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優しさの先に見えた物

 マーニュが住処に戻った時には既にスラムも静寂に包まれており、虫の鳴き声が透き通るように響いていた。一目散に姉が待つその場所へと駆ける少女の瞳には希望が写っていた。スラムすらも輝きで満たせるような、そんな光だった。


「ただいま、おねえちゃん!!」


 見慣れた布で覆われた中を覗き込み、夜だということを忘れるような元気な帰りの挨拶がこだました。しかしそのこだまに返事はない。


「おねえちゃん、帰ったよ?」


 恐る恐る中をしっかり覗くマーニュ。光を頼りに走っていたため暗闇に目が慣れず、少し時間をかけて目を慣らしていくとそこにはぐったりと倒れ伏すイヴの姿があった。


「おねえちゃんッ!?」


 驚いて姉のもとに駆け寄るマーニュだったが、彼女の目でも一目瞭然なほどイヴは衰弱しきっていた。傷の数もついさっきとは比べ物にならないほどであり、脇腹の傷は開くどころか二倍、三倍の大きさになっておりもうドス黒い闇のようなもので服が染まっていた。もはや正常な箇所はなく唯一マーニュが確認できたのはまだ辛うじて息があるということだった。


「どうしたのおねえちゃん、何があったの!?」


「……マーニュ、おかえ、り」


 もはや真紅の瞳は輝きを失いどこか不思議なところを見つめていた。どうやっても視線が合わないマーニュは必死にイヴの顔を覗き込み、痛々しい傷の数々に表情を歪める。


「早かった、ね、マーニュ……おねえちゃん、びっくりした、よ――」


「――なんで、どうして……」


 今までも何度かイヴがわざとマーニュを遠ざけ、一人酷い仕打ちを被るということはあった。しかし今回はあまりに悲惨な事態に陥っていた。いつもはイヴが隠してマーニュが気づかない程度のものだったのだ。それが今回は息も絶え絶えになるほどの生死に関わるレベルに至っていたのだ。


 マーニュは慌てて積んできた花々をイヴの目の前に広げた。でもイヴの目がその花を捉えることはなく、マーニュは思わず嗚咽を漏らした。


「お、ねえちゃ、んッ!!」


「マーニュ、持ってきてくれたんだね……ここに、黄色の花がたくさん、あ、あるんだね……」


「そうだよッ、ここにいっぱい!! 私たくさん取ってきたんだから、ほら、こんなに……!!」


 マーニュは両手で花をすくい取り、イヴの頭の上まで持って行き花を振り落とした。ひらひらと花弁が舞うその光景は儚くも美しかった。しかし、イヴは言葉を発するに発せず、押し殺すように嗚咽を潰して


「ごめんね……おねえちゃん、ちょっと疲れて、視界がぼやけちゃって――」


「誰が、誰がこんなことを……どうして」


 マーニュの握る手は酷く冷たく、そして弱りきっていた。ついさっきまで握り合っていたはずなのに、今はマーニュの手が握ってもイヴの手に反応がない。かすかに震えて痙攣を繰り返すだけだ。


 マーニュはそこで、慌てふためいていたせいで忘れていたことを思い出した。全ての傷を癒すという、万能な薬の入った瓶のことを。


「おねえちゃんッ、私ね、いいもの買ってきたの!! 私ちゃんとお花持ってきたから、おねえちゃん私のお願い事を聞かなきゃいけないんだから!!」


「……マーニュ?」


 マーニュは大事に手にとった瓶をなるべく月明かりに照らすようにしてイヴの目の前に持っていった。薄緑色に染まったその液体をイヴは朧ろな瞳で見据える。


「これね、おねえちゃんの痛いところを全部直しちゃうお薬なんだ!! すごいでしょ? 私にとって一番大切なのはおねえちゃんだから、だからねッ、お薬をね、飲んで欲しいんだ!! 私のお願い、聞かなきゃダメ……だから、ね」


「ッ………………本当に、どうして……なんで」


 マーニュは姉の言葉を聞く前に瓶の蓋を取り去り、たった一口で終わってしまうほど少量の液体をイヴの口元に注いだ。その時もイヴはどこかよく分からないところを見つめており、両の手は動かず、その無色の瞳から透き通った雫がこぼれ落ちていた。


「あのお金は全部おねえちゃんのために使うって決めてたから、でも、使ったら怒られるから、だから、私のお願い、早く元気になって欲しいから、元気になってもっとたくさんお話して、遊んで、いろいろなこと教えて欲しいからッ、だから――」


 薬は全てイヴの口の中に流れていった。喉が動いてその薬であるはずの物を全身へと運んでいった。マーニュはもう自分が何を言っているのかよく分からなくなりながら、必死にイヴの手を握っていた。その口から【もう痛くない、元気になったよ】という言葉が聞けるのを今か今かと待っていた。


 だけど、聞こえてきたのは別の言葉だった。


「なんで……そん、なに良い子に、なっちゃったんだ、ろうね……」


「え……?」


 イヴは泣いていた。そして笑っていた。いつもマーニュが見ていた姉の優しい笑顔だった。どんなに悲しいことや辛いことがあっても、全て吹き飛ばしてくれるような、そんな笑顔だった。


「おねえ、ちゃん……なに、も、して……あげられなかった……のに、どうし、て、そんなに、思いやりの、ある……良い子に……」


「何、何を言っているのおねえちゃん!! もう痛くないでしょ、元気になったでしょ?」


 マーニュの声を聞くたびに、イヴはとめどない涙をあふれさせていた。それがマーニュにはよく分からなかった。痛くて泣いているのか、治った喜びで泣いているのか、どうしておねえちゃんが反省するような言葉を言っているのか、ひとつもわからなかった。


 そして何故か、マーニュは突然理解してしまった。理解しようともしていないのに、そもそもそんなことありえないのに、降って湧いたように、無から有が生まれるように、それが当たり前であるかのように、現実が突き詰められるように。


 ――私は独りになってしまう。


「マーニュ……あなたは、独りでも強く生きていける……私確信したの……私がいなくても、きっと生きていける……」


「そ、そんなこと……」


 そんなことない、おねえちゃんがいないと私悲しくて生きていくことなんてできない。

 

 そう、言おうとして口が開いた。だけど音が出なかった。空気だけがひゅうひゅうと唸り、大粒の涙が量の瞳に溜まっていく。


 一人で生きていくことなんてできないのに、おねえちゃんと一緒にいたいのに、そう言うことができない。


 そう言ってしまえば、おねえちゃんが悲しむから。


「う、うぅうぅあぁああ、だ、大丈夫、だ、よ……私、強いから……独りでも、大丈夫だもん」


 そんなわけあるはずがなかった。一人なんて絶対に嫌だった。そもそも一人になんてならないんだ、おねえちゃんはさっきの薬で良くなってまた一緒にアクセサリーを買ったり、一日の出来事を話し合って笑い合ったり、一つのパンを分けあって家族の暖かさを感じたりするんだ。


 そう思っているのに、何故かもう独りになってしまうという現実を受け止めなければ行けない、その現実が目の前にあることを体のどこかで理解している自分がいて、そのことにマーニュは自分の体を引き裂いてしまいたいほどにもがき苦しんだ。


「お薬……効いてきて、なんだか楽な気分だよ、マーニュ……ありがとう、おねえちゃん、マーニュに何もしてあげられなかったけど、一緒にいられてすごく幸せだったんだよ……もっと、したいことだって、たくさんあったんだけど……」


「おねえちゃん、おねえちゃんッ!!」


「それは、また、今度かな……また何もしてあげられないけど、許してね……」


「嫌だぁああっ、嫌だよおおぉッ!! お願い聞いてくれるって言ったもんっ、一緒にまた元気に暮らしたいよぉおッ、イヴおねえちゃんッ!!」






【マーニュ、強く、生きて。こんなおねえちゃんの分まで、強く】





「あぁ―――――――――――ぁ」


 マーニュが握っていたイヴの手が、ほんの少しだけ握り返された。イヴの爪がマーニュの肌に軽く触れ、そして力なく崩れ落ちた。


 最後まで、イヴはマーニュの姉であり続けた。意識が消えるその最期の時まで、妹を思う姉であり続けた。


 そして最後の最後。意識が消えて、全身から力が抜けたとき。姉として有り続けた意識が消えたイヴの体はその一瞬で彼女が言えなかった言外の思いをどうにかマーニュに伝えた。おそらく、イヴはそれを知られたくはなかっただろう。最後までマーニュの良き姉で有り続けようとしたのだから。


 だけどイヴの体は、マーニュのその思いを伝えることを選択したのだった。


 最後の刹那、マーニュは握り返してきた姉の指から思いを受け取った。姉が妹に隠し通した最後の言葉。






【もっと一緒に生きたかった】





「…………もうこんな×××、××××だ」


 


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