第八十五話 勇者と聖女は入学する
悪役令嬢は愛されている
第八十五話 勇者と聖女は入学する
王国歴三百二十八年、四月八日。
王立魔法学院。
春。
それは、新しい出会いの季節である。
今年、王立魔法学院には二百四十七名の新入生が入学する。
王都の貴族。
地方領主の子供たち。
商人や職人の家に生まれた者。
そして、特別な才能を認められた者。
出身も身分も異なる彼らが、一つの学院で学び始める。
だが、今年の入学式は例年とは少し違っていた。
理由は二つ。
勇者と聖女。
王国が正式に認定した、二つの特別な称号。
その保持者が、同じ年に入学するのである。
そして。
もう一つ。
「ねえ、クラリス!」
「何?」
「入学式って、私も入学するのかしら!」
「しないわよ!」
王国最高位の公爵令嬢が、相変わらず元気だった。
◇
午前八時。
王立魔法学院、正門。
「……すごい」
一人の少年が、巨大な校舎を見上げていた。
茶色の髪。
灰色の瞳。
背中には、一本の剣。
名前はルーク・フェルド。
十五歳。
王国西部の小さな村で生まれ、剣術を学び、魔物討伐で功績を立てた少年である。
そして昨年。
王国の認定試験を突破し、正式に勇者の称号を授与された。
「……本当に、ここに通うのか」
ルークは小さく呟いた。
彼にとって、王立魔法学院は遠い世界の場所だった。
貴族や優秀な魔術師が通う学校。
自分とは無縁だと思っていた場所。
それが今、目の前にある。
「よし!」
少年は拳を握った。
「頑張るぞ!」
そのとき。
「……あの」
背後から声がした。
振り返ると、一人の少女が立っていた。
栗色の髪。
澄んだ緑色の瞳。
清潔な制服の胸元には、小さな銀の紋章がある。
「すみません。入学式の会場は、こちらで合っていますか?」
「え?」
ルークは周囲を見渡した。
「……多分」
「多分、ですか?」
「俺も初めて来たんだ」
少女は目を瞬かせた。
そして、小さく笑った。
「そうでしたか。私もです」
「じゃあ、一緒に探すか?」
「よろしいのですか?」
「もちろん!」
少年は笑った。
「迷子は二人の方が心強いだろ!」
「……ふふっ」
少女は口元を押さえた。
「そうですね」
そして、丁寧に頭を下げた。
「セシリア・ノールと申します」
「俺はルーク・フェルド!」
「ルーク様ですね」
「様はいらないよ」
「では、ルークさん」
「それでいい!」
二人は並んで歩き始めた。
このとき。
二人はまだ知らなかった。
自分たちが同じ学院に入学するだけでなく、王国中から注目される存在だということを。
いや。
正確には、知っていた。
ただ。
お互いが、その相手だとは知らなかったのである。
◇
午前八時三十分。
学院中央広場。
「……ねえ」
セシリアが、小さく声をかけた。
「ん?」
「先ほどから、皆さんがこちらを見ているような……」
「……そうか?」
ルークは周囲を見渡した。
確かに、視線が集まっている。
ひそひそと話す生徒。
こちらを指さす貴族の子供。
そして。
「……あの方では?」
「ええ、間違いありませんわ」
「勇者様……!」
ルークは足を止めた。
「……あ」
セシリアが顔を上げた。
「どうなさいました?」
「……俺のことだ」
「え?」
「勇者」
セシリアは目を瞬かせた。
「……勇者?」
「ああ」
ルークは少し照れたように笑った。
「俺、勇者なんだ」
「…………」
「……その」
「まあ!」
セシリアは目を輝かせた。
「あなたが勇者様なのですね!」
「……ああ」
「お会いできて光栄です!」
「いや、そんな……」
ルークは頭を掻いた。
「大したことじゃないよ」
セシリアは首を横に振った。
「勇者の称号は、誰にでも与えられるものではありません」
「……まあ、そうだけど」
「きっと、たくさん努力されたのでしょうね」
「…………」
ルークは、少し黙った。
そして、嬉しそうに笑った。
「……ありがとう」
「いいえ」
「ところで、セシリアは?」
「私ですか?」
「ああ。どこから来たんだ?」
「東部の聖堂からです」
「……聖堂?」
「はい」
少女は微笑んだ。
「私、聖女として認定されておりまして」
「…………」
ルークは固まった。
「……聖女?」
「はい」
「……お前が?」
「はい」
「…………」
少年は天を仰いだ。
「……すげえな」
セシリアが首を傾げる。
「何がでしょう?」
「いや……」
ルークは笑った。
「迷子同士だと思ってたら、勇者と聖女だったんだな!」
セシリアは目を瞬かせた。
そして。
「……本当ですね!」
二人は声を上げて笑った。
周囲の新入生たちは、その光景を呆然と見つめていた。
◇
午前九時。
「クラリス!」
エリザベートは正門前で手を振った。
「おはよう!」
「おはよう、エリザベート」
クラリスが微笑む。
その隣には、アレクシスもいた。
「……今日も元気だな」
「もちろんよ!」
エリザベートは胸を張った。
「今日は入学式でしょう!」
「ああ」
「私、とっても楽しみなの!」
「……何が?」
「新しいお友達が増えるのよ!」
アレクシスは眉をひそめた。
「……お前、友達を増やすつもりなのか?」
「もちろん!」
「……そうか」
「あなたも増やしなさい!」
「余計なお世話だ!」
クラリスが笑った。
「でも、今年は本当に賑やかになりそうね」
「どうして?」
「勇者と聖女が入学するんですって」
「……勇者?」
エリザベートは首を傾げた。
「ええ」
「それって、魔物を倒す人?」
「まあ、そういうイメージはあるわね」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「では、ドラゴンも倒せるのかしら!」
アレクシスが顔を上げた。
「……おい」
「なあに?」
「お前、家にドラゴンいるだろ」
「ポチのこと?」
「ああ」
「ポチは倒しては駄目よ!」
「じゃあ何で聞いたんだよ!」
エリザベートは考え込んだ。
そして。
「……勇者って、他に何をするのかしら?」
クラリスが微笑んだ。
「それは、本人に聞いてみたら?」
「そうね!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「では、見つけたら聞いてみるわ!」
アレクシスは、何も言わなかった。
ただ。
少しだけ、勇者の身を案じた。
◇
午前九時三十分。
入学式会場。
王立魔法学院、大講堂。
二千人以上を収容できるその建物には、すでに多くの新入生と保護者が集まっていた。
正面には王国の紋章。
その下には、学院の校章が掲げられている。
新入生たちは、指定された席に座っていた。
「……緊張するな」
ルークが呟いた。
隣のセシリアが頷く。
「私もです」
「聖女でも緊張するのか?」
「もちろんです」
「……そうなのか」
セシリアは微笑んだ。
「私は人を治療する方法を学んできました。でも、学院の授業については知らないことばかりです」
「へえ」
「だから、少し不安なんです」
ルークは頷いた。
「俺もだ」
「ルークさんも?」
「ああ。剣なら自信がある。でも、魔法理論とか政治とか……」
彼は少し考えた。
「……全然分からない」
「ふふっ」
「笑うなよ」
「すみません」
セシリアは微笑んだ。
「でも、安心しました」
「何が?」
「私だけではないんですね」
ルークは笑った。
「当たり前だろ」
そのとき。
前方の扉が開いた。
「ご起立ください」
会場に声が響く。
新入生たちが、一斉に立ち上がった。
そして。
王立魔法学院学院長。
マリアンヌが、壇上へ姿を現した。
◇
「新入生の皆様」
静かな声が、講堂に響いた。
「本日は、ご入学おめでとうございます」
深い一礼。
会場から拍手が起こる。
マリアンヌは顔を上げた。
「皆様は、それぞれ異なる場所から、この学院へお越しになりました」
貴族。
平民。
魔術師の家系。
商人の家系。
そして、特別な称号を持つ者。
「これまで学んできたことも、得意とすることも、皆様それぞれに異なります」
マリアンヌは続けた。
「この学院では、魔法学、王国統治学、貴族教養学を中心に、さまざまな分野を学んでいただきます」
ルークは真剣に聞いていた。
セシリアも、静かに壇上を見つめている。
「そして、本年度から新たな教育課程を設けました」
会場が少しざわついた。
「基礎教育を終えた生徒には、専門分野ごとの研究課程を用意しております」
魔法戦闘。
魔法研究。
治癒術。
魔法装置開発。
行政実務。
そして、外交・領地経営。
「また、生徒同士が教え合う学習補助制度も、本年度より正式に導入いたします」
クラリスが、隣のエリザベートを見た。
「……よかったわね」
「ええ!」
エリザベートは嬉しそうに頷いた。
「私、絶対に七十点を取るわ!」
「しーっ」
アレクシスが小声で注意する。
「今、式の途中だぞ」
「……あら」
エリザベートは口元を押さえた。
マリアンヌは、何事もなかったように続けた。
「学院に入学された皆様には、これから多くのことを学んでいただきます」
そして。
「同時に、私たち教師もまた、皆様から学ばなければなりません」
会場が静かになった。
「教育とは、一方が知識を与えるだけのものではありません」
「教える者がいて、学ぶ者がいる」
「そして、学ぶ者が成長したとき、それまで知らなかった新しい可能性が生まれる」
マリアンヌは微笑んだ。
「皆様が、この学院でどのような可能性を見つけるのか」
「私は、楽しみにしております」
再び、深い一礼。
拍手が響いた。
◇
「続きまして、王国認定特別称号保持者の紹介を行います」
式典担当者が告げた。
会場がざわつく。
「まず、勇者ルーク・フェルド殿」
「……っ!」
ルークは姿勢を正した。
セシリアが小さく囁く。
「頑張ってください」
「……ああ!」
彼は立ち上がった。
壇上へ向かう。
その姿に、会場中の視線が集まった。
勇者。
王国の歴史において、その称号は特別な意味を持つ。
三百年前、初代勇者は黒竜ヴァルガスを封印した。
以来、勇者は王国を守る者の象徴とされてきた。
その称号は、単に剣が強いという理由だけでは授与されない。
王国が定めた試験を突破し、人々を守るための資質を認められた者だけが、その名を名乗ることを許される。
ルークは壇上に立った。
そして、深く頭を下げた。
「ルーク・フェルドです」
少し緊張した声だった。
「西部の村から来ました」
会場は静かだった。
「俺は、剣を使うのが得意です」
一部の生徒が小さく笑った。
ルークは続けた。
「でも、知らないことがたくさんあります」
「だから、ここで勉強したいと思っています」
そして。
「いつか、本当に誰かを守れる勇者になりたいです」
少年は頭を下げた。
大きな拍手が起こる。
セシリアは、嬉しそうに微笑んだ。
◇
「続きまして、聖女セシリア・ノール殿」
セシリアは静かに立ち上がった。
壇上へ向かう。
その姿に、会場が再び静まり返った。
聖女。
高度な治癒術を扱い、王国の認定を受けた者に与えられる称号。
その力は、病や怪我に苦しむ人々を救うために使われる。
しかし、治癒術は万能ではない。
治せる傷もあれば、治せない傷もある。
必要な魔力量も、術式の難易度も、症状によって大きく異なる。
セシリアは壇上に立った。
そして、静かに微笑んだ。
「セシリア・ノールと申します」
澄んだ声が響く。
「私は、東部の聖堂で治癒術を学んでまいりました」
彼女は続けた。
「治癒術は、人を助けるための技術です」
「ですが、私には、まだ助けられない方がたくさんいらっしゃいます」
会場が静かになった。
「私は、そのことを忘れたくありません」
少女は、ゆっくりと頭を下げた。
「ここで学び、少しでも多くの方を助けられるようになりたいと思います」
拍手が響いた。
ルークは、大きく手を叩いていた。
「……すげえな」
彼は小さく呟いた。
壇上のセシリアは、少し照れたように微笑んだ。
◇
午前十一時。
入学式終了。
新入生たちは、講堂を出て、それぞれの教室へ向かっていた。
「……終わった!」
ルークは大きく息を吐いた。
「緊張したな!」
「お疲れさまでした」
セシリアが微笑む。
「セシリアもな!」
「ありがとうございます」
二人は並んで歩き始めた。
そのとき。
「……あの!」
後ろから声がした。
振り返ると、一人の少女が立っていた。
少し古びた鞄。
控えめな装飾の制服。
そして、緊張した表情。
「……すみません」
少女は小さく頭を下げた。
「教室が、どこにあるのか分からなくて……」
ルークは笑った。
「俺たちもだ!」
「……え?」
「今から探すところなんだ」
「……そうなんですか?」
「ああ!」
セシリアが微笑む。
「よろしければ、ご一緒しませんか?」
少女は目を瞬かせた。
そして、小さく頷いた。
「……はい!」
「私はセシリアです」
「俺はルーク!」
「……フィオナ・リードです」
少女は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「よろしく!」
三人は並んで歩き始めた。
勇者。
聖女。
そして、魔法装置の研究を志す少女。
彼らはまだ、お互いについてほとんど知らなかった。
それでも。
「……ねえ、フィオナ」
ルークが尋ねた。
「はい?」
「お前、魔法は得意なのか?」
「……いいえ」
フィオナは少し困った顔をした。
「私、魔力を扱うのが苦手で……」
「そうなのか」
「はい」
「でも、ここに入学したんだろ?」
「……はい!」
フィオナは嬉しそうに頷いた。
「魔法装置の設計を勉強したくて、試験を受けたんです」
「へえ!」
ルークは目を輝かせた。
「すごいな!」
「……え?」
「俺、そういうの全然分からないからさ!」
「……でも、勇者様は剣が得意なんですよね?」
「ああ!」
「……すごいです」
「そうか?」
「はい!」
セシリアが笑った。
「皆さん、得意なことが違うのですね」
ルークは頷いた。
「そうだな!」
そして。
「じゃあ、三人で勉強すればいいんじゃないか?」
フィオナが目を瞬かせた。
「……三人で?」
「ああ!」
「……勇者様と、聖女様と?」
「だから、様はいらないって!」
セシリアが微笑んだ。
「私も、セシリアで構いませんよ」
フィオナは二人を見つめた。
そして。
「……はい!」
嬉しそうに頷いた。
その瞬間。
背後から、声が響いた。
「まあ!」
三人が振り返る。
そこには。
金色の髪。
青い瞳。
そして、誰もが思わず見惚れるほど美しい少女が立っていた。
「あなたたち、新入生ね!」
◇
「……え?」
ルークは固まった。
セシリアも目を瞬かせた。
フィオナだけが、嬉しそうに声を上げた。
「エリザベート様!」
「まあ! フィオナ!」
エリザベートは笑顔で近づいた。
「入学できたのね!」
「はい!」
「おめでとう!」
「ありがとうございます!」
二人は嬉しそうに笑い合った。
ルークは、その光景を見つめていた。
「……なあ」
セシリアに小声で尋ねる。
「……あの人、誰だ?」
「……私も存じ上げません」
フィオナが慌てて答えた。
「アルヴェイン公爵家のエリザベート様です!」
「……公爵家?」
ルークは目を丸くした。
「えっ、そんな偉い人なのか!?」
エリザベートは胸を張った。
「そうよ!」
「……あっ」
ルークは慌てて頭を下げた。
「失礼しました!」
セシリアも続く。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございません」
エリザベートは首を傾げた。
「……どうして謝るの?」
「……え?」
「何も悪いことをしていないでしょう?」
ルークは目を瞬かせた。
「……そう、ですけど」
「では、いいじゃない!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
そして。
「ところで!」
目を輝かせる。
「あなたたち、勇者と聖女でしょう!」
「……あっ、はい!」
ルークが答えた。
「そうです!」
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「会いたかったの!」
セシリアが微笑む。
「光栄です」
「ねえ、勇者!」
「はい!」
「あなた、ドラゴンと戦ったことはある?」
「……ドラゴン?」
「ええ!」
ルークは少し考えた。
「……いえ、まだありません」
「そうなの?」
「はい」
「では、今度見せてあげるわ!」
「……え?」
「私の家にいるの!」
沈黙。
「…………」
ルークは固まった。
「……家に?」
「ええ!」
「……ドラゴンが?」
「そうよ!」
エリザベートは満面の笑みを浮かべた。
「ポチっていうの!」
「…………」
ルークはセシリアを見た。
セシリアも彼を見た。
そして。
「……ポチ?」
二人の声が重なった。
エリザベートは嬉しそうに頷いた。
「とっても大きいのよ!」
「……そ、そうなんですね」
「ええ!」
「……どのくらい?」
「そうねえ……」
エリザベートは少し考えた。
「この学院より大きいかしら!」
「…………」
ルークは黙り込んだ。
セシリアも、言葉を失っていた。
そのとき。
「……おい」
背後から、呆れた声がした。
アレクシスだった。
「エリザベート」
「なあに?」
「新入生を困らせるな」
「まあ! 困っているの?」
「見りゃ分かるだろ!」
エリザベートは三人を見た。
「……そうなの?」
ルークは慌てて首を振った。
「いえ、その!」
「……?」
「……ちょっと驚いただけです!」
「そう!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「なら、よかったわ!」
アレクシスは額を押さえた。
「……よくねえよ」
◇
「ところで、聖女!」
エリザベートがセシリアを見た。
「はい」
「あなたは何ができるの?」
セシリアは微笑んだ。
「私は、治癒術を得意としております」
「治癒術?」
「はい。怪我や病気を治療するための魔法です」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「それなら、私にも教えてちょうだい!」
「……え?」
「私、今、魔法を勉強しているの!」
「そうなのですね」
「ええ!」
エリザベートは胸を張った。
「まだ三十二点なのだけれど!」
「…………」
セシリアは、少し驚いた顔をした。
「……三十二点?」
「そうよ!」
「……それは」
少女は言葉を探した。
そして。
「……これから、たくさん勉強できますね」
「でしょう!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
その横で。
アレクシスが呟いた。
「……うまい返しだな」
クラリスが笑った。
「そうね」
セシリアは、二人の声を聞いて少し困ったように微笑んだ。
◇
正午。
新入生たちは、それぞれの教室へ向かう時間になっていた。
「では、またね!」
エリザベートが手を振った。
「はい!」
フィオナが元気よく答える。
ルークも笑った。
「また会いましょう!」
セシリアは深く頭を下げた。
「本日は、ありがとうございました」
エリザベートは満足そうに頷いた。
そして。
「ねえ、勇者!」
「はい!」
「あなた、強くなりたいのでしょう?」
「……え?」
ルークは少し驚いた。
「……はい」
「そう!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「では、頑張りなさい!」
「……はい!」
ルークは力強く頷いた。
「頑張ります!」
「ふふっ!」
エリザベートは手を振った。
「私も頑張るわ!」
三人は、その場を後にした。
◇
「……すごい人だったな」
廊下を歩きながら、ルークが呟いた。
セシリアが頷く。
「ええ」
「公爵令嬢って、みんなあんな感じなのか?」
「……どうでしょう」
フィオナが小さく笑った。
「エリザベート様は、少し特別だと思います」
「……そうなのか」
「はい」
ルークは少し考えた。
そして。
「……でも、いい人だったな」
セシリアが微笑んだ。
「そうですね」
フィオナも頷いた。
「はい!」
三人は楽しそうに話しながら廊下を進んだ。
そのとき。
前方から、一人の教師が歩いてきた。
「君たち」
「はい!」
「新入生だね?」
「そうです!」
教師は微笑んだ。
「では、教室はこちらだよ」
三人は顔を見合わせた。
そして。
「……あっ」
ルークが呟いた。
「……俺たち、また迷ってたのか」
セシリアが笑った。
「そうみたいですね」
フィオナも、声を上げて笑った。
◇
午後二時。
王立魔法学院、第一講義室。
新入生たちは、初めての授業を受けていた。
担当教師は、黒板に大きく文字を書いた。
『魔法とは何か』
「皆さん」
教師が口を開いた。
「魔法とは、魔力を用いて現象へ干渉する技術です」
ルークは真剣に聞いていた。
セシリアも教科書を開いている。
フィオナは、すでに羽根ペンを構えていた。
「魔法を成立させるためには、魔力、術式、制御の三つが重要になります」
教師は続けた。
「では、まず魔力について説明しましょう」
ルークは小さく頷いた。
「……なるほど」
セシリアが微笑む。
「基本から教えていただけるのですね」
フィオナは嬉しそうに書き込んだ。
そして。
その少し離れた教室では。
「先生!」
エリザベートが元気よく手を挙げていた。
「今日こそ七十点を取るわ!」
「……エリザベート様」
教師は微笑んだ。
「まずは、問題を解いてからにしましょう」
「そうだったわね!」
教室に笑いが起きた。
◇
午後四時。
学院の中庭。
ルークは、一人で木剣を振っていた。
一振り。
二振り。
三振り。
その動きは、同年代の生徒とは明らかに異なっていた。
速い。
しかし、それだけではない。
無駄が少ない。
剣を振るたびに、身体の重心が正確に移動する。
何千回も繰り返してきた動きだった。
「……ふっ!」
最後の一振り。
木剣が空気を切る。
ルークは息を吐いた。
「……まだまだだな」
そのとき。
「お見事ですね」
背後から声がした。
振り返ると、セシリアが立っていた。
「……セシリア!」
「練習ですか?」
「ああ!」
ルークは笑った。
「毎日やってるんだ」
「そうなのですね」
「……セシリアは?」
「私は、学院の治癒術研究室を見学してまいりました」
「へえ!」
「初めて見る術式が、たくさんありました」
セシリアは嬉しそうに笑った。
「……とても勉強になりました」
ルークは頷いた。
「よかったな!」
「はい」
二人は、しばらく並んで立っていた。
やがて。
ルークが口を開いた。
「……なあ、セシリア」
「はい」
「俺さ」
少年は木剣を見つめた。
「勇者になったのは、もっと強くなりたかったからなんだ」
「……はい」
「でも」
少しだけ、言葉を止める。
「勇者って呼ばれるようになってから、みんな俺のことをすごい人だと思うんだ」
セシリアは静かに聞いていた。
「……俺、まだそんなにすごくないのにな」
「…………」
「守れなかった人だって、いる」
ルークは小さく笑った。
「……だから、ここに来たんだ」
セシリアは、しばらく彼を見つめていた。
そして。
「……私もです」
静かに答えた。
「……え?」
「私も、まだ助けられない方がたくさんいます」
「……そうなのか」
「はい」
セシリアは微笑んだ。
「だから、もっと学びたいのです」
ルークは頷いた。
「……そっか」
そして。
「じゃあ、一緒だな!」
「はい」
二人は笑った。
春の風が、中庭を吹き抜けていった。
◇
その夜。
アルヴェイン公爵邸。
「セバスチャン!」
「はい、お嬢様」
「今日は勇者と聖女に会ったわ!」
「左様でございますか」
「ええ!」
エリザベートは楽しそうに笑った。
「二人とも、とっても面白い人だったの!」
「それは何よりでございます」
「それでね!」
少女は少し考えた。
「勇者は強くなりたいんですって!」
「なるほど」
「聖女は治癒術を使えるのよ!」
「左様でございますか」
「私も、もっと勉強しないといけないわね!」
セバスチャンは微笑んだ。
「お嬢様のご成長を、心より楽しみにしております」
「ふふっ!」
エリザベートは嬉しそうに頷いた。
そして。
「……ねえ、セバスチャン」
「はい」
「勇者って、どのくらい強いのかしら?」
老執事は少し考えた。
「……勇者として認定されるほどの実力をお持ちなのでしょう」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「では、アレクシスより強いのかしら!」
「……それは、実際に比較してみなければ分かりません」
「そうなのね!」
少女は、楽しそうに笑った。
「では、今度二人に戦ってもらいましょう!」
「かしこまりました」
セバスチャンは静かに頭を下げた。
ただし。
今回の彼は、すぐに決闘の準備を始めなかった。
なぜなら、お嬢様はこうおっしゃったからである。
『戦ってもらいましょう』
つまり。
二人の同意が必要だった。
「……お嬢様」
「なあに?」
「お二人がお断りになられた場合は、いかがいたしましょう」
エリザベートは、少し考えた。
そして。
「……そうねえ」
頬に指を当てる。
「そのときは、私が戦うわ!」
「…………」
セバスチャンは静かに微笑んだ。
「かしこまりました」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「ふふっ!」
そして、窓の外を見た。
夜空には、いくつもの星が輝いていた。
新しい友人。
新しい勉強。
そして、新しい物語。
少女は楽しそうに笑った。
「……明日も、楽しみね!」
その頃。
王立魔法学院の学生寮では。
勇者ルーク・フェルドが、明日の授業に備えて教科書を読んでいた。
その隣の女子寮では。
聖女セシリア・ノールが、治癒術の研究書を開いていた。
そして、別の部屋では。
フィオナ・リードが、小さな魔法灯の設計図を描いていた。
三人とも。
まだ、自分たちがこの学院で何を経験することになるのか、知らなかった。
けれど。
それぞれの胸には、確かな願いがあった。
強くなりたい。
人を救いたい。
そして。
誰でも使える魔法装置を作りたい。
その願いが、いつかどのような形になるのか。
今はまだ、誰にも分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
この日。
王立魔法学院に。
勇者と聖女が、入学した。
そして、その学院には。
すでに一人の悪役令嬢がいた。
――第八十五話・完




