第九十一話 増えたもの、減ったもの
悪役令嬢は愛されている
第九十一話 増えたもの、減ったもの
王国歴三百二十八年、四月十七日。
王立魔法学院。
一人の少年が、歓声に包まれていた。
「すげえ!」
「もう一回やってくれ!」
「ノエル、お前どうなってんだよ!」
少年の名はノエル。
昨日、魔力を吸い取る腕輪によって倒れた生徒だった。
そして今。
彼の右手には、青白い炎が浮かんでいた。
「……僕にも、分からないんだ」
ノエルは困惑していた。
炎は美しく、安定している。
それ自体は、初級魔法の一つにすぎない。
しかし。
「昨日まで、火種一つ作れなかったんだろ?」
「……うん」
「なのに、何でこんなことができるんだよ!」
ノエルは答えられなかった。
ただ一つ、分かっていることがある。
あの腕輪を外してから。
自分の中に、何かが増えていた。
◇
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「素敵ね!」
ノエルの手の上で、炎が踊る。
「ありがとうございます、エリザベート様」
「昨日は大変だったのに、今日はこんなことができるようになったのね!」
「……はい」
「よかったじゃない!」
その言葉に、ノエルは小さく笑った。
「……そうですね」
しかし。
その笑顔は、長く続かなかった。
「……ねえ」
クラリスが、廊下の向こうを見た。
「何かしら?」
「……あちら」
エリザベートが振り返る。
そこには、一人の少女がいた。
窓際に立ち、何度も両手を合わせている。
小さな光が生まれる。
しかし、すぐに消えてしまう。
また生まれる。
また消える。
「……どうして」
少女は呟いた。
「昨日まで、できていたのに」
◇
少女の名はエルナ。
昨日、ノエルと同じ研究に参加した三人のうちの一人だった。
「……魔法が、使えなくなったんです」
フィオナが、エルナの測定結果を見つめていた。
「使えなくなった?」
エリザベートが首を傾げる。
「はい」
エルナは俯いた。
「……全部ではないんです。でも、昨日まで普通に使えていた魔法が、今日はほとんど……」
「疲れているのではなくて?」
「……分かりません」
フィオナが口を開いた。
「昨日、腕輪を外した後に魔力量を測定したそうです」
「そうなの?」
「はい。その記録を先生から見せてもらいました」
フィオナは二枚の紙を並べた。
一枚には、ノエル。
もう一枚には、エルナ。
「……ノエルさんの魔力は、事故前より増えています」
「ええ!」
「でも、エルナさんは減っているんです」
エリザベートは紙を覗き込んだ。
「……本当ね」
「それで、もう一人の生徒は……」
フィオナは三枚目の紙を出した。
「ほとんど変わっていません」
クラリスが尋ねた。
「それは、どういうことなの?」
「……まだ、分かりません」
フィオナは答えた。
「ただ、私には一つ気になることがあります」
「なあに?」
「もし、魔力量が増えたんじゃなくて……」
そこで、フィオナは言葉を止めた。
エリザベートが首を傾げる。
「増えたんじゃなくて?」
「……誰かから移ったのだとしたら?」
◇
沈黙が落ちた。
ノエルが、自分の右手を見つめた。
「……僕の魔力が」
フィオナは頷いた。
「まだ、そう決まったわけではありません」
「……でも」
ノエルの声が震えた。
「僕が使えるようになった分だけ、エルナが使えなくなったなら……」
「……ノエル」
エルナが口を開いた。
「あなたが悪いわけじゃない」
「でも……!」
「私だって、自分で契約したのよ」
二人は黙り込んだ。
昨日まで、同じ研究に希望を抱いていた。
魔力が増える。
もっと強い魔法が使える。
才能がなくても、努力が報われる。
そんな話だった。
そして。
一人の願いだけが、叶ってしまった。
◇
「……変ね」
エリザベートが呟いた。
全員が振り返る。
「何がですか?」
フィオナが尋ねた。
「だって」
エリザベートは、ノエルとエルナを交互に見た。
「二人とも、魔力を増やしてもらうために参加したのでしょう?」
「……はい」
「なのに、一人は増えて、一人は減ったのよね?」
「はい」
「それって、失敗じゃない?」
フィオナは目を瞬かせた。
「……そう、ですね」
「だったら、元に戻してもらえばいいじゃない!」
エルナが顔を上げた。
「……元に?」
「ええ!」
エリザベートは当然のように頷いた。
「上手にできなかったのなら、作った人が直すべきでしょう?」
ノエルは、何も言わなかった。
ただ、拳を握りしめた。
エルナも、俯いたままだった。
そんな二人を見て。
エリザベートは、不思議そうに尋ねた。
「……どうして、誰も直してもらいに行かないの?」
◇
午後一時。
学院長室。
「……なるほど」
マリアンヌは、三人の測定記録を見つめていた。
その向かいには、フィオナとエリザベート。
そして、クラリスが座っている。
「測定器の異常である可能性は?」
「別の測定器でも、同じ結果でした」
フィオナが答えた。
「そうですか」
マリアンヌは頷いた。
「では、研究を実施した方への確認が必要ですね」
「そうよ!」
エリザベートが身を乗り出した。
「その人、どこにいるの?」
「王都中央研究会館に所属されています」
「近いの?」
「馬車で三十分ほどです」
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「それなら、すぐ行けるわね!」
「……お嬢様」
マリアンヌは、穏やかに口を開いた。
「学院として、正式に調査を依頼いたします」
「そうなの?」
「はい」
「では、私も行くわ!」
「…………」
マリアンヌは、一瞬だけ沈黙した。
「……お嬢様も、ですか?」
「ええ!」
エリザベートは頷いた。
「だって、あの腕輪を作った人なのでしょう?」
「はい」
「私、聞きたいことがあるの!」
「……何でしょう?」
エリザベートは、鞄から小さな紙を取り出した。
広げる。
ばさっ。
巨大な設計図が、学院長の机を覆った。
「……これ!」
マリアンヌは、紙を見た。
『全機能統合型・万能魔法装置』
「…………」
彼女は、ゆっくりと目を閉じた。
そして。
「……お嬢様」
「なあに?」
「こちらは、どなたが?」
「セバスチャンよ!」
「……左様でございますか」
マリアンヌは微笑んだ。
「素晴らしい設計でございますね」
「そうでしょう!」
「ですが」
「?」
「……今回お会いになる研究者に、こちらをお見せになるのはお控えくださいませ」
「どうして?」
「少々、刺激が強すぎますので」
「……そうなの?」
「はい」
エリザベートは、素直に頷いた。
「分かったわ!」
◇
その頃。
王都中央研究会館。
「……三人の数値が確認されたそうです」
助手が報告した。
ガルド・レイスは、静かに頷いた。
「早かったね」
「学院側から、正式な照会が届いております」
「……そうか」
「いかがいたしますか?」
ガルドは、書類を机に置いた。
「回答しよう」
助手は、少し驚いた。
「……すべて、ですか?」
「もちろん」
「しかし、研究の目的まで知られてしまう可能性があります」
「構わない」
ガルドは微笑んだ。
「いつまでも秘密にしておける研究ではないからね」
「……では」
「ただし」
男は、一枚の資料を取り出した。
三人の生徒の魔力測定結果。
その下には、別の記録があった。
『移送成功率』
『供給先適合率』
『残留接続率』
助手が尋ねた。
「……こちらは?」
「まだ、渡す必要はない」
「……承知しました」
ガルドは、窓の外を見た。
王都の街並み。
その向こうに、王立魔法学院の尖塔が見える。
「……人間は、不思議なものだね」
「……はい?」
「努力しても手に入らなかったものが、ある日突然手に入る」
ガルドは、静かに続けた。
「それが誰かから奪われたものだと分かったとき、人はどうするのだろう」
助手は答えなかった。
男は微笑んだ。
「……興味深いと思わないかい?」
◇
午後三時。
魔法工学実習室。
「……先生」
フィオナが声を上げた。
「どうした?」
「昨日の腕輪について、もう一つ確認したいんです」
「何だね?」
「魔力を送るために、学院の供給回路へ接続していたんですよね?」
「その通りだ」
「……でも」
フィオナは、ノエルの測定記録を指さした。
「装置を外した後も、魔力量が変わったままなんです」
「……そうだな」
「だったら」
少女は、少し考えた。
「……腕輪は、本当に魔力を送るための装置だったんでしょうか?」
教師は、眉をひそめた。
「どういう意味だね?」
フィオナは、机の上に置かれた魔法灯を手に取った。
「例えば、これ」
「……魔法灯?」
「はい」
フィオナは説明した。
「この魔法灯には、魔力を蓄える部分と、光を生み出す部分があります」
「そうだな」
「もし、光を生み出す部分を取り外したら、どうなりますか?」
「……光らなくなる」
「はい」
フィオナは頷いた。
「でも、魔力を蓄える部分は残りますよね?」
「……ああ」
「だったら、昨日の腕輪も……」
そこで、教師の表情が変わった。
「……まさか」
フィオナは、小さく頷いた。
「腕輪が魔力を増やしていたんじゃなくて……」
少女は、震える声で続けた。
「人間の身体を、魔力を蓄える装置に変えていたとしたら?」
◇
その日の夕方。
王都中央研究会館から、学院へ一通の手紙が届いた。
差出人。
ガルド・レイス。
内容は、簡潔だった。
『今回の実験によって生じた魔力量の変化について、当研究会は詳細な説明を行う用意があります』
『また、装置を使用した生徒三名については、引き続き無償での検査を実施いたします』
『ただし、検査に際しては、当研究会の設備を使用する必要があります』
『つきましては、関係者の来訪をお待ちしております』
マリアンヌは、その文章を最後まで読んだ。
そして。
「……なるほど」
静かに呟いた。
「学院へ来てくださるのではないのですね」
彼女は手紙を置いた。
「……それでは」
ほんの少しだけ、微笑んだ。
「こちらから伺いましょう」
◇
翌朝。
アルヴェイン公爵邸。
「セバスチャン!」
「はい、お嬢様」
「明日、研究所へ行くことになったの!」
「左様でございますか」
「ええ!」
エリザベートは、楽しそうに笑った。
「魔法装置を作った人に会えるのよ!」
「それは楽しみでございますね」
「そうなの!」
少女は、朝食のパンを口へ運んだ。
そして、ふと尋ねた。
「……ねえ、セバスチャン」
「はい」
「人の魔力って、誰かにあげられるの?」
老執事は答えた。
「可能でございます」
「まあ!」
「ただし、方法によっては危険が伴います」
「そうなの?」
「はい」
エリザベートは、少し考えた。
そして。
「……なら」
顔を上げた。
「人の魔力を取ってしまう人もいるのね?」
「……はい」
「ふうん」
エリザベートは、しばらく黙っていた。
それから。
「……でも」
首を傾げた。
「それって、何が楽しいのかしら?」
セバスチャンは答えなかった。
少女は続けた。
「だって、欲しいものを自分で作れた方が、ずっと楽しいでしょう?」
「…………」
老執事は、静かに微笑んだ。
「……お嬢様」
「なあに?」
「まことに、その通りでございます」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「でしょう!」
そして、朝食を再開した。
その隣で。
レオンは、窓の外を見ていた。
王都の空は、よく晴れている。
彼は、静かに目を細めた。
「……研究所、か」
誰にも聞こえないほど、小さな声だった。
そして。
何事もなかったように、視線を戻した。
◇
王都中央研究会館。
地下第三研究室。
ガルドは、一枚の新しい測定記録を見つめていた。
そこには、三人の生徒の名前がある。
そして。
その下に、一つの数字。
『残留接続数 三』
助手が尋ねた。
「……装置は、すでに取り外されていますが」
「そうだね」
「……それでも、接続が残っているのですか?」
ガルドは頷いた。
「残っているよ」
「……では、今回の実験は」
「成功だ」
男は、静かに微笑んだ。
「腕輪は、最初から必要なかった」
「…………」
「必要だったのは、一度だけ」
ガルドは、記録を机へ置いた。
「人間の身体に、魔力の通り道を作ること」
そして。
「……あとは、その道を使えばいい」
地下研究室の奥。
巨大な魔法陣が、淡く輝いていた。
その中心から、三本の細い光が伸びている。
光は、壁を抜け。
地面を抜け。
王都のどこかへ続いていた。
――第九十一話・完




