第九話 王様は偉いの?
悪役令嬢は愛されている
第九話 王様は偉いの?
王国歴三百二十七年、十二月二十五日。
午前八時。
アルヴェイン公爵邸の正門前には、十二台の馬車が並んでいた。
そのすべてが、エリザベート・フォン・アルヴェインのために用意されたものである。
「ねえ、セバス」
「はい、お嬢様」
「どうして馬車が十二台もあるの?」
「本日のお召し物に合わせてご用意いたしました」
「そう」
少女は馬車を見渡した。
白。
黒。
金。
銀。
赤。
青。
そして、七色に輝くものまである。
「……あら?」
「いかがなさいましたか」
「私、今日は馬車に乗りたくないわ」
「かしこまりました」
「歩いて行きましょう!」
「承知いたしました」
セバスチャンが一礼する。
その背後で、十二人の御者が同時に馬車を降りた。
誰一人として、残念そうな顔をしなかった。
むしろ、全員が満足げであった。
お嬢様がお歩きになる。
それだけで、本日の準備には十分な意味があった。
◇
午前八時三十分。
王都中央通り。
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「人がたくさんいるわ!」
「本日は祝祭日でございます」
セバスチャンが答える。
「何のお祭り?」
「お嬢様のお誕生日を祝う祝祭でございます」
「そうだったわね!」
少女は嬉しそうに笑った。
「みんな、私のお誕生日を祝ってくれているのね!」
「はい」
「素敵!」
通りの両側には、大勢の市民が並んでいた。
誰もが深々と頭を下げている。
エリザベートは満足そうに頷いた。
「みんな、いい子ね!」
そのとき。
一人の少年が、通りの端から顔を出した。
年齢は十歳ほど。
手には、小さな花束を持っている。
「あの……」
少年は恐る恐る声をかけた。
「エリザベート様……」
「何?」
少女が振り返る。
少年は花束を差し出した。
「お誕生日、おめでとうございます!」
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「私に?」
「はい!」
「ありがとう!」
少女は花束を受け取った。
そして、しばらく眺めた。
「……でも」
少年の表情が固まる。
「このお花、少し汚れているわね」
「……え?」
「土がついているもの」
「……す、すみません」
少年は慌てて頭を下げた。
エリザベートは首を傾げた。
「どうして謝るの?」
「……」
「汚れているって言っただけよ?」
「……はい」
「まあ、いいわ!」
少女は花束をセバスチャンに渡した。
「綺麗にしてちょうだい!」
「かしこまりました」
老人が指を鳴らす。
花束から土が消えた。
花びらは鮮やかに輝き、茎はみずみずしく伸びた。
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「綺麗!」
そして、少年に向き直った。
「ありがとう!」
少年は、しばらく呆然としていた。
やがて、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「ふふっ!」
少女は満足そうに歩き出した。
◇
午前九時。
王宮。
「来たのか!?」
国王アルベルト三世は、玉座から立ち上がった。
「はい、陛下」
宰相が答える。
「エリザベート嬢が、王宮へ向かっております」
「馬車は?」
「使用しておりません」
「……何?」
「徒歩でございます」
「……徒歩?」
「はい」
国王はしばらく黙っていた。
「……護衛は?」
「アルヴェイン家の騎士団が、周囲を警護しております」
「何人だ」
「約三千名です」
「三千!?」
「はい」
「徒歩で王宮に来るだけだろう!」
「はい」
国王は頭を抱えた。
「……あの娘は、何を考えているのだ」
◇
午前十時。
王宮、大広間。
「エリザベート・フォン・アルヴェイン公爵令嬢、ご入場!」
侍従の声が響いた。
大広間の扉が開く。
金色の髪。
青い瞳。
純白のドレス。
少女は、堂々と歩いてきた。
その後ろには、セバスチャン、マリアンヌ、グレゴール、エルマー、そしてレオン。
王国でも最も優秀な人々が、静かに付き従っている。
「まあ!」
エリザベートは大広間を見渡した。
「素敵なところね!」
「光栄に存じます」
国王アルベルト三世は、玉座から立ち上がった。
「よく来たな、エリザベート嬢」
「ええ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「招待してくれてありがとう!」
「……うむ」
国王は、わずかに視線を逸らした。
「本日は、ゆっくりしていくとよい」
「そうするわ!」
「……」
「ねえ、王様!」
「……何だ」
「王様って、偉いの?」
大広間が静まり返った。
◇
午前十時五分。
「……何?」
国王は、少女を見つめた。
「王様って、偉いの?」
エリザベートは、もう一度尋ねた。
「……当然だ」
「どうして?」
「……国を治める者だからだ」
「ふうん」
少女は少し考えた。
「じゃあ、私より偉いの?」
沈黙。
大広間の貴族たちが、息を呑んだ。
国王は、ゆっくりと口を開いた。
「……それは、当然」
その瞬間。
大広間の空気が変わった。
セバスチャンは微笑んでいる。
マリアンヌも微笑んでいる。
グレゴールは静かに立っている。
エルマーは、穏やかに目を細めている。
そして、レオンは何も言わなかった。
ただ、それだけだった。
しかし。
国王は、なぜか続きを言えなかった。
「……当然、王国においては、王が最上位の権威を持つ」
「そうなのね!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「じゃあ、王様は私より偉いのね!」
「……うむ」
「すごいわ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、私のお願いも聞いてくれる?」
「……何だ」
「王様のお椅子に座りたいわ!」
沈黙。
◇
午前十時十分。
「……玉座に?」
国王は、ゆっくりと尋ねた。
「ええ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「とっても綺麗なんだもの!」
「……」
「少しだけ!」
国王は、宰相を見た。
宰相は、静かに首を横に振った。
国王は、セバスチャンを見た。
老人は、穏やかに微笑んでいた。
国王は、再び宰相を見た。
宰相は、今度は深々と頭を下げた。
「……よかろう」
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「ありがとう!」
少女は玉座へ駆け寄った。
そして、ちょこんと腰掛けた。
「ふふっ!」
満面の笑み。
「素敵!」
国王は、その隣に立っていた。
誰も何も言わなかった。
◇
午前十時十五分。
「ねえ、王様!」
「……何だ」
「このお椅子、私にちょうだい!」
沈黙。
「……何?」
「欲しいの!」
「……これは、王国の玉座だ」
「知ってるわ!」
「……」
「だから欲しいの!」
国王は、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……それは、できぬ」
エリザベートは頬を膨らませた。
「どうして?」
「……王国の象徴だからだ」
「ふうん」
少女は少し考えた。
そして、手を叩いた。
「そうだわ!」
「……何だ」
「じゃあ、王国ごとちょうだい!」
大広間が静まり返った。
◇
午前十時二十分。
「……王国ごと?」
国王は、少女を見つめた。
「ええ!」
エリザベートは満面の笑みを浮かべた。
「だって、王国の象徴なんでしょう?」
「……」
「なら、王国ごと貰えばいいのよ!」
「……」
国王は、ゆっくりとセバスチャンを見た。
老人は、穏やかに微笑んでいた。
「……セバスチャン殿」
「はい、陛下」
「……これは、どういうことだ」
「お嬢様は、王国をご所望でございます」
「……それは聞いた」
「かしこまりました」
「……」
「ご返答を、お待ちしております」
国王は、静かに息を吐いた。
「……断る」
その瞬間。
グレゴールが、一歩前に出た。
「……陛下」
低い声が響く。
「お嬢様のご要望を、お断りになると?」
「……当然だ!」
国王は声を張り上げた。
「王国を渡せるわけがない!」
「なるほど」
グレゴールは静かに頷いた。
「承知いたしました」
そして、腰の剣に手をかけた。
◇
午前十時二十五分。
「待ちなさい!」
エリザベートの声が響いた。
グレゴールの手が止まる。
「はい、お嬢様」
「何をしているの?」
「陛下が、お嬢様のご要望をお断りになりましたので」
「そうね!」
少女は頷いた。
「でも、私、まだお話ししているのよ?」
「失礼いたしました」
グレゴールは深々と頭を下げた。
そして、元の位置へ戻った。
エリザベートは国王に向き直った。
「ねえ、王様!」
「……何だ」
「王国を貰うには、どうすればいいの?」
沈黙。
国王は、しばらく考えた。
そして、静かに答えた。
「……王位を継承する必要がある」
「王位?」
「……王になるということだ」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「じゃあ、私が王様になればいいのね!」
「……」
「素敵!」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「私、王様になるわ!」
◇
午前十一時。
王宮、控室。
「……王になる?」
レオンは、静かに呟いた。
「はい」
セバスチャンが答える。
「お嬢様は、王位をご所望でございます」
「……承知いたしました」
「本日より、王位継承に関する準備を進めます」
「はい」
「レオン殿」
「何でしょう」
「あなたには、王国の法制度について調査していただきます」
「承知いたしました」
「ただし」
セバスチャンは微笑んだ。
「お嬢様のご意思を変えるような提案は、不要です」
「もちろんでございます」
「結構です」
老人は満足そうに頷いた。
◇
正午。
王宮、大広間。
「ねえ、王様!」
エリザベートは玉座に座ったまま尋ねた。
「……何だ」
「王様って、毎日何をしているの?」
「……国を治めている」
「大変なの?」
「……大変だ」
「ふうん」
少女は少し考えた。
「じゃあ、私には無理ね!」
沈黙。
「……何?」
「だって、私、毎日遊びたいもの!」
「……」
「王様って、大変なのね!」
国王は、しばらく少女を見つめていた。
そして、静かに息を吐いた。
「……そうだ」
「ふふっ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、王様は王様のままでいいわ!」
「……」
「でも、このお椅子は欲しい!」
国王は、ゆっくりと目を閉じた。
◇
午後一時。
王宮、控室。
「お嬢様は、王位をお望みではなくなりました」
セバスチャンが報告した。
「なるほど」
マリアンヌが頷いた。
「では、王位継承の準備は中止ですね」
「はい」
「承知いたしました」
エルマーが手を挙げた。
「玉座については、いかがいたしましょう」
「お嬢様は、引き続きご所望です」
「なるほど」
「では、調達いたしましょう」
「承知いたしました」
会議は終了した。
◇
午後三時。
王宮、大広間。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「素敵!」
目の前には、巨大な玉座が置かれていた。
王国の玉座と寸分違わぬ形。
ただし、装飾には黄金と宝石がふんだんに使われている。
「これ、私の?」
「はい、お嬢様」
セバスチャンが答える。
「お嬢様専用の玉座でございます」
「まあ!」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!」
「恐悦至極に存じます」
「ふふっ!」
エリザベートは玉座に腰掛けた。
そして、嬉しそうに笑った。
「私、女王様みたい!」
「まさしく、そのとおりでございます」
セバスチャンは深々と頭を下げた。
◇
午後五時。
王宮。
「……帰ったか?」
国王アルベルト三世は、静かに尋ねた。
「はい、陛下」
宰相が答える。
「エリザベート嬢は、無事にお帰りになりました」
「……そうか」
国王は、深く息を吐いた。
「……王国は?」
「無事でございます」
「……玉座は?」
「無事でございます」
「……よかった」
国王は、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「……本当によかった」
◇
その夜。
エリザベートは、自室に置かれた玉座に座っていた。
天井には、小さな太陽と月。
窓の外には、五つの流れ星。
そして、部屋の中央には、黄金の玉座。
「ふふっ」
少女は嬉しそうに笑った。
「素敵なお部屋になったわ!」
「お気に召しましたか」
セバスチャンが尋ねた。
「ええ!」
「恐悦至極に存じます」
「ねえ、セバス」
「はい」
「明日は何をしようかしら?」
「何なりとお申し付けください」
少女は少し考えた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「そうだわ!」
「はい」
「私、学校に行ってみたい!」
「かしこまりました」
◇
午後九時。
地下第三会議室。
「では、明日の予定についてですが」
セバスチャンが口を開いた。
「お嬢様は、学校をご所望でございます」
「なるほど」
マリアンヌが頷いた。
「準備は整っております」
「結構です」
「ただし、一点確認がございます」
「何でしょう」
「お嬢様は、どちらの学校へ?」
セバスチャンは微笑んだ。
「王立魔法学院がよろしいでしょう」
「承知いたしました」
「では、明日より入学の準備を」
「かしこまりました」
会議は終了した。
◇
その夜。
王都の空には、五つの流れ星が輝いていた。
誰も知らない。
なぜ、流れ星が増えているのか。
誰も知らない。
エリザベートが何を願ったのか。
そして。
誰も知らない。
その願いが、何を引き起こそうとしているのか。
ただ一つ、確かなことがある。
彼女の願いを叶えるために、世界でも最も優秀な人々が動き始めているということ。
今日も悪役令嬢は、愛されている。
第九話 終




