第46話 新たな朝って、つくれちゃう?
翌日の土曜日。昨晩は寝付けなかったせいか、葵が目を覚ましたのは午前九時前だった。
普段ならスマホでセットしているアラームが午前六時半に鳴るはずだが、葵が枕元のスマホを確認すると電源が切れていることに気付く。
「――し、しまった……昨日充電するの、忘れていた……」
昨夜の時点でスマホのバッテリー残量が10パーセントを切っており、充電するつもりでいた葵だったが、乃亜と過ごした思い出ばかりが頭に浮かび続け、スマホの充電に気が回らなかった。
ベッドから下りた葵は充電器にスマホを繋ぎ、上下スウェットのまま部屋から廊下に出たところで玄関のインターホンが鳴る。
(……朝から誰だろう? 綾音さんとの約束はないし、宅配もなかったはず……)
リビングに向かい、葵はモニター付きのインターホンで訪問者を確認するが、予想外の光景に思わず目を疑う。なんと玄関前に立っていたのは私服姿の乃亜だった。
「あ、綾音さん!? 何でウチに……?」
モニター越しの乃亜は再びインターホンを鳴らすと、不安そうな表情で玄関ドアを見つめる。
予期していなかった事態に葵は慌てふためくが、ひとまず状況を確認しようとインターホンにある通話ボタンを押す。
「は、はい! えっと……綾音さんですよね?」
『赤ちゃん!? よ、良かったぁ~、無事だった……』
「無事? えーと、はい? それはどういう――」
『今、大丈夫!? 開けてもらっても良い!?』
約束もないのに乃亜がなぜ訪ねて来たのか葵には疑問だったが、「すぐに開けます」と伝えて通話を切ると玄関に急ぐ。
解錠して玄関ドアを開けると、そこには白のラウンドネックリブ仕立ての長袖Tシャツにブルーのスリムフィットデニム、白のスニーカーという格好の乃亜が不安そうな顔で立っており、葵を見るなり安堵した表情を見せる。
「おはようございます……今日はどうされました?」
玄関に招き入れた葵はひとまず挨拶するが、乃亜は開口一番「マジ心配したんだから!」と怒った様子で告げる。
「し、心配……ですか?」
「だって赤ちゃん、昨日の夜からずっと連絡取れないじゃん!」
「えっ? 連絡……でも、綾音さんのミンスタに〝いいね〟して……」
「その後! ミンスタでDMしても返信ないし、相談したいことあったからLIMEの方で送ったけど既読つかないし……心配になって電話したら、全然繋がらなくて――」
「……あっ!?」
葵はスマホの充電が切れていたことを思い出すと、すぐに乃亜へ事情を話す。
「――なーんだ、スマホのバッテリー切れかぁ……」
「心配掛けてすみません。もしかして……今日家に来たのも――」
「そう! 朝になっても返信なくて既読つかないし、電話にも出ないからさ、赤ちゃんに何かあったと思って急いで来たの」
乃亜が自宅マンションを訪ねてきた理由は分かったものの、一晩連絡がつかないだけでそんなに心配するものなのかと葵は不思議に思った。
「あ、あの綾音さん……何で俺のこと、そんなに心配してくれたんですか?」
疑問が晴れなかった葵は思い切ってストレートに尋ねてみる。
「えっ? だって昨日の帰り際……なんか赤ちゃんテンション低くてさ、なんか表情が優れない時もあったし、どっか体調悪いのかもって思ったわけ」
(昨日……ま、まさか!? 無意識に寂しい気持ちが顔に出ていた!?)
作業部屋で過ごす乃亜との秘密の関係が終わることに葵は寂しさを感じ、そのことを乃亜に悟られないよう表情に出したつもりはなかった。
しかし、一か月半をともに過ごした乃亜から見れば、葵の様子は普段とどこか違っており、平静を装っているものの、ふとした時に浮かない表情が出ることを見ていた。
「あ、あれは……な、何でもないんです! 体調も悪くないですし、元気いっぱいです!」
「なんか、目の下にクマあるけど?」
「こ、これは……ちょっと寝不足なだけです」
乃亜と過ごしたガレキ製作の日々が忘れられず、頭に浮かんで寝付けなかったとはさすがに葵も言えなかった。
「と、ところで! さっき相談したいことがあるとか言われていませんでした?」
これ以上ツッコまれるとボロが出ると思い、葵は無理やり話題を変える。
「そうだった! 赤ちゃんのことですっかり忘れてた!」
乃亜はデニムパンツのポケットからスマホを取り出し、ある写真を葵に見せた。
「これ! 実は見習い天使たんとは別に、もう一個ガレキ買ってたんだけど……」
「そ、そうなんですね」
乃亜が見せたスマホの画面には、ガレージキットの足パーツらしきものが写っていた。
「昨日、見習い天使たんのミンスタ用写真撮ってる時、もう一個買ってたガレキのこと思い出してさ~」
「綾音さん……そのガレキ、パーツチェックはやりましたか?」
「もち! なるはやだったから、一か月半前に見習い天使たんのパーツチェックやった時、家に帰ってすぐ済ませたし」
「それなら問題ないですね。パーツは揃っていましたか?」
「欠品はなかったけどさ、なんかどのパーツも表面にブツブツがあるんだけど」
乃亜が撮った足パーツの写真を確認していた葵は迷うことなく即答する。
「これはサポート材の跡に見えますね。3Dプリンターで出力したガレージキットではないですか? 3Dプリンターにもいくつか種類がありますが、一般的には光造形方式のものですかね。光造形式の3Dプリンターは紫外線硬化樹脂を使って造形し、出力する造形物の支柱や足場がサポート材になります」
「サポート材?」
「はい。以前お話した通り、一般的なレジンキットはシリコン型にレジンを流し込んで複製して作りますが、3Dプリンターは紫外線で硬化するUVレジンを積層……つまり地層のように積み重ねてパーツを出力するため、その支柱や足場としてサポート材という構造物も一緒に作られてしまいます。プラモデルでいうとランナーにあたる部分ですね」
「それじゃ、表面のブツブツって不良品じゃないわけ?」
「この写真を見る限り、表面にあるブツブツはサポート材の跡と思われます。このキットは事前にサポート材を除去してありますが、サポート材がそのまま残っているキットなどもありますよ」
「そっか~。3Dプリンターだからなのか」
相談内容は解決したものの、なぜか乃亜の視線は葵の顔とスマホの画面を行ったり来たりしており、どこか落ち着つかない様子だ。
「あのさ、赤ちゃんが良ければなんだけど……また作業部屋でガレキ作っても良い?」
普段から臆することなくズバズバと話す乃亜だが、今日に限ってはどこか言いにくそうに葵の様子をうかがう。
「えっ?」
そんな乃亜の何気ない一言が耳に届いた瞬間、昨晩から葵の頭の中にまとわりついて離れなかった寂しさが、まるで霧でも晴れるようにすっかり消え失せる。
張り詰めていた心が一気に緩み、気が付けば葵の重く沈んでいた気持ちは驚くほど軽くなっていて、胸のつかえが取れたような解放感が体の内側に広がっていく。
「――やっぱ、ダメかな? ごめん……あたしのわがままだよね。赤ちゃんには一通り教わったし、分かんないことは自分で調べろって感じだよね」
ダメ元で頼みはしたものの、乃亜は「忘れて」と一言呟いて自虐的に笑うが、葵の返事はすでに決まっていた。
「俺は大歓迎です! 綾音さんがまたガレキに挑戦するなら、俺もアドバイスします!」
葵は自分の正直な気持ちをはっきりと乃亜に伝えた。
「マジで? 嘘っ、めっちゃうれしい! でもさ、作業工程は大体分かるから不安なとこだけお願い! 赤ちゃんの作業や勉強の邪魔したくないから!」
「分かりました。不安なことは何でも聞いて下さい。できる限りサポートしますので」
「ほんと助かる! 自分ちじゃ作業に集中できないし」
葵から了承の言葉をもらった瞬間、乃亜の表情がふっと緩むと張り詰めていた空気が解け、安堵して笑みがこぼれ落ちた。
乃亜は不意に両手を伸ばし、一切の躊躇もなく衝動的に葵の右手を包み込んだ。突発的なことに葵が目を白黒させていると、乃亜は指先に力を込めてぎゅっと握り締める。
「――赤ちゃん! 迷惑掛けるかもだけど、またお世話になるね。これからもよろ~!」
乃亜が見せた満面の笑みは、まるで明るい太陽のようにその場の空気を明るく照らす。
屈託のないその表情に引き込まれ、葵の頬も緩んで自然に笑みがこぼれていた。
「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします」
直に触れている乃亜の手から伝わる、柔らかな感触と陽だまりのような温もりを意識して葵の胸は小さく高鳴る。
だが葵は、その胸の高鳴りをどこか心地良く感じていた。それは緊張だけでなく期待感や高揚感も混じっていたからだ。
そして何より、これまでと同じように作業部屋での秘密の関係がこの先も途切れることなく続いていくと思うと、その事実が葵の胸の奥にじんわりと広がり、言葉にしきれないほどのうれしさとなって静かに満ちていった。




