第56話 訪問者って、つくれちゃう?
日曜日の朝。近くのコンビニで買い物を済ませた葵は帰り道の途中で空を見上げる。空は薄い雲に覆われ、湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつく。
(今日も湿度が高いなぁ……塗装には不向きな天気だ)
自宅マンションに戻る葵はコンビニが近所ということもあり、黒の上下スウェットにサンダルという部屋着のままだ。
いつものように自宅マンションの五階でエレベーターから降りた葵だったが、ふと何かに気付いて足が止まってしまう。
外廊下の奥――葵の部屋の前には、ストレートの黒髪をミディアムほどの長さに伸ばした一人の少女がポツンと立っていた。
(――えっ? 部屋の前に誰かいる!? 誰だろう……知らない顔だ……)
エレベーターの前で立ち止まっているわけにもいかず、外廊下を歩いて一番奥にある角部屋に向かうが、視線の先で立ち尽くす黒髪少女が一体誰なのか、葵には皆目見当が付かなかった。
人の気配に気付き、振り向いた黒髪少女は接近する葵を警戒するように横目でチラ見する。
(もしかして……部屋を間違えているのか?)
ついに部屋の前まで進んだ葵は、黒髪少女の顔をまじまじと見るが知り合いではなく、退路を塞がれた黒髪少女も困って狼狽え始めた。
「あの……うちに何か用でしょうか?」
部屋の前に居座られても困るため、葵は黒髪少女に声を掛ける。
「えっ!? えっと……あの、すみません……ここって、〝赤なんとかあおい〟さんの家でしょうか?」
葵とは体格差もあるせいか、黒髪少女は怯えた様子で声を振り絞る。
(赤なんとかあおいって……俺のこと? 赤なんとかはともかく、下の名前まで知っているみたいだけど……どこかで会ったことあるかな?)
葵は記憶を辿るが、目の前にいる黒髪少女に心当たりはない。
相手は細身で身長は165センチほど。同年代ではあるが少し幼い顔つきから年下に見えた。服装はグレー系のアソートTシャツ、黒のティアードスカートに白のスニーカーを履き、肩から掛けた白いバッグと手には紙袋を持っている。
葵と対面した黒髪少女は緊張を隠せず、目も合わせることができなくて視線を泳がせている。
「赤なんとかって……もしかして赤千谷ですか? 俺は赤千谷という名前ですけど」
葵が名字を名乗ると、聞き覚えがあってピンときたのか黒髪少女の顔から不安が薄れる。
「そ、それです! あかちやさんでした! 名前をうろ覚えですみません……」
「別に構いませんよ」
(この子、俺を訪ねてきたのか? でも全然知らない子だけど……)
「それで……うちに何か用ですか?」
「は、はい! あおいさんはいらっしゃいますか? あおいさんに用があって来ました」
「あおい……葵は俺ですけど、どこかで会いましたっけ?」
「えっ?」
葵が名前を打ち明けると、黒髪少女は真顔のまま固まってしまった。
「俺は赤千谷葵と言います。ここは俺の部屋ですが、もしかして部屋を間違えていませんか?」
「えっ……あおいって、女の人じゃなかったんですか!? そ、そんな……ええっ!?」
黒髪少女はその場で慌てふためきながら、頭を抱えてしまう。
「たまに間違えられることはありますけど……」
「す、すみません……私、女の人かと思ってました……」
「そうでしたか。でも、どうして俺の名前を知っているんですか? 住所や部屋番号まで知っているみたいですけど、初対面ですよね?」
「そ、それはその……えっと、私……綾音と言います」
「綾音って……もしかして綾音さん――綾音乃亜さんのご家族ですか?」
「そうです! 乃亜は私の姉です!」
(そう言えば、綾音さん……妹がいるとか言っていたな)
以前、乃亜が話していたことを葵は思い出す。
姉の名前が出たおかげか、混乱気味だった黒髪少女は少し落ち着いた。
「綾音さんの妹さん……もしかして、俺のことは綾音さんから聞いたんですか?」
黒髪少女は肯定するように首をブンブンと縦に振る。
(綾音さん、家族に俺のことを話していたのか……。なぜか自宅まで知られているけど、何かあった時のために家族へ伝えているとか?)
葵は一人暮らしであるため、乃亜が訪問している時は二人きりだ。もちろん葵にやましい気持ちなどはなく、あくまでアマチュア原型師として乃亜と向き合っているだけだ。
(それにしても妹さん……綾音さんとは印象が間逆だ。仲が良いと聞いていたから、てっきり姉妹でギャルだと思っていたけど、全然違った)
勝手な想像は良くないと葵は心の中で反省する。
お互いに素性が判明したところで、葵は改めて用件を尋ねる。
「それで……今日は俺に何の用があったんですか? それとも綾音さんから何か用事を頼まれているとか?」
顔や名前さえも知らない乃亜の妹がたった一人で、なぜ自宅マンションを直接訪れたのか葵には理由が分からなかった。
乃亜の妹は名前から葵を女性だと思い込んでいたせいか、男性だと分かってまだ動揺している。いくら姉の知り合いとは言え、葵と同様に乃亜の妹も全くの初対面なのだ。
まだ用件を話せそうにない乃亜の妹を見兼ね、葵はある提案をする。
「あの、妹さん。ここで立ち話も何ですから、どこか別の場所で用件を聞いても良いですか?」
「えっ!? あっ、はい……大丈夫です」
「近くに公園はありますが……雨が心配ですね」
葵はマンションの外廊下から曇り空を見上げる。今は梅雨の真っ只中であり、本日の関東地方の天気は曇りで降水確率は30パーセントと、折りたたみ傘があると安心な予報だ。
「それでは……ファミレスとかどうでしょうか? 駅の側にありましたよね?」
乃亜の妹から提案されて葵もうなずく。
「ファミレスなら雨が降っても大丈夫ですね。ちょっと荷物置いて着替えてきます」
上下スウェット姿でコンビニ袋を下げたままの葵は少し待つように伝え、一旦部屋に入った。
葵は近所のコンビニ程度なら部屋着である上下スウェットで出掛けるものの、ファミレスは自宅から少し距離があって駅の側でもあるため、さすがに着替えることにした。
コンビニで買った荷物を置き、黒のTシャツとカーキーのパンツに着替えた葵はショルダーバッグにスマホや財布などを入れ、玄関でスニーカーを履くと外に出る。
「――お待たせしました。それでは行きましょうか」
「はい……」
未だに緊張している乃亜の妹を連れ、葵は自宅マンションから徒歩で行ける駅近くのファミレスに向かう。
先を歩く葵は平静を装っているものの、まだ女性慣れしていないこともあって緊張しており、相手が乃亜の妹ともなると余計に気を使う。
ファミレスに着くと待つこともなく、二人用の席に案内される。ランチ前の十一時頃からは混雑し始めるものの、まだ混雑前であったため、店内は空いており客も少ない。
「ドリンクバー単品だと割高なので、セットがオススメみたいですね」
「じゃあ……デザートのセットにします」
タブレットで注文後、ドリンクバーで飲み物を選んで席に戻った葵は乃亜の妹の緊張をほぐそうと自己紹介する。
「――改めまして。俺は赤千谷葵です。綾音さんとは同じクラスで最近友達になりまして、仲良くさせてもらっています」
葵に続いて乃亜の妹も遠慮がちに口を開く。
「私は綾音紅愛と言います。今は中学二年です」
「綾音さんから、妹がいるとは聞いていました」
「うちでも乃亜姉が赤千谷さんのことをよく話してますよ。とても頼りになる人だって自慢してました」
「そ、そうなんですね」
乃亜に実力を認められていることが素直にうれしい葵だったが、紅愛のことが目に留まり、浮かれていた意識を切り替える。
改めて自己紹介も終わり、葵は紅愛から用件を聞き出す。
「――妹さん、今日は俺に用があったみたいですが、用件を話して頂けますか?」
まだ少し緊張した様子だが、葵を前にして後戻りすることもできず、わざわざ自宅を訪ねた経緯を紅愛は話し始めた――。




