第八十六話 勇者は試験に勝てない
悪役令嬢は愛されている
第八十六話 勇者は試験に勝てない
王国歴三百二十八年、四月九日。
王立魔法学院。
入学式の翌日。
勇者ルーク・フェルドは、人生で初めて知った。
学校という場所は、想像していたよりもずっと忙しい。
「……次は、何だ?」
少年は時間割を見つめた。
午前九時。
魔法理論。
午前十時。
王国統治学。
午前十一時。
基礎術式。
そして午後一時。
合同実戦演習。
「……おっ!」
ルークの顔が明るくなった。
「やっと剣を使えるのか!」
隣を歩いていたセシリアが微笑んだ。
「楽しそうですね」
「ああ!」
ルークは頷いた。
「座って話を聞くのも大事だけど、やっぱり身体を動かしたいんだ」
「そうですね」
「セシリアは?」
「私は少し不安です」
「どうして?」
「実戦演習ですから」
「……ああ」
ルークは頷いた。
「でも、大丈夫だろ!」
「そうでしょうか?」
「俺がいるからな!」
少年は胸を張った。
セシリアは目を瞬かせた。
そして、小さく笑った。
「頼もしいですね」
「だろ!」
二人は、楽しそうに廊下を歩いていった。
その後ろから。
「……あの!」
フィオナが駆け寄ってきた。
「待ってください!」
「フィオナ!」
ルークが振り返る。
「どうした?」
「その……」
少女は、少し息を切らしていた。
「実戦演習の場所、分かりますか?」
「…………」
ルークは時間割を見た。
そこには、こう書かれている。
『第四演習場』
「……第四演習場だって」
「はい」
「…………」
「…………」
セシリアが尋ねた。
「……どちらにあるのでしょう?」
三人は顔を見合わせた。
入学二日目。
勇者と聖女は、今日も道に迷っていた。
◇
午後一時。
第四演習場。
「遅い!」
大きな声が響いた。
ルークは慌てて頭を下げた。
「すみません!」
「集合時間は十二時五十分だ!」
「はい!」
「遅刻の理由は!」
「道に迷いました!」
「…………」
担当教師は、額を押さえた。
名はバルド・グラン。
元王国軍の魔導戦闘教官。
現在は王立魔法学院で、実戦演習を担当している。
生徒には厳しい。
しかし、指導は的確。
過去十年間、彼の実習で重大事故が発生したことは一度もなかった。
「……分かった」
バルドは深く息を吐いた。
「次からは早めに出発しろ」
「はい!」
「それと」
彼は三人を見た。
「今日は三人で同じ班だ」
「……え?」
ルークが目を丸くする。
「いいんですか?」
「何がだ?」
「俺たち、知り合いなんです!」
「そうか」
バルドは頷いた。
「なら、連携は取りやすいだろう」
「はい!」
ルークは嬉しそうに笑った。
しかし。
バルドは続けた。
「もっとも、仲がいいからといって、評価が上がるわけではないがな」
「…………」
セシリアが小さく笑った。
「頑張りましょう」
「……ああ!」
◇
第四演習場は、学院でも特に大きな施設の一つだった。
広い敷地の中央には、小さな街が再現されている。
石造りの家。
橋。
市場。
そして、塔。
もちろん、本物の街ではない。
魔法によって作られた演習用の施設だった。
「本日の課題を説明する!」
バルドの声が響く。
「君たちには、街の中に設置された目標物を回収してもらう!」
生徒たちは真剣に聞いていた。
「ただし、街の中には魔法人形が配置されている!」
「……魔法人形?」
ルークが呟く。
バルドは続けた。
「それらは侵入者を攻撃する。必要に応じて撃破して構わん!」
ルークの顔が明るくなった。
「……よし!」
「そして!」
バルドは声を上げた。
「街の中には、救助対象を模した人形も配置されている!」
生徒たちは顔を上げた。
「目標物の回収と救助対象の保護。それぞれに得点が与えられる!」
黒板に数字が書かれた。
『目標物回収:二十点』
『救助対象保護:一体につき十点』
『魔法人形撃破:一体につき五点』
『制限時間:十五分』
「最も得点の高い班を、今回の優秀班とする!」
ルークは拳を握った。
「……絶対、一位になるぞ!」
フィオナが小さく頷いた。
「……頑張ります!」
セシリアも微笑んだ。
「はい!」
◇
「……ねえ」
観覧席。
エリザベートは、演習場を見下ろしていた。
隣にはクラリス。
少し離れたところには、アレクシスとレオンがいる。
「私も、あれをやりたいわ!」
クラリスが微笑んだ。
「今日は新入生の演習よ」
「そうなの?」
「ええ」
「……残念ね!」
エリザベートは頬を膨らませた。
アレクシスが口を開く。
「お前、昨日まで魔法灯を五秒しか維持できなかっただろ」
「今は十秒よ!」
「……ああ、そうかよ」
「すごいでしょう!」
「……そうだな」
エリザベートは満足そうに頷いた。
そのとき、レオンが教科書を閉じた。
「お嬢様」
「なあに?」
「午後の講義は、二時からでございます」
「そうなの?」
「はい」
「では、それまで見ていてもいいわね!」
「かしこまりました」
アレクシスが小さくため息をついた。
「……お前、本当に自由だな」
「もちろんよ!」
エリザベートは胸を張った。
「だって、私だもの!」
クラリスは笑った。
レオンも、静かに微笑んだ。
◇
「第一班、開始!」
演習が始まった。
最初の班は、貴族出身の生徒三名で構成されていた。
一人は火属性の魔術師。
一人は土属性の魔術師。
そして、一人は剣士。
「行くぞ!」
火の魔法が放たれる。
魔法人形が吹き飛ぶ。
土属性の魔法で道を作り、剣士が残った人形を倒した。
見事な連携だった。
しかし。
「……あっ!」
観覧席でクラリスが声を上げた。
「どうしたの?」
エリザベートが尋ねる。
「あの班、救助対象を見落としているわ」
「……救助対象?」
「ええ。あの建物の中」
エリザベートは目を細めた。
確かに。
窓の奥に、小さな人形が置かれている。
「まあ!」
彼女は驚いた。
「本当ね!」
第一班は、そのまま目標物を回収した。
結果。
六十五点。
観覧席から拍手が起こった。
「……強いな」
アレクシスが呟いた。
クラリスも頷いた。
「でも、見落としがあったわね」
「そうだな」
エリザベートは、しばらく演習場を見つめていた。
そして。
「……ねえ、クラリス」
「何?」
「あの人形、置いていかれてしまったわね」
「そうね」
「……可哀想だわ」
クラリスは少し驚いた。
「……人形よ?」
「知っているわ!」
エリザベートは頷いた。
「でも、助けてもらうために置かれているのでしょう?」
クラリスは、少し考えた。
「……そうね」
「では、助けてもらえないと、寂しいじゃない!」
「……ふふっ」
クラリスは笑った。
「エリザベートらしいわね」
「でしょう!」
◇
「第三班、準備!」
ルークたちの順番が来た。
「よし!」
ルークは剣を抜いた。
セシリアが杖を構える。
フィオナは、小さな魔法装置を手にしていた。
「……フィオナ」
ルークが尋ねる。
「それ、何だ?」
「簡易魔力探知器です」
「……探知器?」
「はい。一定範囲内の魔力反応を調べられます」
「へえ!」
ルークは目を輝かせた。
「便利だな!」
「……でも」
フィオナは少し困った顔をした。
「私、魔力をあまり使えないので……」
「大丈夫だろ!」
ルークは笑った。
「使えるものがあるなら、使えばいいんだ!」
「……はい!」
セシリアが微笑んだ。
「では、私たちはルークさんの後ろから支援しますね」
「ああ!」
三人は頷いた。
そして。
「第三班、開始!」
バルドの声が響いた。
◇
ルークは走った。
速い。
魔法人形が動き出すより先に、剣が振り抜かれる。
一体目。
撃破。
二体目。
撃破。
三体目。
撃破。
「……すごい!」
フィオナが声を上げた。
セシリアも驚いていた。
「本当に、お強いのですね」
「まだまだ!」
ルークは笑った。
「先へ進もう!」
三人は街の中央へ向かった。
しかし。
「……待ってください!」
フィオナが足を止めた。
「どうした?」
「……反応があります」
少女は探知器を見つめた。
「この建物の中に、魔力反応が……」
ルークは建物を見た。
窓は閉じられている。
扉には鍵がかかっていた。
「……敵か?」
「分かりません」
セシリアが尋ねる。
「救助対象の可能性もありますね」
「……そうだな!」
ルークは頷いた。
「じゃあ、開けよう!」
少年は扉へ近づいた。
そして。
「……ふっ!」
剣を振り抜いた。
がんっ!
扉の錠前が砕けた。
「……開いた!」
ルークは笑った。
セシリアが目を瞬かせた。
「……鍵を壊したのですね」
「ああ!」
「……そうですか」
フィオナが小さく呟いた。
「……あとで怒られないでしょうか」
「……あ」
ルークは固まった。
◇
建物の中には、二体の救助対象がいた。
一体は、一階の奥。
もう一体は、二階。
「よし!」
ルークは一階の人形を抱えた。
「セシリア、こっちを頼む!」
「はい!」
セシリアが人形を受け取る。
フィオナは二階へ向かった。
しかし。
「……あれ?」
階段の途中で、足を止めた。
壁に刻まれた術式が、淡く光っている。
「……この術式」
少女は目を細めた。
魔力の供給量が、不自然に増えていた。
「……おかしい」
「フィオナ?」
セシリアが声をかける。
「どうしました?」
「……この建物、魔力が流れすぎています」
「……え?」
「本来なら、こんなに……」
その瞬間。
ぎしっ。
天井から音がした。
「…………」
フィオナは顔を上げた。
もう一度。
ぎしっ。
そして。
ばきんっ!
天井の支柱が折れた。
「……っ!」
フィオナは動けなかった。
重い木材が落ちてくる。
その瞬間。
「危ない!」
ルークが飛び込んだ。
少女を抱きかかえ、その場から跳ぶ。
どごんっ!
木材が床を砕いた。
「……っ!」
二人は床を転がった。
「ル、ルークさん!」
「……大丈夫か!?」
「は、はい!」
「よかった!」
ルークは笑った。
だが。
その右腕から、血が流れていた。
セシリアが駆け寄る。
「ルークさん!」
「……大したことない!」
「動かさないでください!」
彼女は杖を構えた。
「《治癒》!」
淡い光が傷口を包む。
出血が止まった。
「……ありがとう!」
ルークは笑った。
セシリアは、少し険しい顔をしていた。
「……無茶をしすぎです」
「……そうか?」
「はい」
「でも、助かっただろ?」
「……それは」
セシリアは、少しだけ黙った。
そして。
「……そうですね」
静かに頷いた。
◇
「演習中止!」
バルドの声が響いた。
安全用の結界が作動する。
演習場全体に、警報が鳴り響いた。
「全員、その場から退避しろ!」
教師たちが動き出す。
生徒たちは、指示に従って退避した。
ルークはフィオナの手を引いた。
セシリアが後ろを確認する。
三人は、無事に建物から脱出した。
「……ふう」
ルークは息を吐いた。
そのとき。
バルドが駆け寄ってきた。
「怪我人は!」
「俺が少し!」
「他には!」
「いません!」
「……そうか」
バルドは頷いた。
そして、三人を見た。
「……よく脱出した」
「ありがとうございます!」
ルークは頭を下げた。
しかし。
バルドは続けた。
「だが、演習は中止だ」
「……え?」
「安全設備に異常が発生した。原因が分かるまで、実習は再開できん」
「……そうですか」
ルークは、少し残念そうに頷いた。
そして。
「あの、先生」
「何だ?」
「俺たちの得点って、どうなりますか?」
「…………」
バルドは、しばらく少年を見つめていた。
「……気になるのか?」
「はい!」
「…………」
「一位になりたかったので!」
バルドは、大きく息を吐いた。
そして。
「……お前は、なかなか面白い奴だな」
小さく笑った。
◇
午後二時。
学院医務室。
「……大丈夫ですか?」
フィオナが尋ねた。
ルークは、寝台に腰掛けていた。
右腕には、包帯が巻かれている。
「大丈夫だよ!」
「……でも」
「セシリアが治してくれたからな!」
セシリアが微笑んだ。
「傷は塞がっています。ただ、今日は無理をなさらないでください」
「分かった!」
フィオナは、少し俯いた。
「……ごめんなさい」
「……ん?」
「私が、気づくのが遅くて……」
ルークは首を傾げた。
「……何で謝るんだ?」
「……だって」
「お前が気づいたから、建物がおかしいって分かったんだろ?」
「……はい」
「じゃあ、よかったじゃないか!」
「…………」
フィオナは目を瞬かせた。
そして、小さく笑った。
「……ありがとうございます」
ルークは満足そうに頷いた。
そのとき。
「まあ!」
扉が開いた。
「勇者!」
エリザベートだった。
その後ろには、クラリスとレオンもいる。
「怪我をしたって聞いたわ!」
「……あっ」
ルークは慌てて姿勢を正した。
「エリザベート様!」
「大丈夫なの?」
「はい!」
「そう!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「それなら、よかったわ!」
そして、包帯を見つめた。
「……でも、痛そうね」
「大したことないですよ!」
「そうなの?」
「はい!」
エリザベートは少し考えた。
そして。
「では、今度は怪我をしないように頑張りなさい!」
「はい!」
ルークは元気よく答えた。
セシリアが小さく微笑んだ。
クラリスも笑った。
しかし。
その後ろで、レオンは何も言わなかった。
彼は、ルークの包帯を見た。
そして、セシリアの杖へ視線を移した。
最後に、フィオナが持っている魔力探知器を見た。
「……フィオナさん」
「は、はい!」
「その探知器は、演習前から正常に動作していましたか?」
「……はい」
「途中で、異常な反応が出たのですね」
「……そうです」
レオンは頷いた。
「ありがとうございます」
それだけ言って、エリザベートへ向き直った。
「お嬢様、次の講義が始まります」
「まあ!」
エリザベートは時計を見た。
「もうそんな時間なのね!」
「はい」
「では、行かないと!」
少女は三人に手を振った。
「またね!」
「はい!」
ルークが元気よく答えた。
レオンは軽く一礼し、エリザベートたちとともに医務室を後にした。
◇
午後四時。
第四演習場。
バルドは、崩れた建物を調べていた。
「……おかしい」
隣に立つ魔法技師が頷く。
「はい」
「安全装置は、正常に作動するはずだった」
「そのとおりです」
「では、なぜ支柱が折れた?」
技師は、破損した術式を確認した。
そして。
「……これを見てください」
「何だ?」
「魔力の供給量が、設定値を大幅に超えています」
バルドは眉をひそめた。
「……誰かが調整したのか?」
「分かりません」
「…………」
「ですが、少なくとも」
技師は、装置の一部を取り外した。
「自然に起きた故障とは、考えにくいですね」
バルドは黙った。
そして、崩れた建物を見つめた。
「……そうか」
彼は、静かに立ち上がった。
「では、調べる必要があるな」
◇
その夜。
王立魔法学院。
誰もいない第四演習場に、一人の男が立っていた。
灰色の外套。
革の手袋。
そして、学院職員ではないことを示す、何の紋章もない胸元。
男は、崩れた建物を見つめていた。
「……失敗か」
小さく呟く。
そして、足元の石畳へ目を向けた。
そこには、小さな金属片が落ちていた。
男はそれを拾い上げた。
魔力供給回路の接続部品。
表面には、特殊な術式が刻まれている。
「……なるほど」
男は、しばらく部品を眺めた。
そして、外套の内側へしまった。
「……まだ使えるな」
そのまま、演習場を後にした。
男が向かったのは、学院の南側。
現在は使用されていない、古い研究施設だった。
扉には、錆びた鍵がかかっている。
男は鍵を見つめた。
そして。
懐から、一枚の金属板を取り出した。
そこには、古い学院の紋章が刻まれていた。
「……さて」
男は小さく笑った。
「次は、どこまでできるかな」
金属板を扉へ押し当てる。
かちり。
鍵が開いた。
男は中へ入った。
そして、扉は静かに閉じられた。
◇
同じ夜。
アルヴェイン公爵邸。
「セバスチャン!」
「はい、お嬢様」
「今日ね、勇者が怪我をしたの!」
「左様でございますか」
「ええ!」
エリザベートは頷いた。
「でも、聖女が治してくれたんですって!」
「それは何よりでございます」
「すごいわよね!」
「はい」
少女は、しばらく考えた。
そして。
「……ねえ、セバスチャン」
「はい」
「治癒魔法って、何でも治せるの?」
セバスチャンは、静かに答えた。
「いいえ。治癒魔法にも限界がございます」
「……そうなのね」
「はい」
エリザベートは、少しだけ黙った。
そして。
「……では、もっと勉強しないといけないわね!」
満面の笑みを浮かべた。
セバスチャンは、静かに頭を下げた。
「かしこまりました」
少女は教科書を開いた。
今夜のページには、治癒術についての説明が書かれていた。
彼女は、一行ずつ丁寧に読み始めた。
その様子を、老執事は静かに見守っていた。
――第八十六話・完




