第35話 洗浄って、つくれちゃう?
肩の揉み合いをしている場合ではなかったため、葵はすぐ片付けの説明に入る。
「エアブラシの片付けですが、カップに残った塗料はスペアボトルに戻してコンプレッサーの電源を切ります。電源をオフにしてもコンプレッサーの内部には圧力が掛かっていますので、エアブラシのトリガーボタンを押して開放し、圧力を抜きます。それから本体や、レギュレーターの水抜きに溜まった水も抜いておきます」
葵も作業を手伝いながら乃亜は片付けを始める。
「今回は一色しか使いませんでしたが本番ではパーツごとに何色も使うため、塗料の色を変更する時や作業を終了する場合、その都度エアブラシをメンテナンスしないといけません」
「エアブラシってさ、めっちゃきれいに塗れるけど、なんか面倒なこと多くない?」
「こればっかりは仕方ありませんね。でもエアブラシに限らず、道具を使った後はきれいにすることが長持ちして、使用中のトラブルを防ぐことにもなる大事な作業です」
乃亜はスペアボトルに塗料を移し終えた後、エアブラシのカップ内に残った塗料をティッシュペーパーで拭き取り、カップに薄め液を入れて洗浄のためにエアブラシのうがいをする。
エアブラシの内部から出てきた塗料を拭き取り、カップの底に残った塗料は綿棒を使ってきれいに拭き取った。
再びカップの中に薄め液を入れた乃亜はティッシュペーバーに吹きつけ、色が出なくなって透明になるまで、同じ作業を繰り返す。
「――空拭きして色が透明なら、ノズル内がきれいになったということです。新しい色を使う時は今の作業の後、新しい塗料を入れます」
「大事なことだけどさ……やってみると、めっちゃ大変だよね」
今日は作業を終えるため、ノズルとニードルキャップ、ニードル先端も洗浄してメンテナンスを終えた。
片付けや洗浄などで時間が押してしまい、すっかり外が暗くなってしまったため、葵は乃亜を駅まで送ることにした。
「――なんか覚えることめっちゃ多いけどさ、いよいよ塗装まできたかぁ~って、なるよね」
いよいよガレージキット製作も、最後の工程となる塗装を残すところまで来た。
「でも、しばらく作業できないのが残念ですね」
やる気になっていた乃亜だったが、葵の一言に出鼻をくじかれて立ち止まる。
「はっ? なんで? 赤ちゃん……来週予定あるとか?」
「二週間後には中間テストもありますし、綾音さんもテスト勉強で忙しいかと思いまして……」
「――えっ?」
「えっ?」
真顔でキョトンとしている乃亜に対し、葵は「中間テストが――」と言葉を繰り返す。
「え、待って。中間テスト!? そんなの聞いてないし!」
「四月に配布された年間行事予定表にも書いてありますし、この前の授業で先生も言っていましたよね?」
まるで、今まさに中間テストの存在を知ったような乃亜の反応に葵は戸惑ってしまう。
「マジか。テストのこと、ガチ忘れてた……」
ガレージキット製作が完成に近付いて心躍っていた乃亜のテンションはガタ落ちし、絵に書いたように肩を落とす。
「……ねえ、赤ちゃんもテスト勉強するの?」
「もちろんやりますよ。でも授業を聞いていれば、時間を掛けて勉強しなくてもテストの問題って解けますよね?」
「はっ?」
まるで当然と言わんばかりに話す葵のことが、乃亜はちょっと理解できなかった。
「え、待って。赤ちゃんって……天才なの?」
「違いますけど……」
「だってさ、授業聞いてるだけでテスト解けちゃうんでしょ?」
「そうですね……中学生の時、テスト前はノートや教科書を見返すだけで、平均点より20点以上は取れていました。でも高校からは科目も増えましたし、中学の時みたいにいくかは分かりませんので、しっかりとテスト勉強するつもりです」
余裕そうな葵に対し、なぜか乃亜は自分ひとりだけ、枠の外に取り残されているような疎外感を覚える。
「……あ、赤ちゃん――」
「何ですか?」
葵が振り向いた瞬間、腕を伸ばした乃亜が葵の右手を取ると、両手で包み込むようにしてギュッと握り締める。
「――あたしに勉強教えてくれない!?」
葵の意識は頼み事よりも、乃亜が握ってきた右手に集中していたため、反応が一瞬だけ遅れた。
「……えっ? 勉強を、ですか?」
「そう! 高校に入ったらさ、科目めっちゃ増えてマジ無理って感じだし、一人でテスト勉強とかやれる自信ない!」
言い切ってしまった乃亜に何か言おうとした葵だったが、上目遣いしながら涙で潤んだ大きな瞳で訴えかける困り顔が胸に刺さり、葵は思わず口をつぐむ。
先程の肩揉みとは違い、乃亜の素手からは人肌の温もりと、きめ細やかでマシュマロのように柔らかい肌の感触がダイレクトに伝わって葵は動揺してしまった。
(や、やばい! 緊張と焦りで手汗が! ど、どうすれば――)
ここで、葵はふと思い出す。
(こんな光景、前にも一度見たぞ。あれは……そうだ、綾音さんからガレージキット製作の手伝いを頼まれた時だ……)
以前も乃亜から困りごとを解決すべく懇願されてしまい、頼みを断りきれずに受けてしまった。今回も同じようなシチュエーションであり、以前と同様に困り果てた乃亜を見捨てることはできず、葵は了承する。
「ほんと!? ヤバい! マジありがと!」
「い、いいえ……。でもガレキ製作と同じで、勉強も教えたことないので、上手く教えられるか分かりません」
「余裕だって! だって赤ちゃん、ガレキの教え方とか超上手いし、勉強もガチでいける――……って、なんかあたし……赤ちゃんに頼ってばっかじゃん……」
さすがの乃亜もここにきて、葵に頼り過ぎていることを自覚し、ガレージキット製作と同様に迷惑を掛けることになるのではと、どこか負い目を感じてしまった。
「俺は……頼りにしてもらえるのは、うれしいです。もちろん自分の能力以上のことはできませんが、それでも良ければ構いませんよ」
「――そう? いや、そっか……あたしも甘えるばっかじゃなくて、マジ頑張るから!」
葵に頼ることは否定しないが、頼るからには中途半端にならないように乃亜も覚悟を見せる。
「じゃあさ、勉強会どこでやる?」
「そうですね……綾音さんが良ければガレキ製作と同じように、うちのマンションを使っても構いませんよ」
「マ!? それ助かる~。自分ちだとさ、色々誘惑あるじゃん? 課題しよーと思ったらさ、いつの間にかスマホでメイク動画とか観ててさ、いやマジでビビったわ」
「それは……また別の問題のような気もしますが……」
「まあ帰る方向一緒だし、赤ちゃんとこなら放課後も寄れるしね」
こうして葵と乃亜は、中間テストに向けて一緒に勉強会することを約束した。




