第92話 お宅訪問って、つくれちゃう?
八月上旬のある日。川崎市川崎区にある大型家電量販店から乃亜は出ると、外のまぶしさに思わず目を細める。
乃亜の私服は肩と首周りが大きく開いた白のチューブトップに、スラリと長い美脚が映える黒のモノグラムタイトハイウエストショートパンツ。靴は黒の厚底ボリュームソールストレッチスニーカーショートブーツを履き、肩には黒のWポケットスクエアバッグを掛けている。
「――赤ちゃん。今日は付き合ってくれてありがと!」
店舗から一緒に出てきた葵の方に向き直り、乃亜はご機嫌な様子で微笑みかける。
「俺もショップでの買い物は久しぶりだったので良い機会でした」
葵は白のルーズシルエットTシャツに黒のチノパンツ、白のスニーカーという着慣れた私服だが、隣を歩く乃亜は露出が多めのコーデであり、葵はあまり直視できず目のやり場に困っていた。
(綾音さん……肩とか思いっきり出ているけど、周りの目とか気にならないのかな……)
チューブトップ姿で街を歩く乃亜だが、ファッションとして着こなしているので周囲からの視線は全く気にしていない。
「――塗料ってさ、めっちゃ種類あるじゃん? 一応、通販とかオンラインショップで色々見たんだけど、赤ちゃんにアドバイスして欲しかったの」
「頼って頂けるのは光栄です。メーカーも複数ありますし、色の種類もたくさんあるので迷いますよね」
葵と乃亜が市内にある大型家電量販店を訪れたのは、製作中であるガレージキットの塗装に使う塗料を買うためだった。乃亜は読者モデルをやっており、本日は午前中に秋冬物の撮影だったため、午後から葵と駅で待ち合わせして合流している。
乃亜は〝悪魔っ娘リゼルナ デフォルメVer.〟のガレージキットを製作中だが、表面処理まで終わらせており、次は塗装というところまで進めていた。さすがにエアブラシ一式を揃えるのは難しく、今回もエアブラシは葵のものを借りることになっている。
塗料は自分で買うことに決めたものの、まだ二体目のガレージキットということもあって乃亜だけで塗料を選ぶのはハードルが高く、本日は葵に付き合ってもらったというわけだ。
ちなみに乃亜は二体目のガレージキットを製作するに辺り、デザインナイフや各種ヤスリ類など、エアブラシ以外の道具は自分で買い揃えて使っていた。
駅に向かう二人だが、空からは強烈な日差しが容赦なく降り注ぎ、午後過ぎという暑さのピークも重なり、熱波のような蒸し暑い空気が葵達の体を包み込む。
「外ヤバっ! 暑すぎて死ぬ!」
頭に白のキャップを被っているものの、乃亜はたまらず叫ぶ。
「年々暑くなっていますね。春とか秋もないですし」
「ほんとそれ。毎日ヤバい」
駅に向かう間もできる限り日陰になったエリアを歩くが、気温が高いためすぐに肌が汗ばみ、葵はまとわりつくような蒸し暑い空気がまるで壁のように感じた。
駅に到着するとちょうど電車が来ていたため、二人はすぐに乗り込んで冷房の恩恵を全身に感じながら、空いていた席に並んで座る。
電車は先に乃亜が降りる駅へ着くため、今日はこのまま解散だと葵が考えていると、スマホに視線を落としていた乃亜がふと何か思い付いたように顔を上げた。
「――そうだ! 赤ちゃん、今日うちに寄ってかない?」
「えっ!? 綾音さんの家に……ですか?」
「今からなんか予定ある?」
「夕方から作業する予定なので、まだ時間は大丈夫です」
「今日のお礼もしたいし、うちで休憩していって。あとフィギュアのことでちょい相談もあるし」
(まさか、綾音さんから家に誘われるとは……)
これまで乃亜が葵の自宅マンションにガレキ製作などの目的で訪問することは日常的になっていたが、逆に葵が乃亜の自宅を訪れたことは一度もなかった。
「アイスとか冷たいものもあるし。まあ、無理にとは言わないけどさ」
(綾音さんの家か……せっかく誘ってもらったし、フィギュアのことで相談があるなら……)
「それでは……お言葉に甘えさせて頂きます」
突然の誘いだったが、特に断る理由もなかったので葵は了承する。
「じゃあ、決まり!」
乃亜は心なしかうれしげだ。
(友達の家に遊びに行くのは初めて――いや、それどころか女子の家に行くのも初めてだし、何だか妙に緊張してきた……)
本日は乃亜の買い物に付き合うだけと思っていたため、まさか自宅に誘われるとは葵も予想していなかった。
(もう駅に着くけど、心の準備とか全然できてない……。綾音さんって、その場の思い付きとかで行動することがあるけど、今回はどうなんだろう……)
買い物に付き合ったお礼というのは分かるものの、突然誘われたことが葵は少し気になった。
「あの、綾音さん……自宅にお邪魔しても大丈夫なんですか?」
「全然おけえ!」
「家に誘うのはその……事前に決めてあったんですか?」
「今、思い付いた!」
「い、今ですか!?」
「そんな驚く?」
スマホの画面に指を走らせていた乃亜は不思議そうに首を傾げた。
(これは……いわゆる場面行動ってやつか。俺は事前に予定とか計画を立てて動くけど、綾音さんってその場のノリや状況で行動することが多いし)
葵がそんなことを考えていると電車が登戸駅に到着し、葵は席を立って乃亜と一緒に電車を降りる。
「――てか、赤ちゃんと一緒なの初めてじゃない?」
「そうですね。いつもは電車内から綾音さんを見送っていましたので」
「じゃあ、行こっか。駅から歩いて十分ぐらいかな~」
葵は乃亜に道案内されて、駅前から住宅街の方へ歩いていく。立ち並ぶ家々を横目に十分ほど歩くと、ある一軒家の前で乃亜が立ち止まる。
「着いたよ。ここがあたしんち」
マンションに住んでいる葵と違い、乃亜の自宅は間取り5LDKの庭付き一戸建て住宅だ。
(ここが綾音さんの家……何だか人の家に入るのはとても緊張する……)
乃亜は道路に面した門扉を開け、葵を敷地に通すと玄関に向かう。
「――ただいま~!」
乃亜は普段のノリと変わらない調子で帰宅を告げる。
「赤ちゃん、遠慮せずに上がって!」
「お、お邪魔します……」
緊張した面持ちで葵は靴を脱ぎ、玄関ホールでスリッパに履き替えていると乃亜の帰宅に気付いた瑠璃がリビングからひょっこりと顔を出す。
「ママ! 友達連れて来たよ~。いつもお世話になってる赤ちゃん!」
葵が顔を上げると、三十代の長身な女性が廊下に出てきて二人を出迎えた。
(あれが……綾音さんのお母さん?)
「あらあら。あなたが噂の〝赤たん〟ね」
(あ、赤たん!? 初対面なのにかなり親しげな呼び方だ……。それに噂の赤たんって言っていたけれど、綾音さん……家族に俺のことをどう話しているんだろう……)
「――始めまして。乃亜の母で綾音瑠璃と言います」
「ど、どうも始めまして! 赤千谷葵です」
乃亜の母親である瑠璃と対面した葵は緊張を隠せず、強張った表情のまま自己紹介をした。




