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第九十六話 研究者への招待状

悪役令嬢は愛されている


第九十六話 研究者への招待状


王国歴三百二十八年、四月二十二日。


王立魔法学院。


「返してください」


少女は、そう言った。


目の前にいるのは、一人の少年。


ノエルだった。


「……エルナ」


「私の魔力を、返してください」


二人の間には、机が一つ。


その上には、二枚の魔力測定記録が置かれていた。


一枚には、増加した数値。


もう一枚には、減少した数値。


「……ごめん」


ノエルは俯いた。


「僕も、返したいんだ」


「だったら!」


エルナの声が大きくなる。


「返してください!」


「……どうすればいいのか、分からないんだよ」


沈黙。


エルナは、唇を噛んだ。


そして。


「……ごめんなさい」


小さく呟いた。


「あなたが悪いわけじゃないって、分かってる」


ノエルは答えなかった。


「……でも」


少女は、自分の手を見つめた。


「私、魔法が得意だったの」


「……うん」


「大した才能じゃないけど、それでも、ずっと練習して……」


声が震える。


「……やっと、できるようになったことがあったのに」


ノエルは、何も言えなかった。


彼には、魔力がなかった。


だから、彼女が何を失ったのか、正確には分からない。


ただ。


自分がずっと欲しかったものを。


彼女が失ってしまったことだけは、分かっていた。


◇


「……何をしているの?」


教室の入り口から、声がした。


エリザベートだった。


その後ろには、フィオナとクラリス。


三人は、魔法工学の資料を運んでいるところだった。


「……エリザベート様」


ノエルが顔を上げる。


「こんにちは!」


少女は、机の上の紙を見た。


「……あら?」


そして。


「まだ、元に戻っていないの?」


エルナが、小さく頷いた。


「……はい」


「そうなの」


エリザベートは、少し考えた。


そして、フィオナを見た。


「ねえ、フィオナ」


「はい?」


「魔力って、返せないの?」


「……返せると思います」


「まあ!」


「ただ……」


フィオナは、二枚の記録を見つめた。


「どの魔力が、誰のものだったのかを調べないといけません」


「……そうなの?」


「はい。今ある魔力を、そのまま移せばいいわけじゃないんです」


ノエルが顔を上げた。


「……僕の魔力を、全部あげても駄目なの?」


フィオナは首を振った。


「それだと、今度はあなたが魔法を使えなくなるかもしれない」


「……それでも」


ノエルは、小さく答えた。


「僕は、いいよ」


エルナが顔を上げる。


「……ノエル」


「だって、もともと使えなかったんだから」


少年は、笑おうとした。


しかし。


うまく笑えなかった。


◇


「……駄目よ」


エリザベートが言った。


ノエルが振り返る。


「……え?」


「あなたまで困ってしまうのでしょう?」


「……でも」


「それなら、元に戻ったことにならないじゃない」


エリザベートは、二人を交互に見た。


そして。


「……難しいわね」


首を傾げた。


「一人がよくなったら、一人が困るなんて」


クラリスが、小さく頷いた。


「そうね」


「でも、作った人なら分かるんじゃない?」


フィオナが答えた。


「……研究会館には、詳しい記録があるかもしれません」


「でしょう!」


エリザベートは、嬉しそうに笑った。


「だったら、その人に聞きましょう!」


「……ガルドさんに?」


「ええ!」


エリザベートは頷いた。


そして。


「せっかくだから、学院へ来てもらいましょう!」


「……え?」


フィオナは、目を瞬かせた。


「……どうしてですか?」


「だって!」


エリザベートは、当然のように答えた。


「私たち、魔法を勉強しているのでしょう?」


「……はい」


「なら、作った本人から教わった方が分かりやすいじゃない!」


◇


午前十一時。


学院長室。


「……ガルド様を、学院へ?」


マリアンヌは、エリザベートの話を聞いていた。


「そうよ!」


「講義をお願いしたい、ということでしょうか」


「ええ!」


エリザベートは頷いた。


「私、あの人の魔法装置について知りたいの!」


「……なるほど」


「だって、すごいのでしょう?」


「優秀な研究者でいらっしゃいます」


「でしょう!」


エリザベートは、満足そうに笑った。


「それなら、皆さんもお話を聞きたいと思うわ!」


マリアンヌは、少し考えた。


そして。


「……承知いたしました」


静かに頷いた。


「正式な講義としてではなく、今回の事故について説明していただく場を設けましょう」


「まあ!」


「ただし、研究内容の確認が必要でございます」


「お願いね!」


少女は、嬉しそうに立ち上がった。


そして、部屋を出ていった。


マリアンヌは、その背中を見送った。


やがて。


机の引き出しから、一通の書類を取り出す。


王都魔法管理局から届いた、研究会館への調査要請書だった。


そこには、ガルドの研究に関する詳細な報告を求める文章が記されている。


マリアンヌは、静かに微笑んだ。


「……ちょうど、よろしいかもしれませんね」


◇


同日、正午。


王都中央研究会館。


「……学院で、説明会?」


ガルドは、届けられた手紙を読んでいた。


差出人は、マリアンヌ学院長。


その下には、もう一つ名前があった。


エリザベート・フォン・アルヴェイン。


「……なるほど」


男は、小さく笑った。


「私に、研究を説明してほしいと」


助手が尋ねる。


「……お断りになりますか?」


「なぜ?」


「……今回の事故について、厳しい質問が出ると思われます」


「当然だろう」


ガルドは、静かに答えた。


「私の研究によって、実際に被害が出ているのだから」


「……では」


「説明する義務はある」


男は、手紙を机へ置いた。


そして。


「……それに」


少しだけ、微笑んだ。


「私の研究に、興味を持ってくれた人間がいる」


助手は、目を瞬かせた。


「……はい」


「それを断る理由はないだろう」


ガルドは、椅子から立ち上がった。


「返事を書こう」


◇


午後一時。


王都中央研究会館。


地下第二研究室。


「……久しぶりだな」


ガルドは、扉の前に立つ老人を見つめていた。


オスカー・ベルンハルト。


元学院長。


そして。


かつて、ともに研究を進めた男だった。


「……ガルド」


オスカーは、静かに口を開いた。


「話がある」


「だろうね」


ガルドは、椅子を勧めた。


「座りたまえ」


「必要ない」


「……そうか」


男は、小さく笑った。


「昔から、そういうところは変わらないな」


オスカーは答えなかった。


そして。


「研究を、再開したのだな」


ガルドは頷いた。


「ああ」


「……なぜだ」


「なぜ?」


ガルドは、少し不思議そうに尋ねた。


「研究者が研究することに、理由が必要かい?」


「……我々は、約束したはずだ」


「そうだね」


ガルドは、静かに頷いた。


「君が学院長である間は、あの設備を利用しない」


「…………」


「約束は守ったよ」


オスカーは、唇を結んだ。


「……学院長を辞めたからといって」


「分かっている」


ガルドは、途中で遮った。


「君が自分の意思で辞めたわけではないことくらい」


「…………」


「だが、あの契約は君個人とのものではない。学院の管理権限を持つ君とのものだった」


オスカーは、静かに目を閉じた。


「……私は」


小さく呟いた。


「もう、研究は終わったものだと思っていた」


「そうだろうね」


「……だから」


「だから、後任には何も伝えなかった」


ガルドは、静かに笑った。


「君らしいよ」


オスカーは、顔を上げた。


「……どういう意味だ」


「自分で終わらせたことは、世界でも終わったことになると思っている」


「…………」


「昔から、そうだった」


◇


「……研究を止めろ」


オスカーが言った。


ガルドは答えなかった。


「これ以上、犠牲者を出してはいけない」


「犠牲者?」


ガルドは首を傾げた。


「誰のことだい?」


「……分かっているはずだ」


「もちろん、今回の実験で不利益を受けた人々がいることは理解している」


「…………」


「だから、私は回復方法を研究している」


オスカーは、机を叩いた。


「それを、何度繰り返すつもりだ!」


沈黙。


ガルドは、しばらく老人を見つめていた。


そして。


「……オスカー」


静かに尋ねた。


「君は、昔のことを覚えているかい?」


「…………」


「初めて、魔力を外部から供給できた日のことだ」


オスカーは答えなかった。


ガルドは続けた。


「君は、泣いていた」


「……やめろ」


「本当に、嬉しそうだった」


「やめろと言っている!」


老人の声が、研究室に響いた。


ガルドは、黙った。


長い沈黙。


そして。


「……そうだね」


小さく頷いた。


「もう、昔の話だ」


◇


「……あの子に、何をした」


オスカーが尋ねた。


ガルドは、顔を上げた。


「……誰のことだい?」


「分かっているだろう」


「…………」


「ノエルだ」


ガルドは、しばらく黙っていた。


そして。


「……彼は、自分の意思で研究に参加した」


静かに答えた。


「魔法を使えるようになりたかったんだ」


「……それは」


「君が、誰よりも知っているはずだ」


オスカーは、何も言わなかった。


ガルドは続けた。


「彼は、君の息子なのだから」


沈黙。


地下研究室には、装置の動作音だけが響いていた。


「……返してくれ」


オスカーが呟いた。


「……何を?」


「……あの子を、元に戻してくれ」


ガルドは、静かに答えた。


「研究を続ければ、可能になるかもしれない」


「…………」


「だが、今はまだ完成していない」


オスカーは、拳を握りしめた。


「……なら、研究を止めろ」


「止めれば、彼の身体に残った回路について調べることもできなくなる」


「…………」


「それでもいいのかい?」


オスカーは、答えられなかった。


ガルドは、机の上に一枚の紙を置いた。


ノエルの魔力回路の記録だった。


「現在、彼の身体に形成された回路は安定している」


「……ああ」


「外部への接続も遮断された」


「…………」


「だが、身体の内部に作られた回路そのものは、まだ残っている」


オスカーは、その紙を見つめた。


「……君なら分かるだろう」


ガルドは、静かに続けた。


「無理に取り除けば、どうなるか」


長い沈黙。


そして。


オスカーは、ゆっくりと目を閉じた。


◇


午後三時。


王立魔法学院。


「……ええっ!?」


フィオナは、掲示板を見つめていた。


『特別説明会』


『講師:ガルド・レイス』


『内容:魔力供給技術と今回の事故について』


「……本当に来るんですか!?」


「そうよ!」


エリザベートが、嬉しそうに答えた。


「楽しみね!」


「……はい!」


フィオナは、目を輝かせた。


「私、聞きたいことがたくさんあります!」


「まあ!」


エリザベートは笑った。


「私もよ!」


「……何を聞くんですか?」


「魔法装置の作り方!」


「…………」


フィオナは、少し考えた。


そして。


「……それは、私も聞きたいです」


二人は笑い合った。


その隣で。


クラリスが、掲示板を見つめていた。


「……でも」


小さく呟く。


「事故を起こした研究者を、学院に呼ぶのね」


「……そうだね」


フィオナが頷いた。


「……大丈夫なのかな」


そのとき。


「大丈夫だろ」


アレクシスが、後ろから声をかけた。


「……どうして?」


クラリスが尋ねる。


アレクシスは、当然のように答えた。


「学院長がいるんだぞ」


「…………」


「何かあっても、どうにでもなるだろ」


クラリスは、少し考えた。


そして。


「……そうね」


小さく笑った。


しかし。


エリザベートは、少し不思議そうな顔をしていた。


「……ねえ」


「何だよ」


アレクシスが振り返る。


「何かあったら、困るんじゃない?」


「……は?」


「だって、せっかく来てくださるのに!」


「…………」


「楽しくお勉強したいじゃない!」


アレクシスは、しばらく少女を見つめていた。


そして。


「……お前なあ」


深いため息をついた。


◇


午後四時。


学院医務室。


ノエルは、窓の外を見つめていた。


その隣には、エルナ。


そして、カイもいた。


三人とも、昨日より体調はよくなっている。


しかし。


まだ、元の状態には戻っていなかった。


「……ねえ」


エルナが口を開いた。


「何?」


ノエルが振り返る。


「……説明会、行く?」


ノエルは、少し考えた。


「……うん」


「……怖くないの?」


「……怖いよ」


少年は、正直に答えた。


「でも」


右手を見つめた。


「……聞かなきゃいけないことがあるから」


エルナは、小さく頷いた。


「……そうね」


そのとき。


カイが口を開いた。


「……俺は、聞かない」


二人が振り返った。


「……どうして?」


カイは、少し考えた。


そして。


「……だって」


小さく笑った。


「研究者の話なんか、もう聞きたくないから」


ノエルは、何も言わなかった。


エルナも、黙った。


三人は、同じ研究に参加した。


同じ装置を使った。


同じように、魔法を使えるようになりたかった。


しかし。


今、三人が考えていることは。


もう、同じではなかった。


◇


その夜。


王都中央研究会館。


ガルドは、講義の準備をしていた。


机の上には、何枚もの資料。


魔力の外部供給。


術式の構築。


人体への影響。


そして、研究の将来性。


助手が尋ねた。


「……これほど詳しく説明されるのですか?」


「当然だろう」


ガルドは答えた。


「相手は、魔法を学ぶ生徒たちだ」


「……はい」


「正確な知識を伝えなければ、研究者として失格だ」


助手は、少し笑った。


「……ガルド様らしいですね」


「そうかい?」


「はい」


ガルドは、静かに微笑んだ。


そして。


「……君は」


小さく尋ねた。


「魔法を使えるようになった人間を、見たことがあるかい?」


助手は頷いた。


「……はい」


「……どうだった?」


「……とても、喜んでいました」


「そうだろう」


ガルドは、目を細めた。


「私も、見たことがある」


その声は、穏やかだった。


「初めて魔法を使えた人間は、本当に嬉しそうに笑うんだ」


「……はい」


「まるで、世界が変わったような顔をする」


男は、窓の外を見た。


そして。


「……あの顔を」


小さく呟いた。


「もう一度、見たいんだ」


助手は、微笑んだ。


「……きっと、見られますよ」


ガルドは、静かに頷いた。


「……そうだね」


しかし。


その後。


男は、一枚の資料を取り出した。


昨日の事故に関する報告書だった。


そこには、二人の名前が記されている。


マリアンヌ。


そして、エリザベート。


ガルドは、その文字を見つめた。


長い間。


じっと。


そして。


静かに資料を閉じた。


◇


翌朝。


王立魔法学院。


大講堂。


「……すごい人ね!」


エリザベートは、客席を見渡していた。


大勢の生徒が集まっている。


魔法を使える者。


使えない者。


そして、今回の事故に巻き込まれた者たち。


みんな、同じ場所に座っていた。


「……楽しみね!」


フィオナが頷いた。


「はい!」


そのとき。


舞台の袖から、一人の男が現れた。


ガルド・レイス。


白衣をまとい、資料を手にしている。


彼は、客席を見渡した。


そして。


ゆっくりと、頭を下げた。


「……本日は、お招きいただきありがとうございます」


講堂が静まり返った。


ガルドは、微笑んだ。


「まず、皆さんに一つ質問をしたいと思います」


黒板に、文字を書く。


『魔法』


そして。


「……皆さんは、魔法を使えますか?」


客席が、ざわめいた。


ガルドは続けた。


「使える方も、使えない方もいらっしゃるでしょう」


「…………」


「では、もう一つ」


男は、ゆっくりと振り返った。


そして。


「魔法を使えない方は、使えるようになりたいと思いますか?」


講堂が、静かになった。


そのとき。


一人の生徒が、手を挙げた。


ノエルだった。


「……はい」


小さな声だった。


しかし、確かに聞こえた。


「……僕は、使えるようになりたいです」


ガルドは、静かに微笑んだ。


「……そうですか」


そして。


「ありがとうございます」


深く頭を下げた。


その姿を。


オスカー・ベルンハルトは、講堂の最後列から見つめていた。


――第九十六話・完

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