第94話 悩み相談って、つくれちゃう?
部屋のドアを開けた乃亜はバッグを床に置き、リモコンでエアコンの電源を入れる。
「――赤ちゃん、ここがあたしの部屋」
「し、失礼します」
葵は緊張しながら遠慮がちに足を踏み入れた。
「飲み物持ってくるから待ってて」
「分かりました」
乃亜を見送った後、葵は初めて入った乃亜の部屋を興味深そうに眺める。
(ここが綾音さんの部屋……何だか部屋全体から、綾音さんと同じ甘い香りがする……)
部屋は六帖の広さで、室内にはオタクを自称する乃亜が集めた漫画やアニメ、ゲームキャラクターなどのタペストリーやポスター、アクリルスタンドにぬいぐるみなどのグッズであふれかえっており、その中でも特に多いのが美少女フィギュアだ。
壁際に並んだガラス扉付きのフィギュアラックに飾ってあるものの他に、机や棚の上などにも美少女フィギュアがずらりと並んでいる。
葵が想像していたギャルの部屋といえば、ピンクやパープルで統一された壁紙や家具類であったが、ピンクのレオパード柄や白黒のゼブラ柄などが壁紙の一部やラグマットなどに使ってあるものの、アニメグッズに侵食されてギャル要素が控えめになっていた。
(グッズの量はさすがだ……ごちゃごちゃしているイメージを思い浮かべたのは申し訳ないけど、実際はきれいに整理されている。アニメグッズだけじゃなく、化粧品とかバッグの数もかなりあるみたいだ……)
ドレッサーにはたくさんの化粧品が置いてあり、壁のウォールハンガーやワイヤーネットのフックにはバッグ類やキャップが掛けられている。
(――ま、まずい……つい部屋の中を細々と観察してしまった……。部屋で待つように言われたとはいえ、さすがにジロジロ見るのは良くないよな……)
興味本位で乃亜の部屋をじっくり見てしまったことを葵は反省するが、フィギュア好きであるなら飾っているフィギュアのレイアウトがつい気になってしまい、目を背けることはできずに葵の視線は自然とフィギュアラックに向かう。
(あっ! 綾音さんが組み立てた見習い天使のガレキだ……ちゃんと飾ってある)
見習い天使は乃亜が初めて製作したガレージキットであり、葵と乃亜が交流を深めるきっかけになったキットであるため、葵にとってはとても思い出深いものだった。
葵がフィギュアラックを眺めていると部屋のドアがそっと開き、グラスに入った麦茶とお菓子、そしてカップアイスが乗った四角いトレイを持った乃亜が戻って来る。
「赤ちゃん、お待た~。ママが持っていくってウザかったけど、スルーした」
「あ、あはは……さっきも世話を焼きたそうにされていましたね」
「ほんとそれ。てかもう子供じゃないんだしさ~。赤ちゃん、そこ座って」
葵は白黒のゼブラ柄をした二人掛けのソファーにぎこちなく腰を下ろすと、その隣に乃亜が何のためらいもなく座る。
(ち、近い! 相変わらず距離感ゼロだし、綾音さんの部屋だから何だか落ち着かない……)
肩が触れそうな距離に乃亜は座っており、タイトハイウエストショートパンツから伸びる色白の長い美脚がどうしても葵の視界に入って意識してしまう。
友達の――しかも女子でギャルの部屋という初めての状況に置かれた葵は四方八方から様々な情報が一気に押し寄せ、場馴れしていないせいか、処理しきれずに頭がパンクしそうだった。
「赤ちゃん、アイス。早く食べないと溶けちゃうよ? 別に遠慮とかいらないし」
「そ、そうですね……では頂きます」
まずは緊張でカラカラに渇いた喉に冷たい麦茶を流し込んだ後、葵はカップアイスを手に取って口に運ぶ。
「……赤ちゃん、緊張してる?」
「えっ!? いや、はい……友達の家に遊びに来たのは、これが初めてなので――」
(――それどころか、女子の部屋に入るのも初めてだ……)
「あーね。やっぱ最初はくつろげないか」
何もかも初めて尽くしである葵は休憩するどころか逆に落ち着かない。
相手との距離感に緊張して恐縮し、隣に座る乃亜を意識しないように明後日の方向を見ている葵に乃亜は気付くと、ニヤリと小悪魔的な笑みを浮かべた。
「――ねえ赤ちゃん。もしかしてさ、あたしのこと意識してる?」
「へっ!? いや、あの……」
乃亜が腰を浮かせて葵側に身を寄せると、その拍子にお互いの肩同士が軽く触れ合い、たまらず葵の体がビクリと震える。
「赤ちゃんキョドりすぎ~! いや、からかってマジごめん!」
乃亜が横にずれると、葵は照れた様子で背中を丸めて縮こまる。
(完全にアウェイすぎて、身が保たないかも……)
葵はカップアイスを口に運ぶが、緊張や様々な考え事が頭の中を駆け巡り、全くアイスの味がしなかった。
乃亜もカップアイスを食べつつ、隣に座る葵のことをチラ見する。
本日は用事に付き合ってもらい、お礼と休憩を兼ねて自宅に誘った乃亜だったが、いつもの調子でからかってしまい、初めての友人宅訪問にガチガチだった葵の緊張に拍車をかけてしまった。
これでは休むどころか、逆に疲れさせてしまったことを乃亜は反省し、挽回すべく葵の得意分野で雰囲気を変えようとする。
「――てか赤ちゃん。あたしのフィギュア達、見てくれた?」
「どのフィギュアもきれいにディスプレイされていて、とても大切にされていることが分かります」
「ありがと! まあ、ジャンルとかはバラバラだけどね~」
部屋に飾ってあるフィギュアの話になり、葵の緊張も少しほぐれた。
アイスを食べ終わり、間が持たなくなってきた葵は早速切り出す。
「――ところで綾音さん。フィギュアのことで何か相談あるとか言っていませんでしたか?」
「あ。そーだ、ガチ忘れてた!」
葵の一言で用件を思い出し、乃亜は部屋に飾っているフィギュア達に目を移す。
「相談っていうか、質問的なやつ?」
「質問……ですか?」
「ケースに入ってるフィギュアはさ、埃とか付きにくいじゃん? でも置き場所によゆーないし、そのまま飾ってるフィギュアとか、定期的に掃除してもめっちゃ埃が溜まるんけど、赤ちゃんどうしてる?」
「フィギュアの埃ですか。これはフィギュアを集めていると必ずぶつかる問題ですね。一番は扉付きのケースに入れることです。これで埃は溜まりにくいですが、今度は湿気が溜まりやすいという別の問題も出てきます」
「あーね! 前にさぁ~、ケース内にカビ生えたことあるし!」
身に覚えがある乃亜は共感してうなずく。
「埃からフィギュアを守れても、カビが生えたら元も子もないのでケース内に除湿剤を入れておくと良いですね。あとはエアコンなどで除湿する方法もあります。あと定期的なケース内の換気も湿気対策になりますが、換気はフィギュアのベタつき防止にも必要です」
「ベタつき……なんか昔のフィギュアとかさ、表面ベタついてるやつあるけど……」
「綾音さんは〝可塑剤〟という言葉を聞いたことがありますか?」
「なんか、どっかで聞いたことあるよーな……」
そうは言ったものの、乃亜はいまいちピンときていない。
「市販されているフィギュアの素材はPVCが多いですよね? 素材となるPVCは合成樹脂ですが、この素材を柔らかくするために可塑剤が使用されています。この可塑剤は時間の経過とともに、フィギュアから気化して外に放出されていきます。密閉された場所では可塑剤がフィギュアの表面に付着し、ベタつきの原因になります」
「あっ!? 昔買ったままで保管してた未開封のフィギュア……開けたらベタついてたのって……」
「それは可塑剤の影響ですね。開封品でもフィギュアラックなど密閉されたところにある場合、可塑剤が溜まり続けますので、定期的に換気して空気を入れ替えた方が良いです」
「やっぱ、未開封はフィギュアに良くないのか……」
「あとは紫外線による日焼け対策も重要ですね。紫外線による色落ちや変色は避けられませんので、ガラス窓にUVカットフィルムを貼ってカーテンも遮光カーテンやUVカットカーテンを選びます」
「フィギュアのこと考えたら、めっちゃ対策必要じゃん!」
「綾音さんはラック内の照明にLEDを使っていますが、一般的なLED照明は紫外線をほとんど出しません。太陽光と比べれば、蛍光灯からの紫外線はわずかですが、長時間の照射による影響は出ます。部屋の照明やケース内はLED照明が最適ですね」
ここまで長々と説明していた葵はハッと我に返り、乃亜から埃処理のことで質問を受けていたことを思い出す。
「すみません。埃の件から話が脱線してしまいました……」
「全然おけえ! 赤ちゃんの話、めっちゃ勉強になったし!」
「それでしたら幸いです……」
自分の得意な分野になると時間を忘れ、つい話しすぎてしまうことを葵は反省する。




