第2話 放課後って、つくれちゃう?
朝のホームルーム前に告げられた乃亜の一言が、授業の間も葵の頭から離れなかった。それは考えるまでもなく、昨日の放課後に見られてしまった美少女フィギュアの件である。
普段は聞き耳など立てない葵だが、今日に限っては乃亜が昨日見たことを他の誰かに話してしまうのではないかと気が気でなく、特に休み時間は乃亜の会話に集中してしまう。
心配する葵に反して乃亜は昨日見たことを誰にも話す様子はなく、友人のギャル二人と眉のことやマツエクは何を使っているかなど、普段と変わらずメイクやコスメ、ファッションに関する話題で盛り上がっている。
午後になっても乃亜が昨日のことを言いふらす気配は微塵もなく、葵の不安は少し軽くなるが、今度は朝一番に言われた放課後の用件に対しての不安がのしかかって来る。
昨日のことで放課後に用がある――ということは、美少女フィギュアの件であると断言できるが、一体どんな話を持ちかけられるのかと、葵は悶々とする。
葵は他人に知られたくないフィギュア趣味を乃亜に握られている状態だ。考えられるのは、美少女フィギュアが好きなことを他人にバラされたくなければ、これから毎日私に金を貢げ――と脅されるのではないかという、妄想も含んだ考えに至る。
葵は乃亜のことはよく知らないものの、ギャル=ヤンキーという短絡的な想像で一方的な結論を出してしまう。漫画やアニメに〝オタクに優しいギャル〟なるものが登場するが、そんなものは幻想で現実に存在しないと葵は分かっている。
どうしても欲しいものがある葵は現在お金を貯めており、お金を巻き上げられたら困るので、乃亜との約束を破って逃げようと決断した。
乃亜の席は葵から見て右側の二つ隣だ。教室から出るには乃亜の後ろを通らないといけない。懸念すべき点はそこだけであり、夕方のホームルームが終わった瞬間に席を立ち、教室から脱出できたら追ってくる乃亜のことを振り切れる自信があった。
葵は根っからのインドア派で、小さい頃から休日も必要な時以外は自宅に籠もる生活を続けている。
中学生になってからは運動不足を解消するため、室内で運動できるフィットネスバイクを購入すると、ペダルに一番負荷を掛けた高強度状態で、毎日一時間は漕いでいるので脚力だけには自信があるのだ。
幸いにも今日は金曜日であり、放課後を乗り切れば土日がやって来る。無事に放課後を乗り切った後、週末の間に乃亜から見逃してもらうための策を葵は練る考えだ。
葵はいくつか案を思いついたものの、今は放課後を乗り切ることだけを考える。
その日の授業が終わってホームルームが始まる前、葵はあらかじめ荷物をスクールバッグに詰めて帰るだけの状態で夕方のホームルームを迎えた。
担任の教師が連絡事項など伝えて順調に進み、ついにホームルームが終わる。その瞬間を待っていた葵は席を立とうとしたが、それよりも早く二つ隣の席から椅子を引く音が響いた。
(――さ、先を越された!?)
なんと葵よりも先に席を立ったのは乃亜だった。すでに乃亜はスクールバッグを持っていつでも動ける状態だ。
わずかの差で出遅れてしまった葵は心の中で終わったと絶望するが、なぜか乃亜は葵に背を向けて歩き出す。
「――莉里奈、星羅。マジごめ~ん! 用事できたから先帰るわ」
教室にいる友人達に一声掛けた乃亜は、誰よりも先に教室から出ていってしまった。
「あれ~? 乃亜って今日バイト?」
「どうだろ。まあ用事とか言ってたし、二人だけでカラオケ行くかー」
乃亜の予定は友人達も聞いていなかったことを葵は知る。
予想外のことに葵は呆気に取られてしまい、乃亜が消えていった教室の扉を黙って眺めていた。
(あれ!? 綾音さん……俺に用があるとか言っていたのに帰っちゃった?)
出遅れて完全に詰んだと考えていた葵だが、乃亜が帰って心に余裕ができた。
(綾音さん……用事ができたとか言っていたし、急用で俺どころじゃなくなったのかも)
乃亜の方から何の意思表示もなくドタキャンされてしまったが、葵は不幸中の幸いだと胸を撫で下ろす。
約束を取り付けた本人が先に帰宅してしまい、急いで帰る必要もなくなった葵はいつものように教室に残ってスマホを見ながら時間を潰す。
放課になると、部活に向かう者や帰宅者などで校舎内が生徒であふれかえるため、混雑を避ける意味でも、普段から葵は教室を出る時間をずらしていた。
掃除時間が始まる前、席を立った葵は誰もいなくなった教室を後にして昇降口に向かう。
何とか一日を凌いで葵はホッとするが、根本的な問題はまだ片付いていないことを思い出す。億劫な気持ちになりながら階段を下りていると、急に背後から腕を掴まれた。
葵がギョッとして振り返ると、なんとそこには先に帰ったはずの乃亜が立っていた。
「えっ!?」
突然の展開に葵の思考が追いつくはずもなく、振り返った状態のまま固まってしまう。
「――今日はマジ逃さないから!」
「も、もしかして……俺が帰るのをずっと待っていたんですか!?」
「そーだけど? 廊下の奥に隠れて待ってた」
「な、何で……。それに綾音さん、用があるとか言って先に帰ったはずでは?」
「あれは嘘~! 赤千谷くん、ホームルーム終わったらそっこーで逃げ――いや、帰りそうな感じだったし、相手を油断させるための演技的な?」
乃亜に行動が読まれていたことを知った葵は愕然とする。
「そ、それで待ち伏せを……」
「待ち伏せつーか、赤千谷くんさぁ、いつもすぐに帰らないじゃん? なんか今日はあたしのこと避けてたっぽいし、昨日みたいに逃げられたらヤバいと思って先に帰るふりしたの」
(綾音さん……俺がみんなより少し遅れて帰るのを知っていたのか……それに勘も良いみたいだし……)
昨日のフィギュア画像とは別に、前々から目をつけられていたのかも知れないと葵は絶望に苛まれるが、乃亜は放課後の教室にひとりで残っていた葵を何度か見かけていただけであり、特に深い意味はなかった。
「とりま、人が来ないとこ行こっか。放課後なら人少ないし、二人きりで話せるよねー」
呆然と立ち尽くす葵に構うことなく、乃亜は腕をグイグイと引っ張って校舎の上階に向かう。
葵はその気になれば乃亜の手を振り払って逃げ出すこともできたが、ここまで執拗に絡んで来られたら、逃げてもまた追い詰められると諦めておとなしく乃亜の後に従った。




