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第九十二話 三人目の被験者

悪役令嬢は愛されている


第九十二話 三人目の被験者


王国歴三百二十八年、四月十九日。


王都中央研究会館。


「まあ!」


エリザベート・フォン・アルヴェインは、建物を見上げて歓声を上げた。


「ずいぶん立派なところね!」


白い大理石の壁。


天へ伸びる尖塔。


無数の窓には魔法による装飾が施され、建物全体が淡い光を放っている。


「王国でも有数の研究施設でございます」


マリアンヌが答えた。


「そうなの!」


「はい」


「だったら、何でも作れるのかしら!」


「研究分野によりますが、多くの優秀な研究者が在籍しております」


「まあ!」


エリザベートは嬉しそうに笑った。


その後ろで、フィオナが緊張した面持ちで建物を見つめていた。


「……すごい」


小さく呟く。


彼女にとって、この場所は憧れだった。


王国最高峰の魔法工学者が集まる研究施設。


いつか、ここで働きたい。


そう願ったこともある。


しかし。


今日は、研究者として訪れたわけではない。


「……行こう」


ルークが声をかけた。


フィオナは頷いた。


「……うん」


一行は、研究会館の扉をくぐった。


◇


「ようこそ、お越しくださいました」


白衣を着た男が、深く頭を下げた。


ガルド・レイス。


《黎明の塔》の研究責任者だった。


「アルヴェイン公爵令嬢、そしてマリアンヌ学院長。お会いできて光栄です」


「こんにちは!」


エリザベートは元気よく挨拶した。


「あなたが魔法装置を作った人?」


「ええ。正確には、私の研究班が製作いたしました」


「そうなの!」


少女は目を輝かせた。


「私、魔法装置を作りたいの!」


「ほう」


ガルドは興味深そうに微笑んだ。


「それは素晴らしい」


「でしょう!」


「どのような装置を?」


「何でもできる装置よ!」


「…………」


ガルドは、しばらく黙った。


そして。


「……実に壮大な研究ですね」


「そうなの!」


エリザベートは満足そうに頷いた。


その隣で、マリアンヌが静かに口を開いた。


「本日は、三名の生徒に生じた異常について確認に参りました」


「もちろんです」


ガルドは笑みを崩さなかった。


「すべて、ご説明いたしましょう」


◇


案内されたのは、広い展示室だった。


壁には無数の魔法装置が並んでいる。


空中に浮かぶ時計。


水を生み出す小さな箱。


触れるだけで文字を書き写す羽根ペン。


そして。


部屋の中央には、一本の杖が置かれていた。


「……これは?」


フィオナが尋ねた。


ガルドが答える。


「魔力を持たない人間でも、魔法を使えるようにする装置です」


「……え?」


フィオナの目が大きく開かれた。


「そんなことが……」


「可能です」


ガルドは杖を手に取った。


「魔法を使うためには、魔力が必要です。ですが、その魔力が必ずしも術者本人のものである必要はありません」


杖の先端に、小さな炎が灯った。


「外部から魔力を供給すれば、魔力量の少ない人間でも強力な魔法を扱える」


ルークが腕を組んだ。


「……それって、魔法石を使う道具と何が違うんだ?」


「よい質問ですね」


ガルドは頷いた。


「通常の魔法装置は、あらかじめ決められた術式を発動させます」


「……ああ」


「しかし、この杖は使用者が任意の術式を選択できます」


フィオナが息を呑んだ。


「……つまり」


「ええ」


ガルドは微笑んだ。


「魔力の少ない者でも、才能さえあれば一流の魔法使いになれる」


しばらく、誰も言葉を発しなかった。


その沈黙を破ったのは、エリザベートだった。


「まあ!」


少女は、杖を見つめた。


「それなら、私も使えるのかしら!」


「もちろんです」


「素敵ね!」


ガルドは満足そうに頷いた。


しかし。


「……でも」


エリザベートは首を傾げた。


「魔力は、どこから持ってくるの?」


ガルドの笑みが、わずかに止まった。


「……外部の供給装置からです」


「そうなの?」


「はい」


「その装置には、誰が魔力を入れるの?」


「……それを研究しております」


「ふうん」


エリザベートは納得した様子で頷いた。


「まだ完成していないのね!」


◇


次に案内されたのは、地下の研究室だった。


巨大な魔法陣が床一面に刻まれている。


天井からは、何本もの金属製の柱が下りていた。


部屋の中央には、三つの椅子。


「こちらで検査を行います」


ガルドが告げた。


ノエルが、少し怯えた表情を浮かべた。


エルナも、唇を結んでいる。


そして。


三人目の生徒。


カイは、無言で椅子を見つめていた。


「……座ればいいんですか?」


ノエルが尋ねた。


「ええ。ただし、今回は魔力を供給する必要はありません」


ガルドは穏やかに答えた。


「状態を確認するだけです」


「……分かりました」


ノエルは、椅子へ向かった。


しかし。


「お待ちください」


マリアンヌが声をかけた。


「何でしょう?」


「検査に使用する術式を、先に確認させていただけますか」


「……もちろんです」


ガルドは部下に指示した。


一枚の図面が運ばれてくる。


マリアンヌは目を通した。


「……なるほど」


静かに頷く。


「こちらは、魔力の流れを測定する装置ですね」


「その通りです」


「ですが」


マリアンヌは顔を上げた。


「すでに測定が始まっているようですが」


沈黙。


ガルドの笑みが消えた。


「……何のお話でしょう?」


「三名がこの建物に入ってから、地下の装置がそれぞれの魔力を追跡しております」


「…………」


「検査は、まだ始まっていないと伺いましたが」


ガルドは、しばらく黙っていた。


そして。


「……恐れ入りました」


小さく笑った。


「学院長には、隠し事ができませんね」


◇


「……どういうことですか?」


フィオナが尋ねた。


ガルドは答えた。


「彼らの身体には、前回の実験によって形成された魔力回路が残っています」


「……回路?」


「ええ」


男は、壁の装置を指さした。


そこには、三つの光が灯っていた。


赤。


青。


白。


「腕輪は、あくまで回路を形成するための道具だったのです」


「……じゃあ」


ノエルが声を震わせた。


「まだ、僕たちは……」


「接続されています」


ガルドは頷いた。


「ですが、ご安心ください。現在は魔力の移動を停止しております」


「…………」


セシリアが、一歩前に出た。


「それは、本人たちに説明されていたのですか?」


ガルドが振り返る。


「……何をでしょう?」


「装置を外した後も、身体に回路が残り続けることです」


「…………」


「そのような説明は、契約書にありませんでした」


セシリアは静かに続けた。


「私も、昨日確認しています」


ガルドは、少し考えた。


「……研究段階のため、すべての結果を予測することは困難です」


「それは、承知しています」


「……では」


「ですが」


セシリアは、まっすぐ男を見た。


「予測できないことと、説明しなくてよいことは、同じではありません」


ガルドは答えなかった。


その隣で。


エリザベートが、困ったように首を傾げていた。


「……ねえ」


全員が振り返る。


「その回路って、外せないの?」


ガルドは答えた。


「理論上は可能です」


「まあ!」


「ただし、慎重に処置しなければ、身体へ影響が及ぶ可能性があります」


「そうなの?」


「はい」


「だったら、慎重に外せばいいのね!」


ガルドは、小さく笑った。


「……簡単におっしゃいますね」


「ええ!」


エリザベートは、当然のように答えた。


「難しくても、やらなければいけないのでしょう?」


◇


そのときだった。


ぴしっ。


小さな音がした。


カイが、顔をしかめた。


「……っ」


「カイ?」


ノエルが振り返る。


少年は、右腕を押さえていた。


「……何だ、これ」


制服の袖口から、青白い光が漏れている。


「……腕輪は、もうないのに」


フィオナが息を呑んだ。


ガルドは、すぐに装置へ目を向けた。


三つの光。


そのうち、白い光だけが激しく点滅していた。


「……おかしいな」


男は、小さく呟いた。


「停止しているはずだが」


「……どうなっているんですか!?」


ノエルが叫ぶ。


カイは、膝をついた。


「……っ、あ……!」


その瞬間。


「離れて!」


マリアンヌの声が響いた。


床に刻まれた魔法陣が、青く輝いた。


同時に。


カイの身体から、無数の細い光が伸びた。


一つは、ノエルへ。


もう一つは、エルナへ。


そして。


残りは、部屋の奥へ。


「……え?」


フィオナは目を見開いた。


「……三人が、つながってる?」


ガルドは答えなかった。


ただ、装置を見つめていた。


◇


「……カイ!」


ルークが駆け寄ろうとした。


しかし。


「動かないでください」


マリアンヌが静かに告げた。


その声には、逆らう余地がなかった。


彼女は右手を上げた。


《連結》。


無数の術式が、空中に浮かび上がる。


床。


天井。


壁。


そして、研究室の外にある魔力回路。


別々に存在していたものが、一本の巨大な術式としてつながっていく。


ガルドの顔色が変わった。


「……何を」


マリアンヌは答えなかった。


彼女が指を動かす。


すると。


カイから伸びていた光が、次々と別の回路へ移された。


少年の身体を通っていた魔力が、研究室の設備へ流れ込む。


ごうっ!


装置が激しく振動した。


「……っ!」


ガルドは、慌てて制御盤へ向かった。


しかし。


その前に。


ぱきん。


魔法陣の光が消えた。


カイが、その場に倒れ込む。


「……カイ!」


ルークが駆け寄った。


セシリアも、すぐに治癒魔法を発動させる。


「……大丈夫です」


彼女は、少年の脈を確認した。


「意識があります!」


マリアンヌは静かに頷いた。


「それは何よりです」


そして。


ガルドへ向き直った。


「これで、外部への接続は遮断いたしました」


「…………」


「ただし」


マリアンヌは続けた。


「三名の身体に形成された回路は、まだ残っています」


ガルドは、ゆっくりと顔を上げた。


「……よく、お分かりですね」


「ええ」


「……ならば、その回路まで消すことの危険性も、ご理解いただけるでしょう」


「もちろんです」


マリアンヌは頷いた。


「ですから、身体内部の構造を正確に確認したうえで、元の状態へ戻します」


「…………」


「そのためにも」


彼女は微笑んだ。


「実験に使用した術式の、完全な記録をいただけますか」


◇


「……それは」


ガルドは、初めて言葉に詰まった。


「研究機密に関わります」


「左様でございますか」


マリアンヌは頷いた。


「では、王国の調査機関を通じて開示を求めることにいたしましょう」


「……学院長」


「はい」


「私は、研究を妨げたいわけではありません」


「存じております」


「……この技術が完成すれば、才能に恵まれなかった人々も魔法を使えるようになるのです」


フィオナが顔を上げた。


ガルドは続けた。


「魔力量が少ないという理由で、進学を諦める者がいる」


「…………」


「優れた術式を理解していても、実行する力が足りない者がいる」


フィオナは、黙って聞いていた。


その言葉は、彼女自身にも当てはまっていたからだ。


「……私は、その不公平をなくしたい」


ガルドは静かに言った。


「それだけです」


しばらく、誰も答えなかった。


そして。


「……だったら」


フィオナが口を開いた。


「どうして、あの三人なんですか?」


ガルドが振り返った。


「……何?」


「私、研究交流会で説明を聞きました」


「…………」


「魔力量を増やす実験だと、聞きました」


少女は、カイを見た。


まだ、セシリアの治療を受けている。


「でも、実際には人間の身体に回路を作って、別の人へ魔力を送っていたんですよね?」


「……そうだね」


「だったら」


フィオナは、まっすぐ顔を上げた。


「最初から、そう説明してくれればよかったじゃないですか」


ガルドは黙った。


「それでも参加したい人が、いたかもしれないのに」


「…………」


「私は、魔法装置を作るのが好きです」


フィオナは続けた。


「だから、あなたの研究がすごいことも分かります」


ガルドの表情が、わずかに動いた。


「……ですが」


フィオナは、小さく息を吸った。


「作ったものが何をするのか、使う人に教えないのは……嫌です」


◇


「……なるほど」


ガルドは、静かに頷いた。


「君の考えは理解したよ」


フィオナは答えなかった。


そのとき。


「ねえ!」


エリザベートが声を上げた。


「一つ、聞いてもいい?」


「……もちろんです」


ガルドは、少女へ向き直った。


「何でしょう?」


「あなた、魔法が使えるようになりたい人を助けたいのでしょう?」


「ええ」


「それなのに、魔法が使えなくなった人を作ってしまったのよね?」


「……残念ながら」


「そう」


エリザベートは頷いた。


「では、失敗ね!」


「…………」


ガルドは黙った。


少女は続けた。


「でも、失敗したなら、直せばいいのよ!」


「……それほど簡単な話ではありません」


「そうなの?」


「はい。研究には、時間と費用が必要です」


「まあ」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「……お金がないの?」


「…………」


「それなら、私が出してあげてもいいわよ!」


研究室が静まり返った。


ガルドは、目を見開いた。


「……何と?」


「だから、お金よ!」


エリザベートは、楽しそうに笑った。


「あなた、魔法装置を作るのが上手なのでしょう?」


「……ええ」


「私も作りたいの!」


「…………」


「だから、教えてもらう代わりに、お金を出してあげてもいいわ!」


ガルドは、しばらく少女を見つめていた。


そして。


ゆっくりと微笑んだ。


「……それは」


男は、頭を下げた。


「大変、光栄なお申し出です」


◇


「……お嬢様」


マリアンヌが静かに口を開いた。


「なあに?」


「研究費のご提供については、詳細を確認してからでもよろしいでしょうか」


「どうして?」


「研究内容によっては、お嬢様のお望みに沿わない可能性がございます」


「……そうなの?」


「はい」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「分かったわ!」


素直に頷いた。


「では、ちゃんと調べてちょうだい!」


「かしこまりました」


マリアンヌは深く頭を下げた。


その様子を。


ガルドは、静かに見つめていた。


アルヴェイン公爵家。


王国屈指の資産。


卓越した魔法技術。


そして。


目の前の少女は、研究に興味を示している。


男は、ほんの少しだけ笑った。


「……ぜひ、前向きにご検討いただければ」


「ええ!」


エリザベートは元気よく答えた。


「でも、その前に!」


「……何でしょう?」


少女は、ノエルたちを指さした。


「この三人を、ちゃんと元に戻してちょうだい!」


「…………」


「だって、あなたが作った装置なのでしょう?」


ガルドは、答えなかった。


エリザベートは続けた。


「自分で作ったものの後始末くらい、自分でしなければ!」


その言葉に。


ガルドの笑みが、ゆっくりと消えた。


◇


同日、午後五時。


《黎明の塔》地下研究室。


「……まさか、アルヴェイン公爵家から研究費の話が出るとは」


助手が呟いた。


ガルドは、机に向かっていた。


「……そうだね」


「いかがなさいますか?」


「検討しよう」


「……ですが、学院長が研究記録の提出を求めています」


「分かっている」


ガルドは頷いた。


「提出すれば、我々の研究内容が明らかになります」


「……そうですね」


「それに、あの三人の接続も遮断されてしまいました」


ガルドは答えなかった。


ただ、一枚の紙を取り出した。


そこには、今日の実験結果が記録されていた。


『外部接続遮断』


『供給回路停止』


『被験者三名、生存』


そして。


最後の項目。


『接続解除に使用された術式』


ガルドは、その項目を見つめた。


「……見事だった」


小さく呟いた。


「マリアンヌ学院長ですか?」


「ああ」


男は頷いた。


「三人の身体を傷つけることなく、外部への接続だけを切断した」


「……はい」


「それも、我々が何年もかけて構築した術式を、ほんの数秒で組み替えてね」


助手は黙った。


ガルドは、静かに笑った。


「……世の中には、恐ろしい人間がいるものだ」


そして。


机の引き出しから、一冊の古い研究記録を取り出した。


表紙には、こう書かれている。


『魔力回路における個体間接続の研究』


その下に、別の名前が記されていた。


オスカー・ベルンハルト。


「……さて」


ガルドは、ゆっくりと本を開いた。


「彼は、どこまで知っていたのだろうね」


◇


同じ頃。


アルヴェイン公爵邸。


「……セバスチャン!」


「はい、お嬢様」


「私、研究所で面白いものを見たの!」


「左様でございますか」


「ええ!」


エリザベートは、嬉しそうに話し始めた。


魔法を使える杖。


巨大な魔法陣。


人間の魔力をつなぐ装置。


そして。


三人の生徒の話。


セバスチャンは、最後まで静かに聞いていた。


「……なるほど」


頷く。


「それで、お嬢様は研究費の提供をお申し出になったのですね」


「ええ!」


「……かしこまりました」


老執事は、静かに頭を下げた。


「必要な調査を進めてまいります」


「お願いね!」


「承知いたしました」


エリザベートは、満足そうに微笑んだ。


そして。


「……あ!」


何かを思い出したように声を上げた。


「どうなさいました?」


「私、あの杖を作ってみたいわ!」


「……外部から魔力を供給する杖でございますね」


「そうよ!」


「かしこまりました」


セバスチャンは頷いた。


「では、必要な資料をご用意いたします」


「ありがとう!」


少女は、嬉しそうに自室へ向かった。


その背中を見送り。


老執事は、静かに目を細めた。


「……魔力の外部供給、でございますか」


小さく呟く。


そして。


「……なるほど」


何かを思い出したように、微笑んだ。


「これは、少々懐かしいお話でございますね」


◇


王都中央研究会館。


地下第三研究室。


ガルドは、古い研究記録を読み進めていた。


数十年前の研究。


人間の魔力回路を、外部の装置へ接続する技術。


その最終頁には、一文だけが記されていた。


『本研究は、危険性を考慮し、以後の実験を凍結する』


ガルドは、静かに笑った。


「……凍結、か」


そして。


その下に書かれた、オスカーの署名を指でなぞった。


「……君は、何を恐れたんだろうね」


男は、研究記録を閉じた。


しかし。


その背後。


誰も操作していないはずの測定装置が。


小さく音を立てた。


ぴっ。


画面に、一つの数字が表示される。


『接続数 〇』


そして。


その数字が、一瞬だけ変わった。


『接続数 一』


ガルドは、ゆっくりと振り返った。


「…………」


装置の光が消える。


再び表示される数字。


『接続数 〇』


男は、しばらく画面を見つめていた。


そして。


「……なるほど」


小さく呟いた。


「まだ、終わっていなかったのか」


――第九十二話・完

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