第79話 ビーチって、つくれちゃう?
莉里奈に案内された葵は波打ち際から海に入り、沖の方を見つめる星羅と合流する。この辺りは浅瀬であるため、水深は膝上ほどだ。
「星羅~! バブたん連れてきたー!」
「――赤ちん、待ってたよ」
「ふ、富士桜さん! 綾音さんが浮き輪に乗って流されたと聞いたんですが、今どこにいますか!?」
「あそこ。ほら、奥にある白い浮き輪……見える?」
葵が沖の方に目を凝らすと、三人がいる浅瀬から十メートルほど離れた位置に白色のハート型をした浮き輪が浮いており、その上に両足を投げ出した格好で座る乃亜が葵達に向かって手を振っていた。
乃亜が浮き輪で浮いているのは波打ち際から沖の方へ十五メートルほど行った距離であり、葵の想像よりも距離は近くて深刻な状況には感じなかった。
「――綾音さん、楽しそうに手を振っていますけど……」
「いや違くて。あれ、助け求めてんの」
やけに深刻そうな表情で莉里奈は見守っているが、葵にその危機感は伝わらない。
「でも……あそこは足がつく深さですよね? あの辺りで遊んでいる人達を見ると、水深は胸の下ぐらいに見えますけど……」
自力で戻れそうにない沖の方や、足がつかない場所まで流されたという状況なら分かるが、莉里奈と星羅がなぜ助けを求めたのか葵には理解できなかった。
「もしかして綾音さんは泳げないんですか? でも足がつくあの深さなら、海に入って戻って来れそうですけど……まさか、水恐怖症ではないですよね?」
「乃亜は泳げないけど、自力でも戻って来れないな」
「だからバブたん、乃亜を助けに行って! バブたん泳げる?」
「泳げますけど……わ、分かりました」
理由は不明ながらも莉里奈達から救助を頼まれたため、とりあえず葵は乃亜の元に向かう。
浅瀬から沖の方へ進むにつれて水深は深くなり、下半身は水没して腰の辺りまで葵は海に浸かるが、両足はしっかりと海底の砂を踏みしめている。
「――おーい! 赤ちゃーん!」
乃亜は先程よりも少し沖へ流されたものの問題はなく、浮き輪の上で波に揺られながら大きく手を振っている。乃亜の周囲で遊んでいる海水浴客は数十人おり、状況的に葵は危険性がないように見えた。
水深が胸の下辺りまで達すると、歩くより泳いだ方が楽と考えた葵は平泳ぎで海を進む。
「赤ちゃ~ん! マジ助かる~!」
乃亜の前まで泳いでいった葵は泳ぎを止めて両足を海底につく。現在の場所は肩の下ほどの水深だった。
(ここも両足がつく深さだから海に入れば戻れそうだけど……綾音さん、一人で不安だったのかな?)
葵は乃亜が座っているハート型の浮き輪が流されないように両手でしっかりと掴む。
「――お待たせしました。不知火さん達に言われて助けに来ましたけど……ここ足つきますよ? 二人は綾音さんが自力で戻って来られないと言っていましたが、泳げなくても戻れそうですが……」
つい疑問を口にしてしまった葵に対し、乃亜は申し訳なさそうに自分の髪を指差した。
「いや、髪濡れるのマジ無理で、その……赤ちゃん呼んだの」
「えっ? か、髪……ですか?」
葵が思わず乃亜の髪に視線を移す。
浮き輪の上に両足を投げ出した格好で座っている乃亜はできるだけ体を後ろに倒さない姿勢をキープしており、後ろ髪が垂れて海面につかないようにロングヘアを片手で握ってひとつにまとめ、肩の上から体の前に持ってきている。
「ほら海水ってさ、濡れると髪がベトついてギシギシになるじゃん?」
「それが嫌で、海に入れないと……」
「そうなの! 今、髪結ぶやつ持ってないし、海入って顔が濡れたらメイク崩れるし! だから莉里奈に連絡して、赤ちゃん呼んだの」
ふと葵が乃亜の手元に目をやると、防水ケースに入ったスマホを持っている。
(なるほど、スマホで連絡を取ったのか。それにしても……髪や顔を濡らしたくないから、浮き輪から動けなかったとは……)
疑問が解けた葵は納得し、乃亜が乗った浮き輪を改めて掴み直す。
「それでは砂浜まで引っ張っていきますね。落ちないように掴まっていて下さい」
「赤ちゃん、わがまま言ってマジごめん……」
「気にしないで下さい。綾音さんの気持ちもよく分かりますので」
両足はつくため、海底の砂を踏みしめながら葵は乃亜が乗った浮き輪を引っ張り、莉里奈と星羅が待つ浅瀬まで戻った。
「ヤバかった~! 赤ちゃんのおかげで助かったし!」
「マジ焦ったわ。ちょい目を離しただけであんなに流されるんだな」
「バブたん、さすが~!」
「お役に立てて光栄です……」
葵は浮き輪に乗った乃亜を引っ張ってきただけであるため、感謝されるほどのことはしていない。
(そう言えば、綾音さん達って砂浜や浅瀬で写真を撮るところしか見ていないな。海水浴に来たけど、海で泳いだりはしない感じなのか? さっきも顔や髪が濡れたくないと言っていたし……)
「――赤ちゃん、ありがと! マジ助かった!」
「い、いいえ……そんな大したことはしていませんので……」
「乃亜、髪濡れなかった?」
「大丈夫そう。てか沖の方って波が高いし、浮き輪ひっくり返らないかガチ心配した!」
「綾音さん……さっき自力で戻れなかったのは、足がつく深さでも髪が濡れてしまうからだとは分かりましたが、もし俺がいなかったらどうしていたんですか?」
「そりゃ……諦めて海に入る! そーでもしないと、沖まで流されちゃうし」
(最悪の事態にならないように髪を濡らす覚悟はあるみたいで良かった……髪も大事だけど、命の方がもっと大事だし)
「まあ最悪、髪は洗えるけどメイク崩れるのはマジ勘弁」
「それな! マスカラとか粉系は流れるし、ウォータープルーフも摩擦に弱いからな」
「崩れたらマジ悲惨だし……。乃亜も眉とかリップはやっぱティント?」
「もち! 海やプールでマスカラ選ぶなら、ウォータープルーフと摩擦に強いスマッジプルーフとか? フィルムマスカラとかにじみにつよつよだけど~、まつ毛下がりやすいかも」
メイクについて語る乃亜達の会話に葵はついていけなかったが、裏で様々な努力をしているのだと感服する。
莉里奈達とメイクの話で盛り上がっていた乃亜だが、ふと何かを思い出すと会話を中断して葵の背後に回った。
「ど、どうかしたんですか? 俺の背中に何かついていますか!?」
「やっぱり! いやさ、さっき赤ちゃんに浮き輪引っ張ってもらってる時、背中見たら赤くなってたのが気になってさ~」
「うわっ!? マジじゃん!」
「えぇ……これ日焼け? 赤ちん、日焼け止め塗ってないな~」
乃亜と一緒に葵の背中を確認し、莉里奈と星羅は思わず顔を引きつらせてドン引きする。
「一応、塗ってきましたが……背中は塗りにくくて、手の届く範囲しか塗れていません」
「マジか~。赤ちゃん、ラッシュ(ガード)とか持ってきた?」
「ラッシュ?」
「ラッシュガードのこと」
「いいえ、ないです……」
「とりま、パラソルのとこ戻ろ。日焼け止め塗ってあげる」
乃亜は葵の腕を掴むと、先導するように腕をグイグイと引っ張っていく。
(わっ!? 綾音さんの手が直に触れて!?)
乃亜は特に意識していないが、葵は腕を掴まれただけで心臓の鼓動が早くなった。




