第65話 記憶って、つくれちゃう?
呆気に取られる紅愛の前で乃亜はバツが悪そうにしている。
「綾音さん。妹さんが壊す前から壊れていたというのはどういうことですか?」
「実は二週間ぐらい前……部屋の掃除してる時に、棚の上にあったフィギュアに肘が当たって倒しちゃったの。慌てて起こしたけど、足の裏にある支柱が台座からポッキリ折れてさ、ガチ焦って接着剤で修理したわけ」
乃亜が真相を語ると緊張していた紅愛の全身から力が抜け、その場に座り込んだまま胸を撫で下ろす。
「な、なんだ……私が壊したわけじゃなかったんだ……」
「そーなの。紅愛がフィギュアを倒しちゃったのは偶然だけど、あたしの修理が不十分でまた壊れたっぽい」
乃亜が真相を話して「あはは」と自虐的に笑い飛ばしたことにより、紅愛を包み込んでいた不安と重苦しい雰囲気は全て消えてしまった。
「そういうことですか。妹さんはとても悩んでいたので安心しました」
予想とは違った結末だったが、姉妹の仲が悪くならなかったことに葵も安堵する。
「でもさ~、フィギュアを壊したからって、見ず知らずの赤ちゃんに頼るほどじゃなくない? ふつーにあたしへ謝れば良かったわけじゃん?」
なぜそこまで必死になり、駄女神アンヌのフィギュアを元の状態に戻そうと紅愛が行動していたのか、乃亜には全く理解できなかった。
回答を求めるように紅愛へ視線を送る乃亜だったが、過去の一件でトラウマになっている紅愛は言い出せずに口ごもってしまい、助けを求めるように隣にいる葵へチラチラと視線を送る。
紅愛からのアイコンタクトでヘルプを受け取った葵は無言でうなずく。
「綾音さん、俺が代わりに話します。二人が小さい頃、綾音さんがカプセルトイで集めていたミニフィギュアのシークレットキャラを妹さんが誤って踏んで壊してしまい、綾音さんがとても激怒した経験があり、直接言い出しづらかったそうなんです」
「――乃亜姉、フィギュアのことかなり好きでしょ? またあの時みたいに怒鳴られると思ったら怖くなっちゃって……」
ためらっていた紅愛だったが言葉を振り絞り、葵の説明に寄り添う形で自分の心情を打ち明ける。
葵と紅愛の言葉を乃亜は終始黙ったまま聞いていた。腕を組み、何かを考え込むように視線を落とす。
お互いに無言の時間が流れる中、ふと顔を上げた乃亜は眉をひそめ、不思議そうに首を傾げた。
「――マ? 全然覚えてない」
あまりにもあっけない返事に葵と紅愛は呆然となる。
張り詰めていた空気はまるで糸が切れたように緩み、二人は顔を見合わせることすらできず、ただ乃亜を見つめるしかなかった。
「ええっ!? う、嘘でしょ!? 乃亜姉、あの時……このことは一生忘れないって怒鳴ったじゃない!」
「そうだっけ? 紅愛となんかあった記憶は薄っすらとあるけど……覚えてるのは、あれだけやっても出なかったシークレットキャラをママが一発で出したことぐらい?」
「――わ、私の心に刻まれたあの時のつらい記憶は、一体何だったの……?」
「どうやら一発で出たシークレットキャラの印象が強くて、妹さんとのことは綾音さんの記憶からすっぽり抜け落ちていたみたいですね……」
小さい頃のフィギュアに関する一件は、紅愛にとってちょっとしたトラウマになるほど強烈な思い出だったようだが、乃亜にとっては壊れたフィギュアがすぐに戻って帳消しになっていた。
「なんか紅愛を誤解させちゃったみたいだし、マジ謝る!」
「何かもう、どうでも良くなっちゃった……」
紅愛は乃亜が過去の一件を今も覚えており、心の底ではずっと根に持っていると思っていた。しかし当人はほとんど覚えておらず、今回のフィギュア破損の件も紅愛が誤ってフィギュアを倒してしまったとはいえ、実際には先に乃亜が壊しており、修理が不十分で再び壊れてしまったという結末だった。
姉妹の仲が一時的に悪くなった過去の出来事を紅愛はずっと引きずっていたが、乃亜が当時のことを何も覚えていなかったことが判明し、ようやく過去のしがらみから解放されて気持ちが楽になる。
「妹さん。色々ありましたが、無事に問題が解決して良かったですね」
「はい。赤千谷さんにはとてもお世話になりました」
事態が丸く収まって葵はこの場をしめるが、すっくと立ち上がった乃亜が無言で葵の前に行くと、不意に葵の手を掴んで両手で握り締める。
「あ、綾音さん!?」
「――まだ解決してない!」
「えっ?」
「赤ちゃん……壊れた駄女神アンヌたんのフィギュア、元に戻してー!」
手を握られて何事かと焦った葵だったが、乃亜の一言で我に返る。
「赤千谷さん! 私からもお願いします!」
(そ、そうだった……色々あって忘れていたけど、妹さんからもフィギュアの修理を頼まれていたんだ……)
まだ仕事が残っていたことを思い出し、葵はすぐに承知する。
「ねえ赤ちゃん。修理ってどれくらい掛かる?」
「そうですね……これぐらいでしたら、一時間以内には終わりますよ」
「マ!? じゃあ、今日中にやれちゃう感じ?」
乃亜はスマホを見る。修理に時間が掛かりそうな場合、今日のところは引き上げるつもりだったが、日が長くなったこともあり日没はいくらか遅い。
「まだ時間あるし、赤ちゃんが修理するとこ見ても良い? 今後の参考にもなるし」
「俺は構いませんよ。それでは作業部屋に移動しましょうか」
「紅愛も行くよ、ほら!」
「う、うん……」
乃亜に連れられた紅愛は葵とともに、廊下を挟んでリビングの向かい側にある作業部屋に移動した。




