚翼ドローン。それが、まるで幽霊のように滑走路の上を漂っている。

「右メインアーム、レーザー・ダズラー展開! ……くそっ、霧で光が拡散して出力が届かない!」

「刑部さん、待って。今、海側から風が吹くわ……3、2、1……今よ!」

瑞希のカウントに合わせ、霧が一瞬だけ薄くなった。その隙を突き、大型ドローンが急加速する。

「逃がすか! 右補助腕、ローター・ブレード、始動!」

風人がスイッチを入れると、Mk-IIの右肩に装備された補助腕が高速回転を開始。猛烈なダウンウォッシュ(下向きの気流)を巻き起こし、周囲の霧を物理的に吹き飛ばした。

「……見えた!」

視界が開けた刹那、大型ドローンの姿が露わになる。相手もこちらの存在に気づいたのか、異常な機動力でMk-IIの頭上を飛び越えようとした。

「財前、ハッキングで制御を奪えないか!?」

「無理よ、独立したアナログ回路が混ざってる! ……風人さん、奴の翼を物理的に止めるしかないわ!」

「了解。……金剛さん、キャリアーを奴の進路に割り込ませろ! 瑞希、風を読め!」

「任せなさい! あと5秒で、北から回り込む風が奴を押し下げる!」

金剛のキャリアーが霧の中から猛スピードで現れ、ドリフト気味に滑走路を塞ぐ。驚いたドローンが高度を下げた瞬間、瑞希の予言通り、突風がその機体を叩いた。

「そこだッ!」

Mk-IIが跳躍する。

風人は左補助腕のゲージ・シールドを投げ縄のように使い、大型ドローンのプロペラガードに引っ掛けた。そのまま機体の重量を活かして、無理やり地面へと引きずり下ろす。

火花を散らしながら、大型ドローンがアスファルトの上に押さえ込まれた。

結び:白い壁の向こう側

数時間後。霧が晴れ始めた羽田空港の詰め所。

「……結局、あのドローンの正体は何だったんですか、係長」

刑部が、油で汚れた手を拭きながら外務に尋ねた。

外務係長は、届いたばかりの機密文書に目を通し、皮肉な笑みを浮かべた。

「……あるベンチャー企業が、政府専用機のトランスポンダ信号をどこまで再現できるかテストしていたそうです。海外の投資家に『技術力』を見せつけるための、非公式なデモンストレーションだったとか」

「……投資家へのアピールのために、羽田の安全を危険にさらしたっていうの?」

雲井が呆れたようにため息をつく。

「おかげで、そのベンチャー企業には国交省本省から再起不能なレベルの行政処分が下るわ。それから……」

羽代課長が、一枚の請求書を刑部に見せた。

「『ローター・ブレードの高速回転による滑走路路面の異常摩耗』。これ、空港ビル会社からのクレームよ。刑部君、理由書を三通。法務省と国交省、それから空港会社宛てに書いてね」

「……やっぱり、こうなるのか」

刑部は、窓の外で霧が晴れていく滑走路を眺めた。

そこには、再び日常を取り戻し、次々と離陸していく旅客機たちの光の列が見える。

「まあ、いいさ。空路の安全は守られたんだからな」

刑部の指が、再びキーボードの上で踊り始める。

「白い壁」の向こうにある、見えない敵とお役所のしがらみ。それらをなぎ倒すための戦いは、明日もまた続く。

【第10話:羽田の白い壁 完】


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