第81話 夕日って、つくれちゃう?
葵が海を眺めながら待っていると、着替えを終えた乃亜達がやって来る。
「――赤ちゃん、お待た~! じゃあ、砂浜の方に行こっか」
葵が後について行くと、乃亜達はバッグから出したレジャーシートを砂浜に敷く。
「赤ちゃん、隣座って」
「し、失礼します」
持参していたレジャーシートは二枚しかなく、一枚に莉里奈と星羅が並んで座ると、必然的に葵は乃亜の隣になる。
「赤ちゃん。飲み物買ってきたから、好きなの選んで」
「ありがとうございます」
葵はビニール袋の中からペットボトル入りのお茶を選ぶ。
「――ところで綾音さん……これから何かするんですか?」
「え? せっかく海来たんだし、夕日が超きれいだから一緒に見ようと思ったの」
「夕日……もしかして、砂浜にいる人達も夕日が目当てですか?」
「そーだと思う。ビーチから見る夕日ってきれいじゃん?」
「確かに……海に沈んでいく夕日って良いですよね」
「赤ちん。ちな、あっちに山あるじゃん? 残念だけど、ここから見る夕日って海に沈まないっぽい」
星羅に言われて葵が由比ヶ浜の西側を見ると、海岸より海側に突き出した稲村ヶ崎という岬があった。
「海に沈む夕日なら江の島の向こう……あれ、どこだっけ?」
「片瀬西浜だな。あっちは遮るものないし」
ど忘れした莉里奈に代わって星羅が回答する。
(……綾音さん達、海水浴に行った時は毎回夕日を見て帰るのかな?)
頭の片隅にそんな疑問を抱きつつも、砂浜に座ってゆっくりとくつろぎながら海を眺めるシチュエーションは葵にとって初めての体験であり、普段と違う夕方の景色に心の底からリラックスする。
日が傾いたことで刺すような日差しも和らぎ、海から届く波の音や潮風がとても心地良く、ぼんやりと海を眺めているだけで四人は時間を忘れる。
「ああ~、この時間ってマジ最高~! ずっと、こーしていたいわ」
「だね~。くつろぎ感、ヤバ~」
両手を後ろについてレジャーシート越しに砂の感触を確かめながら、乃亜達は脚を前に投げ出す。頬を撫でていく潮風に髪が揺れ、砂浜には潮の香りが漂っている。
視界いっぱいに広がる空は茜色から橙、そして群青へとゆっくり変化していく。
乃亜達はそんな一時を逃すまいと、夕焼けに染まった空を背にスマホを構える。
やがて稲村ヶ崎の向こうにオレンジ色の夕日が静かに沈み、空と海は刻一刻と表情を変えていく。自然が織りなすグラデーションを特等席である砂浜から眺める光景は葵にとって、何ものにも代えがたい贅沢な時間だった。
(――いつもみたいに作業部屋に籠もっていたら、見ることができない光景だ……)
閉塞的な部屋の中と違い、視界が大きくひらけて目の前には水平線まで続く海原が広がり、顔を上げればどこまでも高い空があることに葵は今更ながら感銘を受けた。
日没を見届け、砂浜から戻った葵達は海の家で夕食となる湘南名物のしらす丼を食べた後、海の家で販売していた手持ち花火を購入する。
「――砂浜で花火もできるんですね。久しぶりにやります」
「ロケット花火とかはダメっぽいけどね」
「花火といえば、七月にあった鎌倉花火大会も超良かった~!」
「その代わり、人の数めっちゃエグかったけどな」
今月開催された花火大会の思い出を乃亜達は口々に語る。
(綾音さん達、花火大会に行ったのか……)
七月、八月と夏は神奈川県でも多くの花火大会が開催されている。葵は花火大会に行く予定はなく、一人暮らしをする前に千葉の実家にいた時にも、地元の花火大会へ行ったことがなかった。
(小さい頃に両親から誘われた記憶はあるけど、フィギュア作りたいとわがまま言って夏祭りとかも行かなかった気がする。今思うと、いくら造形が好きと言っても引きこもり過ぎだったかな……)
火の着いた手持ち花火は色とりどりに変化し、鮮やかな火花が暗闇を彩る。スマホで写真を撮りながら、乃亜達は歓声を上げて無邪気にはしゃいでいた。
そんな楽しそうな光景を眺め、葵は夏にどこへも出掛けたことない記憶がふと蘇ってしまう。
(今日、綾音さん達と海水浴に来て楽しかったし、思い出って大事なんだな……)
葵は心の中でしみじみと感じた。
たくさんあった花火も残り少なくなる中、乃亜が葵の元にやって来る。
「――赤ちゃん、最後に線香花火やらない?」
線香花火を手にした乃亜が葵の前にしゃがみ込むと葵もつられて腰を落とす。
「火をつけますね」
「ありがと!」
手に持った線香花火が小さく火花を咲かせる様子を葵と乃亜は穏やかに見つめる。
「――なんか、ここで過ごすのも最後って感じだよね~」
線香花火の儚げな火花を見て乃亜がしみじみと呟く。
「そうですね……でも、今日はとても楽しかったです。一人では海水浴に来ることはなかったと思いますし、誘って頂きありがとうございました」
「たまには遊ぶのも良いでしょ? それにさ、赤ちゃん色んなとこ連れて行くって約束したしね」
「俺なんかに気を使って頂きすみません」
「別に気とか使ってないから。赤ちゃんの夢も分かるけどさ、高校生の時間って今しか過ごせないわけじゃん?」
「確かに……高校生活は一度きりですね」
「だからさ、一緒に楽しいこと共有したいわけ。みんなでワイワイするのって一生の思い出になるし」
ここで乃亜が持っていた線香花火の先端から火の玉が落ち、砂浜で燃え尽きる。
「あ~、終わっちゃった!」
少し遅れて葵の線香花火も燃え尽きた。
「――線香花火は終わっちゃったけど、夏休みはこれからだし、予定合う日はまた遊びに誘うからさ」
「その時はよろしくお願いします!」
「だから真面目すぎだって~。まあ、赤ちゃんらしいけどさ」
乃亜がくすりと笑うと、燃え尽きた手持ち花火を片手に莉里奈と星羅がやって来た。
「――それ、線香花火じゃん! ウチもやりたい!」
「おけえ! まだあるし、最後にみんなで勝負しない?」
「最後まで落ちなかった人が勝ちだっけ?」
乃亜の提案に莉里奈達も乗り気で参戦し、最後に四人は線香花火を囲んで楽しんだ。
燃え尽きた花火の消火には水を入れたペットボトルを使っており、遊び終わった後は水を切るとビニール袋に入れて持ち帰る。
片付けを終えた葵達は名残惜しそうに由比ヶ浜を後にして駅に向かった。
「今日、めっちゃ遊んだ~!」
「マジ楽しかったわ」
駅で電車を待つ間、乃亜達はスマホで撮りためた海水浴の写真を見返して盛り上がる。
「――そーだ。赤ちゃんが写ってる写真、共有しよ~」
葵は主に風景しか撮っていないが、乃亜達のスマホで何枚か写真を撮ってもらったことを思い出す。
(俺が写っている写真って……確か、綾音さん達と一緒のやつもあったはず……水着姿だけど良いのか?)
そう思ったものの、葵は水着姿の乃亜達と一日過ごしており、写真で水着姿を晒すのは今更だと思い直して乃亜にお礼を言った。
朝から夜まで一日中遊んだせいか、電車に揺られる葵の体に疲労感がどっと押し寄せ、何度も睡魔に襲われる。
寝過ごさないように葵は眠気と戦い、駅に到着すると電車内で乃亜に別れを告げた。
自宅マンションに帰り着くと、葵はまるで別の世界から戻ったような不思議な感覚を覚える。
毎日同じような生活を繰り返していると日常が単調になるが、普段と違う場所に行って様々な刺激を受けたせいか、日常に戻って普段との感覚にギャップを感じたのだ。
(――綾音さん達と海水浴、とても楽しかったな……)
普段、自分がいかない場所へ連れ出してくれる乃亜の存在はとても大きく、思い出作りの大切さを学んだ一日にもなった。
改めて乃亜に感謝しつつ、浴室でシャワーを浴び始めた葵だったが、背中を日焼けしていたことを失念していた。適温のお湯でさえも凶器となり、背中にシャワーを浴びた瞬間、真夏の太陽が残した置き土産に悶絶するのだった。




