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第八十四話 悪役令嬢は断られる

悪役令嬢は愛されている


第八十四話 悪役令嬢は断られる


王立魔法学院には、貴族の子供たちが必ず学ぶことになっている教科がある。


貴族教養学。


礼儀作法、家門の歴史、外交、婚姻制度、社交、そして交渉。


そのすべてに共通しているのは、他者との関係を扱うということだった。


そして今日。


エリザベート・フォン・アルヴェインは、人生で初めて、ある重要な事実を知ることになる。


それは。


招待状には、断られる可能性があるということだった。


◇


「皆さん、本日は実際に招待状を書いていただきます」


午前九時。


貴族教養学の教室。


女性教師が一枚の封筒を掲げた。


「春の入学式に合わせ、学院では新入生歓迎茶会を予定しています。皆さんには、その準備を手伝っていただきたいと思います」


教室がざわついた。


「茶会ですか?」


「そうです。今回は学院の主催ですから、貴族だけでなく、特別選抜で入学する生徒やその保護者も招待します」


エリザベートが手を挙げた。


「先生!」


「はい」


「お菓子は出るの?」


「もちろんです」


「まあ!」


少女は嬉しそうに笑った。


「それなら、素敵なお茶会ね!」


「ですが、お菓子を用意するだけでは茶会は成立しません」


「……そうなの?」


「はい。まず、誰を招待するのかを決める必要があります」


教師は黒板に三つの項目を書いた。


『招待』


『出欠確認』


『席次決定』


「招待した相手が全員来るとは限りません。そのため、出席者を確定してから席を決めます」


エリザベートは首を傾げた。


「どうして全員来ないの?」


「ご都合が合わない方もいらっしゃいますから」


「では、予定を変えてもらえばいいわ!」


「それが難しい場合もあります」


「……あら」


エリザベートは少し考えた。


「では、先に予定を聞けばいいのね!」


「それも一つの方法です」


教師は微笑んだ。


「ですが、もう一つ、大切なことがあります」


「なあに?」


「相手には、招待を断る権利があるということです」


「…………」


エリザベートは目を瞬かせた。


「……断る?」


「はい」


「私が招待したのに?」


「はい」


「……どうして?」


教師は静かに答えた。


「招待とは、命令ではないからです」


◇


「納得できないわ!」


休み時間。


エリザベートは、机に置かれた封筒を見つめていた。


「どうして?」


クラリスが尋ねる。


「だって、私が招待してあげるのよ?」


「ええ」


「それなら、来ればいいじゃない!」


「でも、来たくない人もいるでしょう?」


「……そうなの?」


「もちろんよ」


エリザベートは考え込んだ。


「……お菓子が嫌いな人?」


「そういうこともあるかもしれないけれど……」


向かいの席から、アレクシスが口を開いた。


「俺なら行かねえな」


「まあ!」


エリザベートは顔を上げた。


「どうして?」


「お前が嫌いだからだよ」


「私もあなたが嫌いよ!」


「知ってるよ!」


「では、あなたは招待しないわ!」


「それでいいだろ」


「ええ!」


エリザベートは満足そうに頷いた。


しかし。


しばらくして、もう一度顔を上げた。


「……でも、アレクシス」


「何だよ」


「あなたを招待したら、本当に来ないの?」


「行かねえ」


「絶対に?」


「ああ」


「お菓子があっても?」


「行かねえ」


「とっても美味しいお菓子でも?」


「しつこい!」


エリザベートは驚いた顔をした。


「まあ……」


そして、少し考えた。


「……不思議ね」


クラリスが微笑む。


「何が?」


「私、お茶会に呼ばれたら嬉しいわ」


「そうね」


「だから、みんなも嬉しいと思っていたの」


「……うん」


「でも、アレクシスは嬉しくないのね」


「当たり前だろ」


エリザベートは彼を見つめた。


そして。


「あなた、変わっているのね!」


「何で俺がおかしいんだよ!」


◇


午前十一時。


授業では、招待状の作成が始まっていた。


「では、皆さん。相手に失礼のない文章を考えてみましょう」


教師が告げた。


エリザベートは羽根ペンを取った。


そして、迷いなく書き始めた。


数分後。


「できたわ!」


彼女は満足そうに紙を掲げた。


教師が近づく。


「拝見してもよろしいでしょうか」


「もちろんよ!」


そこには、こう書かれていた。


『春のお茶会を開くわ!


 とっても美味しいお菓子を用意するから、必ず来なさい!


 エリザベート・フォン・アルヴェイン』


「…………」


教師は紙を見つめた。


「……エリザベート様」


「なあに?」


「こちらは、招待状でしょうか」


「ええ!」


「……命令書ではなく?」


「もちろんよ!」


教師は少し考えた。


「では、こちらの『必ず来なさい』という部分について、お話ししましょう」


「ええ!」


「この表現では、相手が断ることを想定していません」


「だって、来てほしいもの!」


「そうですね。ですが、来てほしいというお気持ちと、来なければならないという義務は別です」


「…………」


「例えば、こちらのように書いてみてはいかがでしょうか」


教師は別の紙に文章を書いた。


『ご都合がよろしければ、ぜひご出席ください』


エリザベートは、その文章をじっと見つめた。


「……ご都合がよろしければ」


「はい」


「……ぜひ」


「はい」


「……ご出席ください」


「そのとおりです」


少女は少し考えた。


そして。


「先生!」


「はい」


「これでは、来なくてもいいみたいだわ!」


「そうですね」


「……いいの?」


「はい」


エリザベートは驚いた顔をした。


「まあ!」


教師は微笑んだ。


「それが、招待するということです」


◇


「ですが、ここからが本日の重要な内容です」


教師は黒板に、二つの名前を書いた。


『公爵家』


『男爵家』


「皆さん。公爵家の令嬢から男爵家へ招待状が届いた場合、男爵家は断りやすいでしょうか?」


クラリスが手を挙げた。


「断りにくいと思います」


「その理由は?」


「公爵家との関係を悪くしたくないからです」


「そのとおりです」


教師は頷いた。


「もちろん、爵位が違っても、招待を断ること自体は可能です。しかし、実際には身分や利害関係によって、相手が自由に判断できない場合があります」


エリザベートは首を傾げた。


「……私が怒ると思うの?」


「その可能性を考える方もいらっしゃるでしょう」


「でも、まだ怒っていないわ!」


「そうですね」


「では、怒らないと伝えればいいのね!」


教師は少し考えた。


「それも大切です。ただし、言葉だけで安心していただけるとは限りません」


「……どうして?」


「これまでの関係や、相手の置かれた状況も影響するからです」


「…………」


エリザベートは黙った。


そして、クラリスを見た。


「ねえ、クラリス」


「何?」


「あなた、私のお茶会を断ったことがある?」


「……ないと思うわ」


「そうよね!」


エリザベートは満足そうに頷いた。


しかし。


クラリスは続けた。


「でも、断ったら怒るんじゃないかしらって、考えたことはあるわ」


「…………」


エリザベートは目を瞬かせた。


「……私が?」


「ええ」


「……あなたに?」


「うん」


少女は黙り込んだ。


クラリスは慌てて首を振った。


「今は違うわよ。エリザベートのお茶会は楽しいもの」


「…………」


「でも、最初は少し怖かったの」


エリザベートは、机の上の招待状を見つめた。


そこには、自分が書いた文字がある。


『必ず来なさい!』


「……そう」


彼女は小さく呟いた。


そして、羽根ペンを取った。


『必ず来なさい!』


その文章に、一本の線を引く。


代わりに、こう書き直した。


『来てくれたら嬉しいわ!』


教師は、その様子を静かに見守っていた。


◇


午後一時。


学院長室。


「新入生歓迎茶会の準備でございますね」


マリアンヌは、担当教師から提出された企画書を確認していた。


「はい。今回は生徒たちにも一部の運営を任せたいと考えております」


「結構なことです」


「ただし、例年より招待対象が広くなっております」


「そうですね」


マリアンヌは資料に目を通した。


王都の貴族。


地方の貴族。


特別選抜の入学予定者。


そして、その保護者。


家柄も経済状況も異なる人々が、同じ茶会に招かれる。


「席次については、十分に検討する必要がございますね」


「はい」


「また、服装や贈答品についても、事前に案内しておきましょう」


「……贈答品ですか?」


「はい」


マリアンヌは微笑んだ。


「歓迎茶会ですから、贈り物を持参しなければならないと考える方もいらっしゃるでしょう」


「なるほど」


「今回は、贈答品不要と明記してください」


「承知いたしました」


教師は書類に書き込んだ。


「それから、学院長」


「はい」


「茶会の予算についてですが……」


「いかがなさいましたか」


「招待者数を考えると、現在の予算では少々不足しております」


マリアンヌは資料を確認した。


「……そうですね」


「追加予算を申請いたしましょうか」


「まずは、必要な経費を整理しましょう」


「はい」


「生徒たちにも、予算内で実施する方法を考えていただいてください」


教師は驚いた。


「……生徒たちに、ですか?」


「はい」


マリアンヌは静かに微笑んだ。


「茶会の運営も、立派な教育の一つです」


◇


午後二時。


教室。


「予算が足りない?」


エリザベートは首を傾げた。


「ええ」


教師は頷いた。


「今回の歓迎茶会では、参加者が増えるため、費用を見直す必要があります」


「では、私が払うわ!」


即答だった。


アレクシスがため息をつく。


「……またそれか」


「何よ!」


「お前、昨日も同じこと言ってただろ」


「だって、お金があるもの!」


教師が口を開いた。


「もちろん、寄付を受けることはできます」


「でしょう!」


「ただし、その場合は学院として寄付を受理し、使途を明確にしなければなりません」


「……使途?」


「何に使うのか、ということです」


「お菓子よ!」


「そうですね」


教師は微笑んだ。


「ですが、今回の課題は、限られた予算で茶会を運営する方法を考えることです」


「…………」


エリザベートは、少し不満そうな顔をした。


「……私がお金を出してはいけないの?」


「いけないわけではありません。ただし、それでは今回の課題を解いたことにはなりません」


「……そうなの」


少女は腕を組んだ。


そして。


「では、お菓子を減らせばいいわ!」


「一つの方法ですね」


「でも、お菓子が少ないのは嫌よ!」


「…………」


教師は微笑みを保った。


「では、他の方法も考えてみましょう」


クラリスが手を挙げた。


「飲み物の種類を減らすのはどうでしょうか」


「よい案ですね」


アレクシスも続けた。


「学院にある食器を使えば、借りる費用を減らせるんじゃないですか?」


「そのとおりです」


エリザベートは二人を見た。


「……なるほど」


そして、勢いよく手を挙げた。


「先生!」


「はい」


「お菓子を全部、同じものにすればいいわ!」


「それは、なぜでしょう?」


「だって!」


エリザベートは胸を張った。


「一種類なら、たくさん作ればいいもの!」


教師は頷いた。


「まとめて材料を仕入れることで、費用を抑えられる場合もありますね」


「まあ!」


エリザベートは目を輝かせた。


「では、私の案も正解なのね!」


「はい」


「ふふっ!」


少女は嬉しそうに笑った。


そして、少し考えた。


「……でも」


「どうしましたか?」


「何のお菓子にするの?」


教室が静かになった。


誰かが言った。


「……焼き菓子でしょうか」


別の生徒が答えた。


「果物の菓子がいいと思います」


「私はチョコレートが……」


たちまち教室が騒がしくなった。


エリザベートは手を挙げた。


「私、苺のケーキがいいわ!」


アレクシスが言った。


「高いだろ、それ」


「……あら」


「それに、苺が嫌いな奴もいるかもしれねえぞ」


「…………」


エリザベートは考え込んだ。


そして、ぽつりと呟いた。


「……みんな、好きなものが違うのね」


クラリスが笑った。


「そうね」


「……難しいわ」


「だから、みんなで決めるのよ」


エリザベートは頷いた。


「……なるほど」


そして。


「では、投票しましょう!」


教師は微笑んだ。


「よい提案ですね」


エリザベートは満足そうに笑った。


ただし。


このあと行われた投票で、苺のケーキは三位に終わった。


「…………」


エリザベートは結果を見つめた。


「……三位?」


クラリスが頷いた。


「そうね」


「……私の苺のケーキが?」


「ええ」


「…………」


少女は、しばらく黙っていた。


そして。


「……一位にしては駄目?」


アレクシスが即座に答えた。


「駄目だろ!」


「どうして!」


「投票した意味がなくなるだろ!」


「……あら」


エリザベートはもう一度結果を見た。


一位は、蜂蜜を使った焼き菓子。


二位は、果物のタルト。


三位が、苺のケーキ。


「…………」


そして。


「……では、仕方ないわね」


小さく呟いた。


「次のお茶会では、苺のケーキを一位にするわ!」


「どうやってだよ!」


「みんなに美味しさを教えるのよ!」


アレクシスは額を押さえた。


「……選挙運動する気かよ」


◇


午後四時。


教室には、まだ数名の生徒が残っていた。


エリザベートは、一通の招待状を書いていた。


宛名は。


『アレクシス・フォン・ヴァレンシュタイン様』


「……おい」


本人が覗き込んだ。


「何してんだ?」


「招待状を書いているの!」


「……誰に?」


「あなたによ!」


「…………」


アレクシスは顔をしかめた。


「何でだよ」


「授業で習ったでしょう?」


「……ああ」


「だから、練習するの!」


エリザベートは紙を差し出した。


『アレクシス様


 今度、一緒にお茶を飲みませんか。


 美味しいお菓子を用意します。


 ご都合がよろしければ、ぜひ来てください。


 エリザベート』


「…………」


アレクシスは文章を読んだ。


そして。


「……断る」


即答した。


「まあ!」


エリザベートは驚いた。


「本当に断るのね!」


「当たり前だろ」


「……失礼な人!」


「お前が招待したんだろ!」


「ええ!」


「なら、断るのも自由だろ!」


「…………」


エリザベートは口を尖らせた。


「……そうだったわね」


そして。


しばらく考えた後、顔を上げた。


「では、また誘うわ!」


「……は?」


「今度は、もっと美味しいお菓子を用意するの!」


「だから、そういう問題じゃねえ!」


「でも、次は来てくれるかもしれないでしょう?」


「……まあ、そうかもしれねえけど」


「でしょう!」


エリザベートは嬉しそうに笑った。


アレクシスは、しばらく彼女を見つめていた。


そして、小さくため息をついた。


「……お前さ」


「なあに?」


「俺が断っても、怒らねえんだな」


「…………」


エリザベートは首を傾げた。


「怒っているわよ?」


「……は?」


「だって、失礼じゃない!」


「…………」


「でも、断ってもいいのでしょう?」


アレクシスは黙った。


少女は続けた。


「それなら、仕方ないわ」


「…………」


「でも、私が嫌いなのは変わらないからね!」


「……俺もだよ」


二人は顔を見合わせた。


そして。


「ふん!」


同時に、そっぽを向いた。


その様子を見ていたクラリスが、小さく笑った。


◇


その日の夕方。


アルヴェイン公爵邸。


「……お嬢様が、招待状を?」


オスカー・ベルンハルトは、差し出された紙を見つめていた。


「ええ!」


エリザベートは頷いた。


「でも、断られてしまったの!」


「それは残念でしたな」


「そうなの!」


少女は頬を膨らませた。


オスカーは微笑んだ。


「ですが、お嬢様」


「なあに?」


「招待を断られたからといって、その方との関係が終わるわけではありません」


「そうなの?」


「はい」


「……では、また誘ってもいいのね!」


「もちろんです。ただし、相手が困るほど繰り返してはいけませんぞ」


「……難しいわね!」


エリザベートは腕を組んだ。


オスカーは小さく笑った。


「人と関わるというのは、そういうものです」


「……そうなのね」


少女は、しばらく考えた。


そして。


「ねえ、校長先生」


「はい」


「私、あなたをお茶会に招待するわ!」


「……ほう」


「来てくれる?」


オスカーは微笑んだ。


「喜んで」


「まあ!」


エリザベートは目を輝かせた。


「では、決まりね!」


「ただし」


「なあに?」


「私にも、都合がございます」


「……そうなの?」


「はい。ですから、日取りを相談させていただければ」


「……なるほど!」


エリザベートは頷いた。


「では、いつがいいの?」


老人は少し考えた。


「……明後日の午後でしたら」


「いいわ!」


少女は嬉しそうに笑った。


「では、明後日にしましょう!」


「承知いたしました」


オスカーは深く頭を下げた。


そして、エリザベートが部屋を出た後。


机の上に置かれた別の封筒へ目を向けた。


それは、王立魔法学院から届いたものだった。


『旧学院長在任時の外部研究協定について』


オスカーは封を切った。


中には、マリアンヌからの確認書類が入っていた。


現在も有効な協定。


失効した協定。


そして、継続審査が必要な協定。


一つずつ、丁寧に整理されている。


「……実に優秀ですな」


オスカーは静かに微笑んだ。


さすがはマリアンヌ学院長。


自分の後任として、申し分のない人物だった。


しかし。


最後の一枚をめくったとき。


老人の手が止まった。


『旧研究施設の利用申請について』


申請者の名前。


研究団体の名称。


そして、希望する利用期間。


春季入学式前後。


オスカーは目を細めた。


「……また、ですか」


彼は書類を机に置いた。


しばらく考える。


そして、羽根ペンを取った。


『施設の利用については、現学院長の判断に従うこと』


続けて。


『旧協定による許可を、新たな研究活動へ自動的に適用しないこと』


書き終えた老人は、小さく息を吐いた。


「……研究は、人を育てるためにあるべきものです」


その言葉に、答える者はいなかった。


◇


同じ夜。


王立魔法学院。


学院長室。


マリアンヌは、今日の授業報告を読んでいた。


『エリザベート様、貴族教養学において招待状を作成』


『招待を断られる』


『本人は不満を表明』


『しかし、相手の意思を尊重』


マリアンヌは、静かに微笑んだ。


「……なるほど」


続いて、歓迎茶会の予算案を確認する。


生徒たちが考えた経費削減案。


教師たちの修正。


そして、最後に添えられた一枚の紙。


『お菓子の人気投票結果』


一位、蜂蜜の焼き菓子。


二位、果物のタルト。


三位、苺のケーキ。


その下には、小さく追記があった。


『エリザベート様より、次回は苺のケーキを推奨するとの申し出あり』


マリアンヌは、思わず口元を緩めた。


「……お嬢様らしいこと」


そして、書類を閉じた。


窓の外には、学院の校庭が広がっている。


春には、新しい生徒たちがやって来る。


彼らは、まだ何も知らない。


この学院で何を学ぶことになるのか。


誰と出会い、何を失敗し、何を身につけるのか。


それは、誰にも分からなかった。


けれど。


「……選ぶだけでは、分からないこともあるのですね」


マリアンヌは、小さく呟いた。


彼女は長い間、優秀な者を選び続けてきた。


試験を行い、能力を測り、役に立つ者を見極める。


その仕事に、疑問を抱いたことはなかった。


今も、間違っていたとは思っていない。


ただ。


最初から優秀な者を見つけることと。


優秀になる者を育てること。


その二つは、まったく異なる仕事だった。


「……明日も、楽しみでございますね」


マリアンヌは、静かに微笑んだ。


◇


その頃。


エリザベートは、自室の机に向かっていた。


目の前には、二通の招待状が置かれている。


一通は、アレクシス宛て。


もう一通は、オスカー宛て。


片方は断られた。


もう片方は、受け入れられた。


「……不思議ね」


少女は呟いた。


同じように招待したのに、返事は違う。


自分が何かを望んだからといって、必ずそのとおりになるわけではない。


そんなことを、彼女は今日、学んだ。


しかし。


「……ふふっ」


エリザベートは、楽しそうに笑った。


「でも、面白いわね!」


断られたから、終わりではない。


受け入れられたから、すべてが決まるわけでもない。


人と人との関係には、まだ知らないことがたくさんある。


少女は、新しい紙を取り出した。


そして、羽根ペンを走らせた。


『クラリスへ』


『今度、一緒にお茶を飲みませんか』


『あなたの好きなお菓子を用意したいから、教えてちょうだい』


『エリザベート』


書き終えると、満足そうに頷いた。


「……これでいいわ!」


そして、ふと思い出した。


「……あら」


もう一度、手紙を見つめる。


「クラリスは、何のお菓子が好きなのかしら?」


彼女は、まだ知らなかった。


友人が何を好むのか。


何を嫌うのか。


どんなことを考えているのか。


そして、何を望んでいるのか。


それでも。


「……明日、聞いてみましょう!」


エリザベートは、嬉しそうに笑った。


その夜。


アルヴェイン公爵邸の使用人たちは、ある奇妙な命令を受け取った。


『クラリスの好きなお菓子を調べてはならない』


理由は、ただ一つ。


お嬢様が、明日ご自身で尋ねたいから。


セバスチャンは、その命令書を静かに見つめた。


そして、深く一礼した。


「……かしこまりました」


その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


ただし。


その夜、公爵邸では。


クラリスの好物をすでに知っている使用人たちに対して、緊急の情報共有会議が開かれた。


議題は。


『うっかり答えてしまわないための対策について』


であった。


――第八十四話・完

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